第112話◆幽けき世界(2)
文字数 3,710文字
「!!?」
ラファルドは自分よりも(多分)失敬な存在が居たことに絶句し、青年は非常な不機嫌となった。
「わはははは……!! だってさ! 普通、感極まって卒倒するとか、感激のあまり涙腺が崩壊するとかいうのがお約束ってもんじゃねーの! それがどうよ? 『………終わった……!』だぜ? ……ひいい、は、腹が――よ、よじれるぅーっ……!!」
ラファルドからは何が何処に居るのかが見えない。
青年の顔の角度から見当つけるしかないのだが……青年は前(つまり、ラファルド)を見ているだけである。
「……やかましい」
青年がぼそりと不機嫌を零しても、失敬な何かはマイペースだった。
笑いの衝動が端々に零れる声で、喋り続けたのである。
「騎士ならば、王直々に一目を置かせるレベルの超栄誉、超至福の奇跡イベント。それが”神”と神祇の邂逅じゃねえか! それが――、……それが、それ……が……、ど、どこをどうし、たら――こん、な爆笑イベに――、……ぎゃあっはははははは!!!」
(や、やっぱり――!!!)
図らずも聞いてしまった青年の正体に、ラファルドの絶望は一層深くなる。
そして、正体を暴かれてしまった青年――神様、の額には青筋が増えた。
「黙れ」
「――?!!」
聞かされただけのラファルドが反射的にビクついた、超低温の怒声。
それでも、何かの失敬(主に、笑い声)を止めることは出来ず、神様は次の行動に出た。
「即、黙れ。完全に黙れ」
無表情に命令すると、足元に居るらしい何かを足蹴にする。
「さもなくば――餅だ。敷物よりも真っ平にして、正月の雑煮でじっくり煮込み、神棚にお供えして、拝み倒してくれる!!!」
「いやあああっ!! 理不尽は毎度のことだけどぉー、拝まれるのは御無体だあああっ!!!」
それでも、何かの笑いの気配は止まらなかった。
(……り、理不尽が……、毎度……!!)
「黙・れ」
最後通牒だとは伝わったのだろう、笑いの気配はようやく形を潜めた。
「盛大に笑い飛ばしてやった俺様の気遣いを有難く受け取っとけって!」
「……ほう? 気遣い! ちなみに、何処が気遣いなんだ?」
神様は顎でラファルドを指示した。
「いや、だって、完璧に気不味い出会いだったじゃないか! そこを、俺様が身も蓋も無く笑い飛ばしてやることで、硬く固まった空気を完膚なきまでに破壊してだな」
「私の尊厳まで粉々になっている気がするのは――気のせいか? どうにも、狭量な理不尽の化身、と看做されている気がしてならないんだが……?」
「ええ――? ……それは――」
ラファルドは見られたはずもなく、目が合った事実さえない。
けれど、何かはしっかり、何かを目撃し、理解したようなタイミングで方向転換を決めた。
「いやいやいや! 第一、俺様を雑煮にしても、めでたくも美味くもない! 当然、拝んだところで利益も無い。そもそも、神様が神棚にお供えをするってのはどうなんだ? な? そこな少年!!」
いきなり話を振られて困ったのは確かだが、神様がラファルドを睨んで来たタイミングも悪かった。
気が付いた時には、ラファルドは返事をしてしまっていた。
「――え? ……あ、うん。それは趣味が悪い気が――と」
「――――!!」
神様が止めを刺されたような、物凄く重い沈黙に包まれる。
「……あ」
流石に、ラファルドは失態を重ねたことを自覚しないわけには行かなかった。
代わりに。
「ひゃっほう! 放免と叱られ仲間を無事、ゲットだぜ!!」
煙の中から、黒い靄が固まったような何かが飛び出して来て、ラファルドの肩に着地する。
「え、あ――その、あの、あーと……」
それは馴れ馴れしく、慌てふためくラファルドの頬をぺちぺち叩いた。
「まーまー、言わなくてもちゃーんと解ってるって! 神様なんてものは往々にして理不尽の権化だからな! 理解不能な成り行きに、真っ当な理性が麻痺しちまった、ってことだろ? うんうん、俺様にはよーく、解る!」
「……ほほう?」
おどろおどろしい、雷光閃く黒雲を、神様が纏い始める。
「!!? ちょっ、ちょちょちょ――!!」
いよいよ、洒落にならなくなってきた成り行きに、ラファルドの慌てふためきは加速した。
しかし、何かのため息は、神様の大人気の無さを窘めていたのである。
「…………ま、まあ、不機嫌入っちまった神様宥めんのも……、俺様達の至上の命題だったりするか……。とはいえ、流石の俺様でも、ぶっつけ本番の謝罪では失敗しかないと看破出来ている!! なので、此処は俺様がなけなしでも時間を稼ごう! いいか!? 適当な文句でいいから、神様を覿面に宥められるのを捻り出して来るんだぞ!! いいな?!」
「――ほう。適当、とな?」
雷鳴が落雷に変わった次の瞬間、真っ黒な何かに顔面に張り付かれ、額をこつんと小突かれた。
「え、ちょっと、待――、――?!」
世界が一瞬で切り替わり、ラファルドはいつの間にか、自分が一番戻って来たかった場所に戻っていた。
茫然とラファルドを見つめて来る騎士団員を認めると、さっきまでの緊張が嘘のように消えていく。
「…………えっと――」
頭の回転が正常で無かったために、正体に気付かず、撫でてしまったものが在った。
「……ラファルド?」
「え? あ――、れ……、……」
気づいた時には処刑宣告が終わっていた。
セレナスに抱き止められていたともっと早く気づいていれば――運命は変わっただろうか。
脳裏に浮かぶ、鉄拳のイメージ。
半ば以上本能的に、これは運命で必要経費だと割り切ってしまうことが出来た。
「……大変、御心配をお掛けしましたようで……」
セレナスの本能的な鉄拳制裁の痕を放置しつつ、ラファルドは平伏する。
「ぶ、無事でしたなら……ま、まあ、構いません。先程のあれは事故だと解ってますから。その……ご、御免なさい。痛かったでしょう?」
恥ずかしさを残しながらも、何処か居た堪れない感じのセレナスが赦免してくれたことをいいことに、ラファルドは妙に硬い表情で殺伐とする騎士団員と近衛を片っ端から無視して治療を始める。
「こちらこそ、とんだ粗相を……! まさか、殿下に介抱して頂いているとは露と思わず」
最初に身柄を奪還してくれた礼を、次に、不可抗力だとはいえ自分の手が働いた粗相を詫びる。
それでも、このままでは逃げ切れない。そう、直感できるほど周囲の空気は硬く、殺気が土砂降りの雨の如く、ラファルドに突き刺さって来る。
いい加減、面倒臭いなあと思い始めた頃、実に都合のいいタイミング(ラファルドにとって)で、銅と白の奔流――戦闘の余波が聖堂を浚った。
「これは……!! 想像以上ですね(想定以上の強度が出てる……絶好調、ってことかな)」
体を起こして、ラファルドは荒れ狂う世界を見つめる。
反応が無いことを不思議に思って振り返ると、何故か、非常識な物を見る目で全員から絶句されていた。
「……あの? どうしまし――」
「セルゲート家の”神祇”というのも、実に法外な存在なのですね……!!」
「……はあ……?」
セレナスのため息の理由がピンと来ないラファルドである。
そこに、〈結界〉担当として、一人立ち続けている騎士団の魔術師から補足が入った。
「今しがた聖堂中を浚って行ったのが激突の余韻であり、〈力〉の余波であることは、御存知かと思います」
「ええ、それは」
「我々はそれを、最高強度の〈結界〉で凌いできました。……先程は、展開が間に合わなかったわけですが……生きてますよね? 現在」
「ああ、そのことですか。それは今、此処が――」
途端に、ラファルドを強烈な眩暈と悪寒が呑み込んだ。
「?!!」
身体から力が抜けて膝が砕ける。
「ラファルド!?」
険しい声はセレナスのものだが、ラファルドに起きた異変は全員に伝わっていた。
(『なけなしでも時間を稼ごう!』って)……こういう、こと――」
「ラファルド?!」
しっかりしろ! と、肩を掴んで揺さぶって来るセレナスの手をラファルドは掴み、眩暈に妨げられながらも、視線の焦点を必死にセレナスに合わせる。
「殿下――、ラディ……、と――セル、ディムさん……は――?」
セレナスは「時間が無い」ことを、本能的に直感した。
「目の前で激闘を繰り広げてましてよ!! 現状、戦局がどちらに有利かは計り兼ねてますけれど! 褒められた戦況でないのは、セルディムが魔眼を隠していたからです!!」
眩暈があまりにも酷過ぎて、ラファルドはもう、自力では立ち上がれない。
「……魔、眼……! 道、理――で……。腐って、も……〈竜〉……です、ね……」
「ラファルド!! 何か、」
手立ては無いかと言おうとしたセレナスの口を人差し指で塞ぐと、遠ざかる意識の中で微笑んだ。
騎士達が無礼だ、と感情を悪化させたが、セレナスが空気で騎士達を黙っていろと叱咤する。
「どう、か――グラディル、を……頼、み、ます……!! わた、しは加、勢――でき……ませ、ん……の……で…………」
「戦線に、加われ、と?」
尋ねるセレナスの声は、酷く冷静だった。
「ど、う……か――お、み――とど――け、を――」
そのまま、力尽きたように、ラファルドは床に伏す。
セレナスが即座に抱え上げて揺り動かしたが、うんともすんとも言わなかった。
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