第92話◆導きの火
文字数 3,234文字
『それの何が悪いの? 僕だってなれないよ、父さんには』
グラディルと〈力〉の付き合いは古い。
けれど、何時から使えたのか――は、覚えていない。
気が付いた時には使えるようになっていたから。
そして、子供の頃は何も知らなかった。
父クレムディルと同じようなことが出来る。それだけで嬉しかった。
翼を大きく広げれば、より高く、より遠くに、より速く飛べるはず。
そんな風にしか考えなかった。
ラファルドと初めて会ったのは、6歳の時だとグラディルは覚えている。
父が散歩を口実に、グラディルを直接セルゲートの館に連れて行った。
綺麗に着飾った他所の子、が第一印象で、それはすぐに気に食わない糞餓鬼に塗り替わった。
何故かと言えば、ずっと気づかずにいた現実――〈力〉は暴走する、を突き付けてくれたから。
暴走を怖いと思えなかったのは、記憶に残らないからだった。
それが変わったのは――初めて仲良くなれた近所の子に、自分の秘密を自慢しようとした時だった。
その時も、よくは覚えていなかった。
その瞬間のことは。
けれど。
察しをつけられる程度には――決定的な証拠が、初めて意識に残った。
結論だけを言えば、その子は怪我では済まない目に遭わされた。
もし、クレムディルにセルゲート家という伝手が無かったら――家族は流浪を余儀なくされたことだろう。
グラディルはようやく、自分がラファルドに引き合わされた理由を知った。
『それの何が悪いの? 僕だってなれないよ、父さんには』
それは確か、ラファルドの前で盛大な暴走をやらかした後。
グラディルが暴走してもけろりとしていられる、化け物同然の相手だと身を以て学習させられた後で。
父の背を眩しく見つめているのに、自分は何時まで経っても追いつけそうにないと泣いた時だった。
(言われた時は、すっげえ、腹がたったよな。結構真面目に打ち明けたつもりだったし)
何より、何でもないことのように言い放たれたことが気に入らなかった。
当時のグラディルにとっては重大な絶望だったから。
やっぱり、こいつには俺の気持ちなんて解らないんだ! そんな風にいじけようとしていたのに。
ラファルドの行動はグラディルの想像の外をかっ飛んでいた。
その日は、珍しくも母に連れられて来ていたのだが――告げ口してくれやがったのである。
『――って、グラディルが言っているんですけど、どれだけお父さんのこと好きなんですか?』
重大で純情な男の子の秘密を。
そして、それが何を意味しているのかを察した母は――怖かった。
今尚忘れることが出来ないほど。
『トラス? こっちにいらっしゃい?』
表面上は優しい笑顔。けれど、決定的に不自然な笑顔だった。
無論、逆らえるはずもなく。
指が食い込んできたわけではなかったが、肩を掴まれた時、取って食われそうな予感で一杯だったのが忘れられない。
『いーい? 金輪際勘違いして欲しくないから、言っておくわね。あなたはね、あの馬鹿とは似ているだけでいいの。天地が逆様になったとしても、同じになっては駄目よ? 億万が一でも、あの馬鹿と同じになったら――私が、止めを刺すから。他所様に顔向けできないキングオブ馬鹿様なんて、一匹だけで十分なのよ! 惚れてなかったら、さっさと縁切りして、記憶からも人生からも抹消してるわ!! ……解かったわね?』
頷く以外に返せる返事なんて、(当時の、でなくても)グラディルには無かった。
そして。
その時のやり取りが何処からどう、耳に入ったのか、その晩、父と母は喧嘩をした。
不気味なくらい静かに始まった喧嘩は一瞬で大噴火し、一瞬で収束した。
(そーいや、親父が家出したんだよな。一ヶ月っていう最長記録更新してくれてさ)
父親が帰ってこない。
子供心に、これ以上の恐怖は無かった。
昨日まであれこれ悩んでいたことが全部吹っ飛んだのを覚えている。
父と母が別れたりしたらどうしよう? なんて事を、真剣に、深刻に思い悩んだ。
親父の家出が終わった翌日。一人で喧嘩しに行った。
『ね? 大した悩みじゃなかったでしょう?』
と、満面の笑顔で来たもんだから――気が付いた時には、殴り飛ばした後だった。
勿論、盛大に反撃されて、喧嘩は即日、知られてしまった。
(母さんは真っ青だったよな。いい所過ぎる坊ちゃんと喧嘩したなんて! って感じで)
でも、謝らせる為に連れていかれた館で、妙な空気のディム小父さんが待っていた。
結局、喧嘩両成敗で、二人揃って食事を抜かれ、夜明けから日没まで館の縁側で正座の刑!! と相成った。
(あれが、初めてだったんだよな。二度と関わらないでくれ!! が、当然だったのに。普通に叱られて――その後も、普通の関係を続けられた。化け物じみた餓鬼じゃなくて――何処にでもいる、ありふれた糞餓鬼で居られたのは――)
あの日から――成長が無いわけではないけれど、呆れるぐらいに変わらない。
今だって、透明なのに温かな笑顔が目の前に在った。
「どれだけ親しい仲になっても、分かち合えないこと、理解しきれないことは在って当然。一人では生きていけないと言うけれど、出会うことが出来るのも、支え合うことが出来るのも、一人だから。だから――覚えていてくれると、嬉しい。引き返さないことを決める時に、誰かに煽られるのは、違う。見えずにいた真実を掴もうという時に、自分ではない誰かに強制されるのは、違う。それと。忘れたら、思い出してね。君の中に在るものは全て、君が心から辿り着きたいと願う本当の場所――君が進むべき道、の為に在るものだから。弱さも、強さも、歪みさえも。君が手を差し出すのなら、必ず、握り返してくれる。君が居場所ならば、頑丈な石垣よりも強固に支えてくれるよ。だから、大丈夫――。君の望む未来は――君の中に在る――――!」
グラディルを抱きしめると、ラファルドは透き通るように消えて行った。
グラディルの姿は、すっかり、人間に戻っている。
しかし、鮮やかな銅色の、透き通る燐光の層がグラディルを守るように覆っていた。
「…………」
一筋の涙がグラディルの頬を伝うと、お守りで弾けて、虹色の輝きを散らせる。
「……、それか!!」
忌々しさの根源を見つけたように、白い竜がお守りを睨んだ。
しかし、グラディルは不可視の弾道が見えていたように腕を揮い、お守りを守る。
「他人様の物に、勝手に手を出してんじゃねえよ」
「…………まさか、素手で――か」
声に紛れていたのは、感嘆と羨望。
グラディルは改めて、叔父を見据えた。
「白状させるからな。何故、こんな真似をしでかしたのか。叔父と甥に戻るのは、その後だ!!」
生意気だと言うように、砲弾状の〈息〉をグラディルめがけて吹きつける。
しかし、直撃を受けて尚、グラディルは無傷だった。
「降伏なんて、しねえんだろ? だったら、力ずくでも!」
ぞろりと牙が生え揃った竜の口腔が、グラディルの台詞の終わりを待たずに、不自然な形に――実に、人間らしく――歪む。
「……残念だが、時間切れだ。(……ぐっ!?)礼を言おうか? まんまと時間を稼いでくれて――!! いざ、天蓋は満ち、光の河となりて、氾濫せし〈力〉は全てを浚う!!」
台詞の最後は、詠唱にすり替わっていた。
「させるかってんだ!!」
グラディルは神速の踏み込みを見せる。
だが。
「遅いっ!! 〈光河天蓋〉!!!」
「……何ですの――?」
荒事の場には不謹慎なぐらい、美しくも精緻な輝きが夜空から降って来る。
「…………、――?!」
何に勘づいたのか、ゼルガティスは目を見開いた。
「させるかっ(見抜いたか……! こんな時だけ鼻のいいっ)!!」
「姫っ――!!」
幻想的な純白の帳は一際神秘的に輝いて、その正体を現す。
巨大な、積層型の魔法陣だった。
ジェナイディンの横槍を引き付けての瞬間移動で躱し、斜め後ろから体当たりを仕掛けるようにセレナスを抱き抱える。
『セレナス様!!』
危急を意味するクリスファルトの緊急通信を掻き消すように魔法陣が煌めいて、光る雪と幾重にも揺らめく白い帳を王都に降ろした。
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