第55話◆物や思うと
文字数 5,410文字
幻想的な黄金と水晶のシャンデリアに見下ろされる大広間が、無数の男女が華やぐ異空間と化している。
或る者は談笑し、或る者はグラスを乗せた盆を持つ給仕を呼び止め、或る者は壁際に(しかし、壁とは接さぬよう)配置された円卓の銀盆に盛られた食事(菓子、軽食、果実など)に舌鼓を打つ。
また、或る顔は感激と興奮に酔い、或る顔は平静を装いながら意中の誰かを待つように周囲を窺う。
王宮主催の晩餐会初夜。
開幕を告げる国王の宣誓を合図に、集う王族たちが招待客をもてなしに掛かる夜である。
本命たる晩餐は二日後。
今宵は即席の社交場だった。
中央奥よりに位置する玉座めいた壇を背景に、五つばかりの人だかりが半円を描くように形成されていた。
壇を背景に出来る位置に居るのが、国王より主賓の役割を賜った第三王女と一群の人々である。
「いやはや、何とお美しいことか! 白百合も二つ名に使われることを、きっと誇りに思うことでしょう!」
すらりとした印象の初老の男性が満面の笑みで褒めちぎる。
「まあ、大使様……。お上手ですこと」
恥じらいの生む初々しい華やかさが、微笑と共に広がった。
その少し後ろ。
大股の数歩でセレナスを追い抜ける位置に、槍を片手に剣を帯びた近衛の衛兵たち(に、化けたラファルドとグラディル)が控えている。
着飾った男女ばかり(給仕を除いて)が集う晩餐会場には異質な存在だが、誰も意識を割かない。
物々しい武装は王家の威光であり、同時に、優雅に人々がごった返す晩餐会場での居場所を示す旗代わりだ。
勿論、”虫”除けとしての役割も職務の内である。
「……ねえ、お兄様。どうして、こんな場所に、あんな方々が――?」
「しっ! あれ(あの装備)は、近衛の衛兵だ。つまり、」
「まあ!? では、噂で聞いた通り、姫様方が出座なさっているのね?!」
「そういうこと。……お、軽食があるな。腹ごなしに行くか」
「――えっ? お兄様……!」
「あんな人だかりじゃ、お姿一つ碌に見えないじゃないか。タイミングを待とう(家の身代で目通りに与ったら、破滅させられるよ)……」
王族を名前でしか知らない人々でも解る。
無粋と咎められるはずの存在が儀礼として罷り通る、その特別が意味することを。ものを。
そして、この兄妹のような反応は至ってまともで、マシな反応だった。
怪しい人物の接近は元より、予定に無い賓客の来訪には槍を以て応対するのが基本の態度になるからだ。
役に立つために配置されながら、役に立たないことを期待される矛盾。
しかし、第三王女の衛兵はそんな深刻な葛藤とは無縁だった。
(……おうおう。物分かりのいい兄妹で何よりだ。でもよ、そんなに見たいもんかねえ……?)
(これだから、田舎者は……。王都生まれの王都育ちなのに、「王家の御威光」も解らないの?)
(るせっ! 現物を目の当たりにしたら、誰だって、一発で食傷するだろうが!)
無言、無表情、無動が基本性能の衛兵である。会話は成立していても、ラファルドとグラディルは肉声を使っていない。
日々厳しく鍛え上げられる本職ならばいざ知らず、急ごしらえの間に合わせである少年二人には、衛兵の基本性能を維持し続けるのも茨の道だった。
加えて、グラディルが話したくなる気持ちは理解できる。
なので、ラファルドが特別に回線を設定し、肉声に頼らずとも意思の疎通を可能にしてある。
だから、傍目には無難に衛兵を務めているようにしか見えていないのだった。
(……多分、それ、ラディだけじゃないかなあ……)
(どういうことだよ!?)
(当たらないで欲しいな。理由は知らないけど、ラディ以外の人には大体、穏やかで常識的な態度なんだよね。ほら、今だって――)
時間に応じた持ち回りだった「饗応役」を終えて、予定通りの位置に陣取っている王女様方を取り巻く人垣の厚みは圧倒的で、中央に位置しているセレナスの数倍は在る。
遠目といえど、王女の姿を一目にすることすらままならず、下手に近づこうものなら、あっという間に人垣の秩序――順番と身分に応じた作法を守れ! という無言の圧、に呑み込まれ、身動き一つに難渋する破目になる。
そんな他所の盛況ぶりを、無意識を装って目に入れさせ、あざとく嫌味を投げかけて来る無粋な確信犯たちをも丁寧にいなし、本物の笑顔を振舞っていた。
グラディルと回線を繋いでいる最中なのに、ラファルドはふと、物思いに耽る。
(権勢に興味無し。事前に聞いていた通りだね……。不遇からくる捻くれなのかと考えたけど。喜怒哀楽ははっきりされているし、猫を完璧に被り切れるタイプでもないし。気丈なのは性格だとしても、それだけじゃあの笑顔は無理だ。さっきだって――、……駄目だ! 顔が、笑っちゃう!)
ラファルドの(個人的な)悲鳴が聞こえたのかは解らないが、グラディルが憤然と割り込んできた。
(……だから、どうしたってんだよ!)
(嫌味にさえ、本気の笑顔を返してるでしょ? 仕掛けた方が腰を抜かして、世間知らずめ! って結論に逃げ込むしかなくなってる。――ラディ。今のお馬鹿さん達の顔、押さえておいてね。後でだけど、まとめて陛下に奏上するから)
(ライ、ライ。……って、どうすんだよ、そんなの?)
(さあ。陛下が上手にご利用になる素材だからね。けど、ラディだって嫌でしょ? 第三王女に仕えてるってだけで、変なとばっちりが飛んで来るの)
(そりゃ、まあ……。で、俺様の憤懣は?)
(それは……ラディに心当たりが無かったら処置無し、かな……、……当面)
(――ざっけんな。慰謝料として、俺は給金倍額を請求するぞ!!)
(それは、君のお師匠さんに掛け合って。でも、良かったじゃない)
(あ!?)
(さっきの、ナスカラナン侯よりは全然マシでさ!)
(ああん?! ……って、あれか。あれはまあ――笑うしかねえけども)
平素から仲が悪いと評判(グラディルの幼馴染からレクチャーされた事前情報)の、ナスカラナン侯爵は接近からして見物だった。
独特の美意識と嗜好で”奇妙な猫”と評判を取る、初老の男性の接近に気付いた段階で、表情が痙攣する程露骨な嫌悪を曝け出したのである。
その時点で手を打てれば良かったのだろうが、向こうは貴族でセレナスは勅命を賜った王族である。作法違反は出来ないし、国王の顔に泥を塗るわけにもいかない。
無謀にも(?)、気づかれずにやり過ごそうとセレナスは考えた。
しかし、侯爵は鼠を狩る猫の如く、好機を待ち受けていたらしく、むしろ、嬉々として突っ込んできたのである。
誰も得をしない嫌味と皮肉の応酬が始まったのだが――そこで、侯爵の仕込みが炸裂した。
漫才の流れ上、セレナスが侯爵を扇で叩いてしまったのだが、それに合わせて侯爵の両目が飛び出し、頭から煙が上がって、奇妙に幼さを感じさせるデザインの造花が咲いたのである。
淑女に、あるまじき悪徳(大爆笑)を強制した罪を以て、満場一致の顰蹙を買い、強制お色直しの刑と数週間に亙る第三王女への接近禁止令を食らわされた侯爵だが、懲りたようには到底見えない退場だった。
「よくもまあ、ぬけぬけと挨拶に来ましたこと……! 面の皮が厚い! 正に、言葉通りでしたわ!! 地下牢にでも放り込んで、半年ほど、本気で反省でも促せばよろしくてよ!」
誰もが失笑を禁じえなかった後ろ姿に、セレナスは一人だけ、真面目に悪態を付いていたのである。
(つか、あんなのと俺様の腹立ちを一緒にすんじゃねえ!)
(……(一緒でいいと思うけど)よくまあ、腹を立てる元気が残ってるよね……)
(おう! 腹が減ったとて、戦はでき……、思い出しちまった……! 折角忘れてたのに!!)
(……ラディ)
(だって、生殺しだぜ? 美味そうな匂いがするのに、伸ばせば手が届くのに、晩餐会が終わるまでお預け。日暮れ前から我慢してるのに、日付が変わってしばらくまで続くお預け……。殺生だ。そんなの殺生だあ……!!)
(……我慢だからね! 後で、きちんと食べられるから!!)
グラディルに雷を落としたくなった気持ちが伝播したのか、不意に、二人はセレナスの一瞥を受け取ってしまった。
「!?」
無表情、無言のまま、ぎくり、とする。
「…………」
何事も無かったように談笑に戻ったセレナスに、二人は胸中でため息をついた。
何か声を掛けられることになれば――落第。怖くて熱い灸――騎士団精鋭に拠る、居残り試験、が確定する。
とりあえず、危機は回避されたが、お喋りタイムは一時終了。
王女の衛兵本来の職務に戻った。
とはいえ、出番が来ない限りはそれとなく周囲を観察し続ける以外にやることが無い。
窮屈と退屈が一緒になった職務というのはラファルドも初めてだった。
自然、考えることが多くなる。
(権勢に興味が無い……王家を出奔する覚悟が在る――ということだろうか? ……やりそうな気がする。それも、びっくりするくらいスパッと。もし、その時にこの仕事が続いていたら――ん?)
ふと、視線を感じて、目だけを動かす。
視界に、セレナスを忌々し気に睨む男達の姿が引っ掛かった。
(さっき、ラディに顔を覚えて貰った連中)
ラファルドがさりげなさを意識して頭を動かすと、男達はそそくさと人混みに紛れて、姿を消そうとした。
グラディルなら、解っている。その程度では、ラファルドの「目」は欺けないと。
(……ふうん。サラスフェリア様の方に、動くんだ……)
”現実に”尾行しているわけではないので、彼らが第一王女から差し向けられた人間かどうかは解らない。
裏を取るべきか逡巡した所に、招待客として紛れこんでいた近衛騎士の姿が映り込んだ。
(!!)
王族付き衛士のA to Zを叩き込んでくれた教導役の一人である。
彼の目が彼らを追っている。ならば、ラファルドの出番はない、ということだ。
(体裁を整えて見せたところで、王族に喧嘩を売るような真似をしたことに変わりはない。チェックが掛からないはずも無いか……)
それでも、今一度、王女たちの様子を眺めておくことにした。
(……どうしてかな。一番後ろ盾が薄く、権力に縁が遠いと確定しているセレナス様が、一番無難にお勤めを果している気がするなあ……あんなに、お転婆な所をお持ちなのにねえ……)
ラファルドが目を付けたのは、王女を陰から支える侍女たちの空気と動きだ。
日常的に鼻っ柱がややお高い第一王女は五人の王女の中でも一番厚い人垣を築いているが、仕えの侍女たちは主人の不用意で、高飛車な言動が何時悪い方向に炸裂するか、はらはらしながら神経を尖らせている。
王女の中で一番男性に免疫が無い第二王女は、侍女たちが殿方の接近を阻止することにばかり注意を傾け過ぎて、少なくない客人たちに眉を顰められていた。
セレナスと二つしか違わない第四王女は場数がまだ少ない割に意地っ張りで、緊張の為に言動が硬い。助け舟を出したくても出せずにいる侍女頭に笑いを誘われてしまう。
10代になったばかりの第五王女に至っては、年齢からくる自然な幼さが物騒な爆弾も同然で、主人よりも周囲の仕えが緊張し過ぎていて、勤めがぎこちなくなっている有様だった。
一番自然に、集中して勤めを果せているのは、第三王女旗下の侍女たちだ。
侍女頭が一歩距離を取って見守っているが、細々と動き回る侍女の顔に不安の色は無い。
(人垣が一番薄いから? それとも、王女では父親によく似た分け隔てを作りたがらない人柄のせい? ……いや、皆不安なんだ。今宵から始まる晩餐会に、何かがあるのを嗅ぎつけているから。普段なら隠し通せる粗が透けてしまっているんだ。必要のない人員には詳細を伏せている。場合によっては、殿下でさえ知らされない。……でも、判るものが在る、ってことか。そう考えると……、主人が仕え人をどう見ているか、仕え人にどう見られているか、が出て来ちゃってる部分がある、のかも。それにしても――)
侍女に補佐されながら、続々と挨拶に来る客人をあしらっていくセレナスは、何処からどう見ても、清楚で可憐な王女だった。
(陛下――小父上に、良くも悪くもそっくりな娘御……か。今のところは父さんの人物評通り、だけど)
ふと、末の、腹違いの弟が詠んだ”星”を思い出した。
『宙天を巡る白と黒の諸星が落ち、黒白の影が忍び寄る。星が影もろとも消え去る前に、嫋やかなる百合を花開かせ、目覚めさせよ。さもなくば勇ましき竜を見出すべし。異なりし謳が、異なりし水を導く前に。さすれば、破滅は退くだろう』
(……とてもとても、そんな星の巡りが似合う人には――)
ふと、制裁を食らった瞬間がフラッシュバックする。
もう、痛んではいないのに、何故かラファルドはお腹をさすりたくなった。
(……うう、こんな時に……。まあ、お転婆だとは思ってるけど、どうしてお転婆なのかは知らないんだよなあ……)
清楚で華やかなセレナスの笑顔が、ふと、遠くなった気がした。
(そうだ。僕は知らない。まだ何も、知らない)
いずれ、爪弾きになる運命。そんな風に陰で囁かれていることは知っていた。
けれど。
ラファルドは知らない。
セレナスの喜怒哀楽を知らない。
彼女が何を思い、何を患い、何を願い、何と戦っているのかを知らない。
(……お見合い、か――)
主にクリスファルトが陰でこそこそと目論んでいる碌でも無いイベントを、少しは検討する価値が有るのかもしれない、と思おうとした――。
ぐううぅ、きゅるる……!
大変致命的な雑音が、耳に届きさえしなければ。
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