第48話◆昏く差す陰
文字数 2,701文字
そして、泊まらずに立ち去ったからこそ、知らずに済んだことが在った。
「ふん。中々に可愛げのある甥っ子殿ではないか――」
「何っ?!」
声のした方向にある物陰の一つから影がセルディムに向けて伸び、あと数mの地点で、草木が芽吹くように生える。
そして、セルディムの背丈と同程度の大きさに育ったところで、中から人が現われた。
セルディムは即座に、竜の爪をギラつかせて威嚇する。
素顔を仮面で隠した男は不敵な雰囲気を漂わせていた。
「おっと。騒ぎ立てていいのかな? 全てをありのままに告げたわけではあるまい?」
「……魔族風情が、余計な口を利く――!」
不逞の印象を拭えない男は、幾つもの特徴的な要素を容姿に持っていた。
長く尖った耳、人間から見て不健康な心証を与えるくすんだ色の肌、仮面の奥からでも解る縦に長く伸びた瞳孔。
仮面を身に着けていても、正体の全てを隠し切ることは出来ていなかったのである。
正体を看破されても、男はつまらなげだった。
「ほう? では、どうする? 何も知らない、前途有望な若者を巻き込んでみるかね?」
「――――」
セルディムは険しい顔で魔族を睨んでいた。
律義にも、魔族の男は30分を懐中時計で計り、懐に仕舞った。
「何が目的だ」
「話すのは構わないが……、その左腕。決裂前提では、困るな」
セルディムは表情を厳しくする。
「交渉が成立するという根拠は何だ?」
「おや? まさか、嫌だとでも言うつもりかな? 〈黒星〉のセル、殿」
「――貴様っ?! 何処で、その名を(やはり、そう来るか! だが)――!?」
予め探られているとは思った。
セレル=アストリア公国に魔族の伝手となり得るものは無い。
探すのが物であれ、人であれ、手掛かりも見当も無くあてずっぽうに、とはいかないのだ。
ただ、仮面の男の正体は、看破したように、魔族。
使うべきものを使えば、多少強引にでも、伝手を作り出せないことはないのだ。
問題は――。
男の笑みには不気味さが在った。
「潰すべきを潰しておかないから、こうなる。折角、兄上殿が説得してくれたのになあ?」
(誰だ……? 誰が、俺を売った――?)
セルディムの思考が急速な回転を始めた。
セルディムはかつて、ある組織に所属した。
その組織はもう、無い。公国から睨まれたことを契機に、セルディムが潰したからだ。
だが、組織のことを、詳しい内情を、知る人間が一人もいない、とは言えない。
セルディム自身、組織の全貌を把握していたわけではないからだ。
首尾よく逃げおおせた人間が居ても、与り知らなった構成員が居ても、不思議なことは無いのだ。
けれど、目の前の魔族に情報を売る誰かが居るとは思えなかった。
なぜなら、男は余所者だ。組織は余所者を是とすることが無かった。
何故か? と言えば、組織は魔族の手と力を借りていたからだ。
今でこそ、集落はおろか、拠点と呼べる土地や建物の一つも無いが、現公王ガルナード=アストアルが魔族放逐を成功させる前の大陸には、普通に魔族が暮らしていた。
組織が組み込んでいたのは、他所の大陸から海を越えてやって来た魔族ではない。同じ大陸で生まれ育った魔族である。
何故、そんな妙なことになるのかと言えば、魔族には生地によって族を括る性質があるからだ。
例えば、別個の家で生まれても、同じ村の出身なら兄弟と看做され、扱う。
その一方で、人間以上に「境界」にも拘る。
たとえ、家が隣だとしても、「境界」で隔てられた同士なら、赤の他人。
同胞意識が無いばかりか、心を許すことさえ躊躇する。
組織はそんな魔族の性質を利用して、諜報網と防衛網を構築していた。
目には目、歯には歯、魔族には魔族、だったのだ。
しかし、セレル=アストリア公国が在る大陸の魔族は壊滅した。
公国の征討を辛くも逃れた者達は大陸の外に繋がる伝手を頼り、這う這うの体で亡命したのである。
そして、公国は追撃を掛けなかった。
他国であれば、包囲殲滅も辞さなかっただろうに、大陸から叩き出しただけで良しとしたのだ。
だから、組織の残党は確実に存在する。
(それでも、魔族からの線は考え辛い。この男は外様だ。魔族にとって異邦の砂は他人の証。組織に与した魔族には、国家と敵対することの意味を呑み込んでいる手合いが少なくなかった。魔王でもない限り――、……魔王?)
セルディムはふと、組織の中では、比較的気心が知れた男の魔族の愚痴を思い出した。
(まさか、こいつ――!? ……探りを入れてみるか……!)
「まさか、お前――」
確信めいた疑惑を向けて来るセルディムに、仮面の魔族は悪びれ(?)なかった。
「はっはっは! 存じておるとも! セルディム=マグス=ファナム、であろう?」
怪しく、男の目が光る。
「――ぐっ(当たりだ)!!」
不意に、セルディムは腹を抑えて、崩れる。
片膝をついた所で、何とか、踏み止まった。
あと一歩で押し切れるようにも見えたが、目からは怪しい輝きが消え、男のため息に忌々しさが籠る。
「……つまらん。貴殿の名を白状させた男は、易々と鞍替えしてくれたがな。――人間から、魔族へ」
邪な笑みに、セルディムの感情が引きつった。
「魔王級……! ――ぐっ、が、ぁ(こんな、時に――!!)」
発作に襲われて、セルディムは地面に転がることを余儀なくされてしまう。
「? ……なるほど。使えないとは、こういうことか」
男は納得をため息に変えた。
「………!!」
てっきり、見切りをつけられたのだと思った。だから、セルディムは腸が煮えくり返ったのだ。
だが。
「ふむ。用途の判らない薬だと思ったが、役に立ちそうだな? 奴の言を丸呑みにするなら、人間で居続ける為の役に立つそうだ」
男が懐から取り出した、小さな、丸い容れ物はセルディムの頬に当たって、目の前に転がった。
叩き返すつもりで手に取り、男を見上げたら――見つめられていた。
その目に、セルディムを蔑む色は無かった。
だから、理解できてしまう。
魔族なら誰しも持つ、ごくありきたりな人族への引け目だったのだ――、と。
そして、男はセルディムの返事も待たずに話し始めた。
「それから、要請の内容は告げておく。奴は人間であることを差し引いても下世話だった。故に調教してやったが、貴殿には相応の敬意を払いたいと思っている。『――――』殿」
悶え苦しみながらも、セルディムは思考を回転させ続ける。
(……誰だ……? 誰が、俺を売った――?)
殴り飛ばすと決めていた。
こんなとんでもないのを差し向けて来てくれた礼に。
魔族は感情を覗かせなかった。
「何、他愛もない話だ。我々の目の上の瘤を取り除く為に協力が欲しい。内容は――」
そして、口の端だけで、冷たく笑った。
「魔王征伐。人間風に言うのなら、な」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)