第71話◆横槍(2)~都合
文字数 3,924文字
勇ましく吐き捨てたのはグラディルだ。
呼吸を整え直したラファルドが指を鳴らすと、氷像が林立する異世界は消え去った。
代わりに現れたのは、目を白黒させる人間達の群れである。
「――ば、か――、っ!! が、ぐ、っっはああっ!!!」
目を見開いて驚愕するフォルセナルドの胸から、グラディルは腕を引き抜いた。
崩れ落ちたフォルセナルドの前に、魔王ゼルガティスが姿を現す。
「――――!!」
吐血を堪えながら睨みつけて来るフォルセナルドに、魔王は憐れむ気配の在る目を向ける。
「お前達はずっと――言うならば風呂敷、に包まれた場所で戦っていた。真実、勝とうと足掻くなら、そこに気付かねばな」
「――、がっ、ぅ、は、ぁあ――!?」
呆然と見つめ返してくるフォルセナルドに、魔王はため息を返した。
「重症、と来るか……。これでは、何をどうしでかそうと勝ち目など在るまいな(……では、誰だ? ”穴”を開け――、……そうか!?)」
「昔を懐かしむのは、後にして貰っていいか? おっさん!!」
グラディルが魔王ゼルガティスに声を掛けた。
ラファルドと一緒に国王の前に引っ立てて、必要なことを吐き出させるつもりだった。
「……ああ(誰が”おっさん”だ!!)」
だが、ゼルガティスはグラディルを不可視の力で吹き飛ばし、そのままラファルドの真後ろに放り投げた。
「陛下……?」
「おっと。これが如何に余を崇めぬ不肖でも、我が民の内。その辺りに理解を貰えると嬉しいが……如何かな?」
感情の抜け落ちたラファルドの声が怖かったのか、魔王はお道化た気配を漂わせている。
ラファルドは怜悧だった。
「流石に、虫が良過ぎるかと」
今夜から始まる晩餐会は人間の側の苦労と努力の結晶だ。魔王ゼルガティスも骨を折りはしたが、公国のそれとは比べ物にならない。
まして、舞台となったのは公国。被疑者の生殺与奪も含めて(ゼルガティスと協議する必要が有るとしても)、主導権は公国に在るはずだった。
ラファルドの異議を援護するように、人間達が一気に不穏な空気を魔王ゼルガティスに差し向けて来る。
「……(やれやれ、だ。美味しい所だけ浚って行くな――!! か)そうさな。では、これを詫びとしようか」
フォルセナルドを不可視の力で引き立て、その怪我を魔力で治癒させる。
腹に掌底を打ち込み、掌で正中線を口腔に向けてなぞって、何かを吐き出させた。
「それは――!!」
ぼんやりと輝く半透明の球体を前に、図らずも、ラファルドとフォルセナルドの言葉が重なる。
「ふっ」
ゼルガティスが息を吹きかけると、一瞬で倒れている騎士の体内に舞い戻った。
「!!? っぁあっ! ――あ、あ、ぅう――、あ、あああっ!!」
魔法陣で拘束されていた騎士が息を吹き返し、苦しみ始める。
(何て、困ったことをしでかしてくれるんだ――!! これじゃ、手順が違う!!!)
何時にない険しい顔で、ラファルドは魔王ゼルガティスを睨みつけた。
だが、騎士が悶え苦しむのは魔に染まり、一定の変質を遂げていた肉体への拒否反応。
それを宥め、在るべきものを在るべき状態に戻すのは神祇の役目である。
それを放棄するわけには行かなかった。
歯軋りしたい心情も噛み殺して、魔王ゼルガティスに背を向ける。
そして、ラファルドとすれ違おうとしたグラディル(こちらも、頭と感情が沸騰している)を引き止めた。
「ファル!!」
「駄目!! ……交換条件だから――、文句はつけられない」
それでも噛みつきたいグラディルだったが、ラファルドが堪えている感情の熱さに気付かないわけにはいかない。
魔王の横っ面を殴り飛ばしたいのは、同じなのだ。
「…………」
「解りました。魔王陛下が何を焦っているのかについては、後で、追及致します」
冷静なセレナスの合の手に、グラディルも感情を呑み込む覚悟を決めた。
「お願いします。魔族の身体から、奪われていた人間の魂を取り出す――それは、前代未聞の術式になる予定でしたから。安全に手間が省けて、助かったのは事実ですしね」
「……だな。ディムガルダでも、手に負えたかどうか――」
国王の脳裏に在るのは、在りし日の親友の姿だ。
ラファルドはともかく、グラディルは現在のラファルドよりも優秀な術者だった、ぐらいにしか知らない。
それでも、すぐ傍の悪友よりも優れた術者が挑んでなお、対処不可能かもしれなかったという現状は留飲を下げる理由になる。
「……しゃあねえか」
「施術を始めます。……手伝って貰って、いい?」
「おう!」
輝きを失った魔法陣に立ち入り、苦悶を続ける騎士をグラディルが抱え上げた。
「――――、……ん……、?!」
意識を取り戻した騎士は、心配そうに見守られていることに狼狽する。
そして、その面子の中に国王の顔が在って、更に狼狽を深くした。
「こ、これは――! そ、その……?!」
事情を呑み込めていないらしい。
(要するに、覚えてないってことだろうけど……)
見守るラファルドの表情は冴えない。
「気にせずとも良い。非常事態だった」
国王が手を貸して立ち上がらせると、人間の歓喜と安堵が大広間を満たした。
「ああ――! 俺の、俺の――!!」
悲痛な顔と声で、騎士に手を伸ばそうとするフォルセナルドに、ゼルガティスは疲れたため息を零す。
友好的な間柄でもなければ、信奉されてさえいないが、曲がりなりにも王とその民である。
弁明のべの字すらすっ飛ばして、即席の配下に執着されては、呆れる以外の選択肢が無い。
「お前に族は無い。授けた覚えも無ければ、許した覚えも無いのだからな!」
「貴様――!!」
暴れようとしたフォルセナルドを赤子の手を捻るように締め上げ、力任せに床を舐めさせる。
首を動かせる自由を与えてやれば、二人の視線は正面から衝突した。
「フォルセナルド」
窘めているとも、意味深長とも解釈できる調子で、ゼルガティスが呼びかける。
「……っ!! ……、――――」
効果は劇的だった。
怒り狂いかけた顔が突然表情を失い、意志を宿していた目が一瞬で曇って虚ろになったのである。
締め付けから解放されると、眩暈に襲われているようにふらつきながらも自力で立ち上がり、壊れかけた仮面を被ったまま魔王ゼルガティスの足下に跪いた。
「面を上げい」
「……はっ!」
傲然と命じる魔王に、フォルセナルドは恍惚を宿した目を向ける。
「――?!」
フォルセナルドの態度を見苦しく、不快だと断じていた人間達の間からも息を呑む音が連鎖する。
誰もが不吉で不穏な予感を抱えて、魔王と魔族のやり取りを見つめていた。
「……ファル。あれって――」
グラディルも空気に呑まれたように、魔族の主従(一応)を見つめている。
「王のカリスマ、だろうね」
ラファルドは険しい表情のまま相槌を打った。
罠である晩餐会は魔王ゼルガティスと提携した作戦。
被疑者の殺害が無理筋であるのは判り切った前提だった。
けれど、ラファルドは殺害も辞さない決意を思い知らせなければ、フォルセナルドの心を折ることも不可能だと考えていた。
問題は、人から魔に堕とされた騎士の容体である。
時間をかける程、魂と切り離された肉体の変質は回復不可能に近づき、腹に収められた魂は消化されてしまう。
時間との競争はとっくに火蓋を落とされていた。
最悪の結末は、完全に魔物と化すことを阻止する為の殺害だ。
それを阻止するには、奪われた魂を取り戻さなければならなかった。
前例は、存在する。魂を取り戻せば正気に戻り、魔に堕ちたことで生まれた歪みも浄化することが可能。けれど――。
魂を奪った魔族から、当の魂を取り返す方策については前例が無かった。
ただでさえ時間が無いのに、公国は魂を大人しく吐き出させる手段から模索を始めなければならなかったのだ。
ゼルガティスが騎士の魂を取り戻してくれたことは、有難くないはずがない。
けれど、もう少し人間への理解が欲しかった。公国への信用が欲しかった。
(如何なる間違いも許されないというのに――!!!)
「――――、……、――?!」
不意に、フォルセナルドが我に返る。
そして、状況を呑み込んだフォルセナルドは恥辱に身を震わせた。
だが。
「ん?」
「――、……へい、か。お――こ、とば――畏れ、多く――」
ゼルガティスがプレッシャーをかけると、憤怒と屈辱に塗れた表情が虚ろな恍惚の中に沈む。
しかし、それに抗おうと、フォルセナルドは自分に喝を入れ始めた。
「……抵抗しているように見えますけれど?」
セレナスは努めて感情を殺していた。
「そのようですね。聞いていた話では、抗えないということでしたが……」
「で、結局、あいつはどうなるわけ?」
フォルセナルドの扱いを、グラディルが聞いてくる。
身柄は引き渡すことになる。それは、グラディルも解っていた。
当初の予定では、公国から魔王に引き渡されることになっていた。そこが、肝心なのだ。
魔王が渡してもいいと考える情報と、公国が是非とも押さえておきたい情報が一致する保証は何処にも無い。だから、魔王に身柄を引き渡す前に、公国独自に情報を搾り取っておく必要が有った。
けれど、現状は、公国が身柄を押さえられる機会が在るかどうかも怪しくなってしまっている。
「情報の提供は在るだろうから……、結局、予定通りに終わるんじゃないかな?」
そして、少年少女の(どちらかと言えば)密談に結論を突きつけたのは、国王だった。
「公国が、何処まで魔王陛下に信を置くか――だな。それ次第で、成果は如何様にも変わろう」
グラディルとセレナスは微妙な顔で国王を見つめる。
そして、ラファルドは。
「謀を回すのは、机上の論理を呑むに似る、とか? 振り出しに戻ったのでなければ、是とするべきなのでしょう」
自身に言い聞かせているとも取れる呟きに、国王はため息をついた。
「……かも、な」
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