第84話◆様相
文字数 4,895文字
ドラゴンを王都内部に押し留め、人質を奪還して捕縛する為の作戦現場は、戦場さながらの荒れ具合を呈していた。
まずは、巨人も真っ青な威容を誇る白いドラゴンが、人質を片手に暴れている。
ついで、増援と思しき魔族(複数)が、宙空や建物の屋上等から、攻撃魔法を手当たり次第にぶっ放しまくってくれていた。
思しき、なのは、ドラゴンと魔族の関係が今一つ読めないからだ。
公国の包囲を嫌がっている点では一致しているのだが、魔族の攻撃魔法の流れ弾が、結構、ドラゴンにも命中しているし、ドラゴンはドラゴンで、積極的でこそないものの、巻き添えを避けられない魔族を手に掛けることに躊躇が無い。
ただ、一方で、両者は意図的に連携しており、魔族を増援と看做しても問題の無い状況だった。
「……、おのれ! ちょこまかと!」
苛立った現場指揮官の一人が歯軋りをする。
作戦本部は、作戦領域を二つの半円に見立て、それを互いに接近させ、接合させることで包囲網を完成させようとしていた。
王都の大通りを疾走して逃げようという、ドラゴンの目論見は、作戦成立の為の時間を大幅に削ってしまう。
多少無理矢理でも、障害物となり得る建造物が密集する方向――居住区に押し留めたかった。
ちなみに、捕縛部隊以上に忙しいのが、民衆の避難誘導に当たっている裏方だ。
捕縛作戦は公国の都合であり、人民に損害を出すわけには行かない。
ドラゴンと作戦の被害が想定される区域となる前に、全住民(ホームレス込み)の避難を完遂させなければならなかった。
刻一刻と移動する対象と、変化する作戦領域に応じて。
魔族達がゲリラ戦術的な攪乱を重視するのは、嫌がらせに徹する為だろう。
二つの作戦領域の内側に相当する空間の宙空を飛び回る者、騎士団の陣地よりも若干外側で、比較的高めの建築物の屋上を飛び歩く者。
そのいずれもが攻撃魔法を乱雑にばら撒いてくる。
全くの適当に見せかけながら、疑似的な挟み撃ちを何か所にもわたって作り出し、神経をかき乱すような混乱を産み出そうとしていた。
〈結界〉に魔法能力を制限されていなかったら――瞬間移動同然の高機動力と、優に5倍以上の性能差をひけらかす攻撃魔法の嵐、である。
悪夢以外の何物でもない。
そして、さらに現場が荒れる原因となっているのは、〈結界〉の効果範囲の限度を示す大城壁が、見上げなければならないほど間近に迫っていることだった。
(糞っ! これ以上、城壁への近接を許せば――作戦が破綻する!!)
実働部隊として従事する誰もの胸中に、同じ焦りが在った。
そこへ。
「そこ! 陣形を崩さないで!!」
ラファルドの叱咤が届いた直後。指揮官の目の前で、攻撃魔法が着弾した。
「……あ、危ない――」
無自覚に、味方の防御魔術の効果の外へ足を踏み出していたらしい。
危うく難を逃れて、指揮官の騎士はため息をついた。
「全く、あ奴は……! 何をしておるのだ……!!」
人質でありながら、器用にも、戦局に干渉してくるけったいな少年。
さっさと逃げだして来いと愚痴る国王ガルナードは現状の戦況を一望可能な建物の一つに、割とこっそり目に陣取っていた。
公国最強の武人とはいえ、居場所が簡単に割れては、別の窮地を招きかねない。
……だったら、現場に押しかけずに、玉座で大人しくしていろ! という苦情も当然のようにあるのだが。
苦情を押し切ってまで最前線に近接するのは、王都の城下が自分の庭だという自負と、見逃してはならない、見届けなければならないという義務が在るからだ。
(……あの、白い竜……)
その正体がガルナードの予感通りの者であるならば――それは、不吉にして、赦されざる存在。
(クレム――、お前の遺言を忘れた日は、一日も無かったつもりだが――)
苦情を押し切る代償として押し付けられた、総勢12人の騎士達(近衛:7、騎士団:5)の気忙しそうな視線にも気づかずに、戦場を凝視していた。
ちなみに、騎士達が緊張で張り詰めているのは、厳重な〈視覚偽装〉を施してなお、何時戦闘に巻き込まれるか判らない不安(2割)と、何時国王が現場に雪崩れ込む決断を実行するか不明瞭である現実(8割)がごた混ぜになっているからだ。
「恐らくは、あの竜のせいかと」
声を掛けることさえ躊躇われるような国王の集中に割り込んだのは、クリスファルトだった。
割と異彩を放つ普段着から、動きやすさを重視した丈夫な戦闘装束に着替えている。
「〈飛翔〉による空中機動と建物の高低を利用した魔術による妨害は、包囲を遅らせる為だけではないでしょう。陛下もお気づきのはずです。あの竜は、〈吐息〉も魔術も撃てないわけではありません。撃たないのです」
「……ふん。けったいな轡役よな(まさかとは思うが……クレムの遺言を聞いていたりしないだろうな)……!」
神とは、時に人間の良心の寓意となる。
そして、その力を〈契約〉に基づいて借り受け、行使する神祇は、良心と共に在る者と看做される。
神祇の力は良心によって媒介されるとも言われ、良心は時に悪心を糾弾し、咎める者となる。
良心が悪心を咎める時に生まれる罪悪感を以て、意図的にある種の行動を結果的に阻害する現象、それを、冒険者は〈罪悪〉と呼んで、状態異常の一種と看做す。
クリスファルトは、ラファルドが人質にされることで、竜が〈罪悪〉状態に置かれているから、〈吐息〉も魔術も出てこないのだと言っているのである。
「……では、魔族共が対象の、目測、半径5m以内に近づかないのも……?」
声を掛けるタイミングを伺っていたのだろう騎士の一人が出て来る。
戦闘経験においては(あろうことか)国王の方が豊富であり、監督役という役目が無ければ、色々話をして知見を深めたい衝動を誰もが持っていた。
戦場に立つ騎士は名誉職ではない。戦闘職種である。
国王がクリスファルトを一瞥する。
応対は任せたということだ。
苦笑は胸中に留めて、クリスファルトは頷いた。
「はい。巻き込まれて、魔術や魔力を失いたくないからでしょう」
加えて、国王がさっさと逃げて来い! と愚痴りたくなるにも、理由が在った。
竜はかれこれ30分近く、近衛と騎士団の混成部隊を相手に、暴れ回っている。
ラファルドはずっと手に握られたままであり、竜の腕の動きの応じて、ずっと振り回され続けているのだ。
急加速が在れば急ブレーキも在り、基本は円周軌道だが、半周だったり、一周半だったり、適度な長さを描くことはまずない。おまけに、軌道が直線になることも、ジグザグに揺さぶられたことも二度や三度ではない。
(不可抗力だとしても)好き放題振り回されても失神の一秒もせずに戦況を俯瞰して把握し続け、時に指揮棒さえ振れるのは、見事と褒めるしかなかった。
というか、普通、気絶する。下手をしたら、首の骨が逝かされてしまう危険性すら否定しきれない。
それを防ぎ切れるほど鍛練を欠かしていないのなら、隙の十や二十、見つけ出せないはずがない! という、国王のなりの確信が在ったのである。
どうせなら、手綱まで奪って欲しい。そんなことまで愚痴りたかったが、それは流石に内心に留めておいた。
騎士とクリスファルトの対話は続いていた。
「では、魔族が離脱もせずに援護を続けるのは……?」
竜を囮にして逃げてしまえばいいのでは? という可能性である。
「晩餐会での嫌がらせに失敗した意趣返しでしょう。嗾けるタイミングを狙っているかと。〈結界〉を機能不全に追い込めば、逃げるのも自由、でしょうしね」
クリスファルトの推察に、国王が興味を示した。
「見積もりを聞こうか?」
轡が無かったら、という被害予測を指している。
そして、自身が指揮官だったら、状況をどう動かしていくのか? という判断材料の供出をも求めていた。
どうやら、国王もその線が濃いと見当をつけたらしい。
クリスファルトはそう判断した。
「あれが成竜だとしたら――ですが。半径10㎞相当の区画は、灰燼に帰して不自然は無いと」
「――――?!」
過激以外の何物でもない予測に、聞き耳を立てていた騎士達が絶句する。
現状の作戦区画は半径1㎞程度。捕り物となるはずの荒事の舞台は数百mに想定している。
さらに、作戦区画の5倍の同心円を策定して、市民の避難誘導を同時に敢行していた。
それが。まさか、想像を超えて甚大な被害の危険性を抱えていたとは。
しかし、国王は顔色一つ変えなかった。
(……セレナスめ……! とんでもない釘を貰って来おってからに……!!)
『その竜は、叶う限り、殺さずに仕留められますよう!』とは。
現状、押し切られが目前の忸怩たる有様なのに、戦況は公国に有利で善戦を達成しているという。
しかも、白い竜を支援する魔族の狙いがクリスファルトの仮定通りである可能性は小さくなく、結果はどうあれ、速攻で片してしまうことが肝要に思える。
だが、それは悪手だと親友は言う。
そして、「殺さずに仕留める」目算が立たないわけでもない。
ラファルドを握らせたまま、対象を制圧してしまえばいいのだ。
賊がラファルドを握っている限り、親友の助言を生かす好機は必ず訪れる。
来なければ、強引にでもこじ開けるまで。
その為に必要な増援も、前線に近接中だという報告が届いていた。
個人的な感情を言うならば、殺してしまいたい。仇を討つことにもなる。
「……とんでもなく、けったいな轡よな……!」
ただ、現状を維持しているだけではじり貧だ。王都の敷地を越えられては、逃走を許すばかりか、少なくない人的被害も確定してしまう。
追手を振り払う為の目晦ましに強大な破壊力を秘めた一撃を見舞う、のは、常套とも呼べる手段だ。
騎士達は死力を尽くしてでも、竜を逃がすまいと縋りつくだろう。それが、犠牲を不可避にする。
かと言って、適度な地点で見切りをつけ、逃げられてしまったことにするのも上策ではない。
神祇の異能は、悪用された時が特に怖い。
おまけに。
(魔族放逐が裏目に出ているな……。魔王級魔族が先刻のフォルセナルド一人だけ、という確証が取れない。……まあ、魔族の陛下、という手札も在るには在るが……出来れば、な)
頼りたくはないが、魔王である。
魔王級魔族だろうと、歯牙にもかけない実力を持つ強力な札に違いは無い。
全く生かさないという贅沢は出来そうになかった。
現状の公国には魔族に対して豊富な経験と知識を持つ人材が乏しいのである。
(公国にとっての最善を追求するなら――この轡を見逃す手は無い――か)
ラファルドはガルナードにとって、心を許せる貴重な知己の一人。
国王という商売の因果さを噛みしめる破目になろう――
「陛下!!!」
「――――、!!」
クリスファルトの警告で我に返った瞬間、真っ赤な閃光が炸裂した。
「……猪口才な……!!」
クリスファルトの張る防壁に守られて無事で済んだが、考え事に集中し過ぎたらしい。
怪しい箇所が在る、と、魔族に見当をつけられてしまったようだった。
念の為で、中規模商店が入居できる建物が半壊する程の攻撃魔法を放り込めるとは、中々に過激。
手加減は無用と判断せざるを得ない。
「…………!!」
国王の存在に気付いた宙空の魔族は、更なる追撃を目論んだ。
だが、騎士団が容赦の無い反撃を間髪入れずに浴びせかける。
魔法、槍、(投擲用の)短剣、銃弾、矢と、飛び道具の集中砲火が牙を剥いた。
「――――」
最初こそ、結界の中で舌なめずりをしていたものの、あっという間に青ざめ、驚愕し、結界が破壊される瞬間を目撃する破目になった。
「!!!」
悲鳴すらも破壊されて、落下する。
更に止めの集中砲火を見舞われた後、騎士団の捕虜回収部隊が残骸を浚って(蘇生可能かどうか、判別する為)、あっという間に後方へと離脱していった。
「……やれやれ、だな……」
新たな”隠れ家”を今から探し出さなければならない手間を思って、ガルナードはため息をつく。
よくもやってくれた。そんな忌々しさを籠めて、適当な、宙空に陣取る魔族の一人を睨みつけた。
「――む?!」
「……如何され――、――あれは!?」
様子を窺って、国王の視線の先を追いかけたクリスファルトも、全てを俯瞰するように一人で宙に佇む、謎の人物に表情を険しくした。
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