第79話◆逢魔~痛恨
文字数 4,032文字
完全に不意を打たれ、ラファルドは弾かれたように振り返る。
「誰だ――?!」
真っ青な顔で、更衣室中を見回した。
「――(居ない)――!? (……違う。――居る!)……隠れ身、ですか……。曲者で確定、ですね」
「如何にも。曲者だよ、俺は」
「――(今の声、確か)――!!」
余裕に満ちた、太々しさだけでも憎らしい声の出所よりも、聞き覚えがあるという事実にラファルドは戦慄させられる。
「……一体、何の用です!?」
厳しく問い詰めるラファルドの背筋には、冷たい汗が伝っていた。
「知りたいことが在るんじゃないかと、思ってね。例えば――」
台詞には紛れもない悪意が籠っていた。
「君の術――〈敷布〉、に、穴が開いていた理由、とか?」
「――――」
ラファルドは言葉が出てこなかった。
「勿論、俺が食ったからだ。だから、君は折り畳みに失敗した――わけだ。流石に、一口で腹が膨れようとは思わなかったんだが――」
「……貴方は――!! 解っているんですね!? 何を言っているのか!!」
何処かで、誰かが嗤う気配がする。
「犯行声明。それ以外に、何がある?」
いっそ、穏やかなくらいの口調はラファルドの考える最悪を覿面に痛打した。
(脅迫されて、とか、無自覚に利用された――とかだったら!! ……性質が悪くはあるけれど、まだ……まだ、救いがある……! 気がしたのに――!!)
ラファルドは最早、覚悟を決めなければならない所まで、追い込まれていた。
「……彼を、逃がしたのも――?」
フォルセナルドの名前は覚えている。それを口に出来なかったのは、心の何処かで、人違いであってくれという希望的観測が残っていたからだ。
魔王ゼルガティスの掌中に墜ちかけていたフォルセナルドを逃がす破目になった一撃。
幻術を神通でコーティングした、 特製の変装を確実に看破していた一撃。
それを、放ったのは――――。
「俺だ。それが、どうかしたか?」
断言には愉悦すら、籠っていた。
(…………最悪だ。最悪だ――!!! ……でも、落ち着く! 泣き喚くなんて、何時でもできる!! それに――好機は、必ず、来る! そこを狙って、捕り押さえるんだ!! あれこれ考えるのは、それからでいいっ!!!)
ラファルドは心の中で深呼吸をすると。
「お縄について頂きます!! 現行犯としてね!」
嗤う気配が在った。
「ほほう。では、やってみせて貰おうか。出来るものな…………、ら――、ぐぅっ!!」
不敵な台詞は途切れて、発作の苦悶に取って変わられる。
(やっぱり……! 出会った時から、調子良さそうには見えなかったしね)
彼の体調を思えば余計な負担を掛けることは好ましくないが、躊躇っている場合でもない。
ラファルドは〈拘束〉の術式を発動させた。
誰も居ないはずの空間に、輝く術式が動くことを妨げるようにまとわりつく。
(よし! 捕まえた――!!)
「……っ、ぁ、……っ、ぅ、――ぃ、が、ちが――、ぅあ、た……れ、は……ぉ、っがああああっ!!」
「……?」
セルディムの呟きは、誰のことも見ていない。
そのことが気になったラファルドの掌に、内側から押し開けられる違和感が生まれて。
そして。
「――(術が……、破壊――)?!」
涼やかな音が響いて術式が消滅し、誰かが崩れ落ちる音がした。
「……はあ、はあ、はあ……っ、ぅ、っぁ、あ、はあ……はあ……」
荒い呼吸音だけが、ラファルドの耳に届く。
「…………、そんな状態で荒事は、到底無理ですね? 大人しくして下さい。命のやり取り云々は本意ではありませんので!」
最悪の予感を胸に、ラファルドは曲者が居るはずの場所――出入り口から右手の角、へ足を向けた。
「……る、……な……、……れは、だ…………に、――――く。くくっ……。やはり、下種か……。俺を、手駒にしたか……! あ……、の、お――と、…………こ……」
荒い呼吸に紛れる呟きに注意を払いつつ、隠れている場所の前に立つ。
引っ張り出そうと手を伸ばして――――、手が空を切った。
「っ!!?(え、――――ええっ??!)」
ラファルドは慌てて部屋中を見回し直す。
そして、出入り口から一番遠い、部屋の角――窓際のカーテンに隠れられる位置、に、空間の歪みのようなものを見つけ出した。
すかさず駆け寄って探ると、布のような感触が返って来た。
「これ、隠れ身の織布……!?」
一定水準の魔法技能が必要になる為、簡単に作れる物ではないが、魔法道具としては平凡の域を出ない品に、ラファルドは屈辱に似た悔しさを覚える。
(…………隠形自体は向こうが上手、ってこと……。案じなければいけない病状に救われた――か。……贅沢言ってる場合じゃないね。確かめないと。――確かめたくなくても)
そして。
潜んでいた者の正体を暴いて――予感通り、後悔した。
「……セルディムさん……!!」
ラファルドの胸中は後悔と怒りがごた混ぜになっていて、収拾がつきそうになかった。
「どうして……、……どうして――!!」
ただでさえ、感情的に揉めた後なのに――
(こんな事実、どうやって伝えろと――!!)
長年生き別れていたグラディルの叔父が、グラディルが再会を喜んでいた相手が。
公国に悪夢をもたらそうとした魔族とつるんで、悪事を為していた――、なんて。
解ってはいる。
さっさと、力任せにでも拘束してしまうべきだ、と。
セルディムの容体は深刻だ。時間を掛ければ掛ける程、悪化する。間違いなく。
問題は、術に穴を開けたという絡繰りと、身体能力は間違いなくセルディムの方が上という事実。
確実性を求めるならば――密やかに増援を手配し、逃げ場を潰してしまうこと。
真犯人に繋がる糸だと伝えれば、間違いなく、確保を最優先にした一団が派遣されてくる。
時間を稼いで、セルディムの行動を妨害する程度なら、今のラファルドの手にも負える。
(……彼は――、セルディムさんは、逮捕されなければならない……!)
今宵の晩餐会で起きた、幾つもの事象。
それに、彼は関わっている。
特に見逃せないのは――、国王が魔に堕とされかけたこと。
そして、一人の騎士が……いずれ、魔に堕ちることを約束されてしまったこと――。
身柄は「国に」引き渡し、知らされるべき事実は、全て詳らかに暴かれる。
そうでなくてはならないのだ。
国王は無事を手配できた。けれど、あの騎士は――。
フォルセナルドの、あの執着。
そう遠くないいずれ、彼は公国から、姿を消すだろう。
それを阻止できるのならば――手段は選ばれてはならない。
そう、解っている。
ただ。
その選択が齎すだろう、結末。
それを、ラファルドは後悔無しで受け止めることは、出来ない。
出来るはずがない。出来たとしたら――そこに在るのは、欺瞞だ。友情の名を借りた欺瞞だ。
なぜなら、身柄を引き渡せばセルディムは非業の死を遂げることになる。
手段が「選ばれてはならない」とは、そういうことだ。
そして、それは絶対的な確率を以て、グラディルの心を引き裂くだろう。
癒すことが二度と叶わないかも、しれない。
では、知らなかったことにすれば――、いいのだろうか?
いや、黙っていたことを激しく咎められたばかりだ。
説明すれば解ってくれるだろう。
けれど、壊れる。間違いなく、壊れる。絶対に、壊れる!
(……でも、僕は……、僕は――!)
約束した。
当人には内緒だけれど、神祇として、一人の少年として、叶う限りのことをすると。
自分で決めた。
だから――。
極力、グラディルの心に添う努力をするのがラファルドの役目だ。
逃げられない。
それでも、今、セルディムを見逃すという選択肢は在り得ない。
(……せめて、今、この場に居合わせてくれたら――――!!)
そんな逃げ口上に縋れたら、どれほど良かったか。
ラファルドは、逃げられない。
責任を持たねばならないから。
それは、友人に対してだけ――ではなく。
「どうして……!!」
セルディムは厳しく光る眼で、ラファルドを見据えていた。
「……き、まっ――ぐ、ぅ、ぅううぁ……、あ、あああ――!! ……いる! 君に、用が在、るから、だ――! 来ても、らうぞ。一緒に、な」
壁に背中を押し付けながら、無理矢理呼吸を抑え込みながら、自分を押し流そうとする眩暈を振り払いながら、セルディムは立ち上がった。
「そんなの、無――、――!?」
ラファルドの目の前に在った人間の姿が、一瞬で鱗に覆われた異形へと変質する。
(これは……!!!)
幻想的に輝く白い鱗。それはまるで、独自に意思を持つように波打っている。
しかし、どれだけ美しく見えても、ラファルドは不吉な印象しか持つことが出来なかった。
(変身できる人は、もう、いないんじゃ――?!)
グラディルから聞いた話と、(主治医に就任するにあたって)館の書庫で調べ上げて手に入れた成果を組み合わせて得た結論を覆す事実に、ラファルドは絶句する。
「皮肉な、話だ。寿命、を、削る、程にま、で高まった、〈力〉が――、役に立つ、日が、来るか――!」
「!!? 待ってください!!(今の話は?!) こんな状態は!!」
多少強引にでも説得しようと近づいたラファルドは、指が鋭い爪へと変化した手で腕を掴まれた。
爪が地肌に食い込んで、ラファルドは反射的に顔を顰める。
「否は無い。君の〈力〉は俺には通じない!」
通じなければ、治療を試みることすら、出来ない。
それがラファルドにとっての事実だったが、今はどうでも良かった。
セルディムは自ら口にしたのだ。
「だからと言って、これは――!! こんな状態は、無茶です!!!」
『寿命を削る程にまで高まった〈力〉』と。
「解っている!!!」
食って掛かるラファルドを、負けない怒号でセルディムは迎え撃つ。
「……解って、いるんだ――。俺には、もう、時間が…………な、――っ、ぃ、っ、ぅ……ぁうう、う――っ。!! ――あ」
セルディムは目を真ん丸に見開いて硬直した。
「?! ……セル、ディム……さん?」
恐る恐る呼びかけるラファルド。
しかし。
「――――あ、ああああああっ!!」
絶叫はあっという間に咆哮へと変わり果てた。
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