第65話◆悪い夢
文字数 3,669文字
「ほう……? 今更、国が欲しいと抜かすか? 」
「要らぬわ。魔の王ともあろう者が、泣き言、寝言、戯言なんぞに執着するから、その目を覚まさせてやろうと言うだけの話」
吐き捨てた仮面の魔族に、国王は不快気に目を細めた。
「ほう? 大した執着だ。臣下の法を超えてまで、仕えるべき王を諫めようとはな」
王の意に反している――不忠者、という皮肉だ。
元騎士の傍から動かないラファルドは表情を消していた。
(……大層な交換条件ですね……。王を堕とされたくなかったら、帰せ、と?)
国王と対峙しながら、時折、視線を魔人に逸らす仮面の魔族。
何をしに来たんだと呆れ、弾劾したいくらいだった。
悪夢のような予行演習が無ければ。
(応じられる取引ではないし……)
ラファルドは、視線を魔族から国王に移す。
振り返りもしない背姿は巌の如き覇気を漂わせていた。
(応じる意志も無し……か。”切り札”は用意してある。――けど。何だろう、この不安……。何か、見落としていることが在る、とでも……?)
胸中に立ち込める不安が何を意味しているのか。
この時のラファルドには理解できなかった。
「だが、当の王に迷惑がられては、逆効果だと思うが――?」
場合によっては斬って捨てると、国王は腰の剣に手を掛ける。
「くくく……! 要らぬ気遣いよ。効く薬が目の前に在るからな。これを見れば――、否が応でも目を覚ます! 未来を案じると言いながら、弱腰に走る王が紛い物だとな!!」
「!?」
満場の注意が仮面の魔族に集まった。
斬り捨てる為に走り出した国王を、ラファルドは結界から〈透過〉させる。
「さあ!! 我が意、我が力の前に膝を折れ! ガルナード=セレグラム=コルフ=アストアル!!!」
「――!!」
仮面の魔族の喝を浴びた途端、国王の動きがピタリと止まる。
「……!?」
何故、自分が動けなくなったのか、国王は理解できていなかった。
「……ほう? 流石は歴戦の勇士――ということか? だが――」
仮面の魔族の目が、背後の環視からも判るほど、ギラりと輝やく。
「!!」
国王の身体が打ち据えられたように震えた。
「難儀なものよ。なまじ、高名であるばかりに」
「――――!!」
環視の人間達から空気を引き裂く悲鳴が一斉に生まれ、続々と広がる。
泡立つような異音と共に、国王の腹が膨れ上がっていた。
「こうなるのだからな!!」
破裂すると、誰もが危惧したほど膨れ上がった国王の腹。しかし、膨れ上がらせた何かは浮かび上がろうとするように上方へと移動を初め、次第に大きさを縮めていく。
それでも、喉が異様な大きさに膨れ上がり。
「お父様っ!!?」
国王が白目を剥いた瞬間に、セレナスの悲鳴が上がった。
断続的な痙攣を起こしながら、国王の口腔が異様な大きさに押し開かれ、見えない糸で引っ張られているかのように、半透明の、淡く光る球体が出て来る。
「――――!!!」
「…………」
悲鳴のボルテージは最高潮に達したが、国王は一仕事終えたようなため息をつくと、蕩けたように虚ろな目で、ふわふわ浮かぶ球体――自分の魂を追う。
国王の身体が騎士の時と同じように出来上がると、魂はゆっくりと、サイズを縮めながら、仮面の魔族の方へ進み出した。
(……焦るな……!! 札の切り時はただ一度。慎重に見極める! それに――やれること……、やるべきことはまだ在る!!)
ラファルドは腹を焼き焦がされるような屈辱を味わいながら、努めて、己に冷静を強いた。
「――!?」
魂を引き寄せる速度が目に見えて緩やかになると、仮面の魔族から狂喜の気配が消えた。
「ほう……? 味な真似を――。ふむ、貴様のような餓鬼がセルゲート家、ということか……!」
魔の力に囚われた魂に干渉し、努力でも、引き戻すことが出来る術者は、異能を揮う神祇にしか在り得ない。
しかし、仮面の魔族の口元は殊更邪悪に歪んだ。
「だが、無駄なようだぞ? どうする!? さあ――!!」
速度は落ちても、引き戻すには至っていない現実を揶揄する。
そして、そこには、このままではラファルドも巻き添えになることの示唆も含まれていた。
露骨で下世話な煽りだとは解っている。ラファルドは無感情に徹した。
「……まったく。何から何まで卑小な人物ですね……! 英傑の魂を取り込んだところで、得られるのは偉大になれた錯覚だけだと言うのに!! 身の丈からかけ離れた野心は、油分を濃厚に染み込ませた乾布と同じ。着火したら、最後。焼き尽くすまで止まらない滑車だと弁えなさいっ!!」
「……ふん! 空言を――。国が堕ちる刻、それは目前に在ると解からぬはずも無かろうにな」
(何故、苛立つ――? 仕掛けて、起きながら……!)
ラファルドは分の悪い綱引きに苦悶しながらも、神祇としての勘に引っ掛かった事象を追う。
「……国が、堕ちる……!?」
セレナスの呟きは、狂乱寸前の危うさを秘めていた。
聞きつけた仮面の魔族の口元が歪んだ。
「ほほう。知りたければ、教えようか? 王を堕とす――それは、王を奪うことと同義。魂を奪われたものは、魂を奪ったものに隷従する。あたかも、神とその被造物の如く、な。王を堕とすことは国家の命脈を奪うこと。国家の戴く王が偉大な存在であるほど、その衝撃も深く、大きく、致命的なものとなる。そう、今まで人間共が疑うことなく信じて来た常識を根底から破壊することも容易い。今日であれば、王の後を追って、自発的に人から魔へ堕ちる者も続々と現れるだろうよ。そして、そうなれば――終わる。人族社会そのものの破綻と終末だ! たとえ、異なる大陸の出来事だとしても、最凶の悪報として、津波の如く伝播するだろうなあ!!」
「――、……なっ?!」
セレナスは驚きこそしたものの、理解も感情も、全く追いついていなかった。
ラファルドは強引に割り込んだ。
「……頭の無駄遣いですね……! そこまで回せるなら、正々堂々、公国にも魔王陛下にも、喧嘩を売ればいいでしょうに……!」
仮面の魔族の目が、険しくギラついた。
「――ほう? 陛下、と呼んだな? あんな、屑を――!」
「(?)……ええ、陛下の尊称に恥じる方ではありませんでしたからね。貴方とは違って!」
仮面の上からでも、魔族の男が顔色を失くしたことが分かった。
「…………そうか。貴様ごと迎え容れるのも一興、そう思ったがな。仕方ない」
仮面の魔族の視線に、国王の身体がびくり、と反応した。
「ガルナード=アストアル! 新たなる契りを、血を以て祝そうぞ!! 此処に在る犠牲を――心置きなく屠れ! 血が滾るほどの歓喜のままに弑するがいい」
「?! ――」
人間の視線が公国の英雄に集中する。
魂を抜かれた英雄は虚ろな顔で、蕩ける笑みを口だけで作り。
剣を引き抜くと、狂戦士の如き殺意を全身に纏った。
そして、仮面の魔族に背を向け、ラファルドの前に立つ。
ラファルドは目を閉じることさえしなかった。
国王の歩みからも、振り下ろされる剣からも。
鈍い音と共に、熱く、真っ赤な血が飛び散った。
「……ラディ(どうして――)……」
グラディルがラファルドを庇っていた。
「……さっさと……、……しろ……!」
背中を肩から斜めに斬り裂かれている。
生きていられるのは、竜の血の恩恵が在ればこそ、だった。
(こんなことを、したら――!!)
「お父様っ!!」
悲鳴とも咎めとも取れるセレナスの叫びに、我に返る。
そして、鈍い金属音が生まれた。
斬撃を十字の構えで受け止めたグラディルの両腕は――金属の光沢を帯びた鱗に覆われていた。
鱗は背中の傷口にも添うように生まれ、覆い隠そうとするように蠢き出している。
(暴走すると、解っているはず……!!)
「…………させるかよ……、……させるかよっ!!」
グラディルが強引に国王の剣を弾いた。
しかし、国王は数歩退いただけで、あっという間に、先程よりも深く踏み込んで来る。
(僕に、そこまでして貰う価値は――、無い)
ラファルドとグラディルの付き合いは長い。腐れ縁と呼んでも語弊が無い程度には濃い。
けれど、ラファルドは自覚していた。
その奥底には、歪んだ感情も横たわっている。
〈力〉を持つ者の――強い〈力〉を誇る者の、奢り、が在ることを。
「……(なのに)、どうして――」
盾になろうと足掻いてくれるのか。
もういい、と言えたなら。せめて、庇い返すことが出来たなら――。
「…………ろ」
微かな声がラファルドの耳朶を打った。
「?」
「……げろ」
国王だ。
夢の中を彷徨うような、虚ろな囁き声だった。
斬撃を刺突へと切り替え――国王は嗤った。
「――逃げろ!!」
怒号のような叫びとは裏腹に、目は空っぽだからこそ限りない狂気を輝かせている。
「――――!!」
ずっと続いていた魂を賭けた綱引きは敗北が確定で、魔族の口元まで数cmもない。
大きさも、握り拳より一回り小さい程度まで落ち着いていた。あれなら、どうにか、一呑みに出来るだろう。
「……くくくっ……!」
勝利する歓喜をくぐもった笑いに変えて零し、魔族の男は仮面を押し上げる。
「――ぎりっ――!」
耳を打った歯軋りは誰の物だったのか。
開かれた口が、希望ごと噛み砕くように閉じられた。
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