第78話◆迷い家~過去
文字数 3,369文字
「さ、座りなさい」
王族に縁を持たない宮城の勤め人たちが、客人を伴う歓談や雑務に使う小部屋の一つをディムガルダ=セルゲートは手配して、グラディルを引っ張り込んだ。
晩餐会に出席出来ない部屋付きの侍女にお茶の手配を頼んで、今は、二人きりである。
父クレムディルの為に家伝の異能を失った人物と向き合うのは想像以上に難儀で、グラディルには席に着くという決断が出来そうにない。
おまけに。
「……その……、小父さん」
「? 何かな?」
「良かったんですか? 〈転移〉の魔法符なんかで移動してしまって。この前、ファルの奴が術で、ですけれど、うっかりやらかして、裸を覗かれる、大事故が発生したんですが――」
魔法符は掌サイズの紙片に一定の魔法を封入した物で、魔術に無学であっても、問題無く使える〈魔法道具〉の一種だ。
ただ、素材となる紙、筆記に使う筆、墨などの製法が特殊である為、好んで作るのは冒険者ぐらいのものだった。
市井で流通しているのは、冒険者が余らせたり、廃業するとかで無用になり、横流しされた物である。
小父は目を丸くした。
「……、ええと。一体、何処に飛んだのかな?」
「……一応、俺達が普段使っている更衣室だったんですけど。後学の為――とか、考えついたらしいアホが一名居まして」
「…………、アホ?」
ディムガルダは要領を得ない顔で首を傾げる。
セルゲート家はセルゲート家で、独自の諜報網を持っている。王宮のすべてを網羅しているとは言わないが、一通りのことは弁えられる程度の情報には不自由しない。
眉を顰めさせるような素行の持ち主の名前は、押さえているはずだった。
「一応、花を二つ名に持ってたんですけどね、そいつ」
ディムガルダは”アホ”の正体を察した。
「!! …………それはまたまあ、聞きしに勝るお転婆だ……!」
グラディルがはっきり名前を口にしなかったのは、宮中の礼儀作法が身についたから――ではなく、出来れば忘れていたいくらいうんざりしているからだ。
アルバイト中は流石に我慢するが。
「……まあ、そんな前科がありますもんで、不安にならないわけには行かない、んですよね」
ディムガルダは苦笑する。
「大丈夫だよ。いきなり、部屋の中に飛んだわけじゃないから。ガルとの取り決めに反したわけでもないし、問題にはならない。さあ」
流石に、何度も促されるわけにはいかない。
グラディルは無理矢理覚悟を決めて、ディムガルダの対面の席に着いた。
そして、居心地の悪い時間はさっさと終わらせたいが、極力失礼にならないように、慎重に切り出す。
「……その、伝えておきたいこと、って――?」
「それは、少し落ち着いてからにしようか?」
部屋付きの侍女が、お茶の支度を整えたワゴンを押して、やって来た。
「大きくなったなあ……」
「……小父さん、感動されても困るんですが……。軍学校の入学式に、出席して下さいましたよね? 親父の代わりに」
入学式は春で、現在は初夏。数か月ぶりの再会、となるのだが、ディムガルダの感慨は数年振りの、それも一切音沙汰が無かった状況でのそれ、だ。
グラディルは少なからず気恥ずかしかった。
「はっは。ガルナードの阿呆が(国王という立場も忘れて)、父親代わりとして潜り込みかねなかったからなあ……! いい経験をさせて貰ったよ。うちの子たちは学校に通うということを、まず、体験しないからね」
ディムガルダが軍学校入学に際して、グラディルの後見人を務めてくれた。
実父のクレムディルは――――7年近く音沙汰が無い。
ディムガルダの出席は当然と言えば当然なのだが、軍学校入学前後のガル小父さんの微妙な不機嫌の原因が発覚し、納得してしまったグラディルだった。
(……なるほど……、だから、か――)
そして。
「じゃあ、あの、近年稀な出来事として物議を醸した、あの祝辞は……」
軍人――国家の為に武人として働く人間、を養成する学校である。王族からの祝辞を読み上げられることは珍しい話ではない。けれど、それは形式に過ぎない物であることが大概で、国王の名前が出て来たとしても、名義貸し程度の――当人は名前を貸したことも覚えてない、代物に過ぎない。
それが。
今年度に限っては、通年の祝辞と明らかに異なる体裁の祝辞が届いたのである。
御料紙――この場合は、国王にしか使えないと法律で定められた紙、に認められた、極めて重要な法令を発布する時ぐらいしかお目にかかれない、国王直筆の署名付き(軍学校の校長は退役軍人の名誉職の一つ。就任辞令は国王が直接認めるので、署名の真贋を判定できる)。
戦場に出征するならばまだいざ知らず、学校に入学しただけ、に過ぎない状況では超異例と言っていい。
一体誰が、国王が目を掛ける程の逸材なんだ!? と、学校関係者全てが疑心暗鬼になった(通例では、入学が決定した段階で、騎士団や宮城から通達という名の耳打ちが校長を初めとする関係者に届く)という、笑えるようで笑えない逸話を生成してくれた騒動となった。
「意地だよ。あいつの、せめてもの――、……おや?」
ガル小父さんの正体がバレていることに、ディムガルダは気づいた。
「殿下との初顔合わせが――会食だったんですよね。国王陛下との」
何処か遠くを見るようなグラディルの眼差しに、ディムガルダの笑顔が引きつった。
「……ははは(あの野郎、独断専行をしやがったな!? 喧嘩になったりしなかっただろうな)……!」
グラディルは父親のクレムディルから貴族嫌いを受け継いでいる。
国王は、グラディルの嫌いな貴族の頂点に立つ存在でもあった。
「御存知、だったんですよね――?」
ディムガルダに向けられたグラディルの目は、こっそりとでも教えてくれれば良かったのに……! と語っている。
苦笑はさらにほろ苦くなった。
「陛下の息抜きを、妨げるわけには行かなかったからね――。国王に、美しい物しか見せたがらない悪癖は中々治らない物だし。身分を隠してでも、素顔で接することが大事だったんだよ」
「……解る気はしますね、少し、ですけれど」
「ほほう……?」
どうやら、ガルナードがグラディルから絶縁を喰らうという、最悪の事態は避けられたようである。
そして、グラディルには、ディムガルダの小父仲間心に気付いた気配が無かった。
「知らなかったんです。幼馴染が奉公してた、って。でも、その幼馴染みがどんな奴なのかは、解ってます。だから、判るんです。働いてるあいつを見ると――背伸びをしてるな、って」
「……息が詰まるほど贅沢な場所だから、かな?」
「……うーん……、お転婆をしてるのが似合ってるから、ですかね。聞かれたら、蹴られますけど」
「ほう」
甘酸っぱい気配を嗅ぎつけたが、口にするのは野暮という良識がディムガルダには在った。
「勤めるようになって長いからでしょう。様になってる部分も大きいです。でも――、何処か退屈しているようにしか見えなくて。必死に畏まっているのが解るんです。おまけに、それはあいつ一人だけの話でもなくて、皆、そうなんですよね。……ファル相手だったら、殴る蹴るで突っ込めるんだけどなあ……」
ディムガルダは微笑んだ。
「……大人になったなあ! 逞しくなっただけ、じゃなかったね、やっぱり」
「…………、……有難う御座います……」
気恥ずかしさで俯いたグラディルは、しばらく顔を上げられなかった。
「……ええと、その……。そろそろ、本題を――」
すっかり和んで、ほのぼのしてしまった空気をどうにかするべく、グラディルが切り出す。
流石に、喧嘩のことは別としても、いい加減持ち場に戻るべきだと考え始めていた。
「そうだね。少し時間を貰うだけの予定が……。これでは、お……、私もガルの奴を笑えないなあ……!」
ディムガルダは穏やかに苦笑する。
「では、伝えたいこととは――?」
急かすのは失礼な気がしたが、ディムガルダの天然なマイペースぶりは油断がならない。
何かの拍子で話が逸れた途端、同じことの繰り返しにならない自信が無かったグラディルである。
「うん。覚えていてもらいたいんだ」
「何を、でしょう?」
笑顔が消えた。それだけのことで、ディムガルダ=セルゲートはグラディルを引きつける。
「後悔していない。私は、家伝の異能を失ったことを後悔していないんだよ」
「ディム小父さん! それは――!!」
それは、グラディルの負い目の一つだった。
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