第118話◆”懸ける”もの
文字数 2,525文字
一人きりになった途端、世界は様変わりした。
豊富で清冽な水を湛えた、銀の鍾乳洞、とでも呼ぶべき世界に。
地底のような印象が無いのは、欠け落ちた洞の天井から青空が覗くからだろう。
「……いいなあ……! 想うこと、想われること。美しき友情の温かさ、だね」
大事な物を抱きしめるように微笑む少年の姿が霞むと、その中から人間の少年――ラファルド、が転がり出て来た。
「――――」
そして、そのまま精根尽き果てたとばかりに倒れ込む。
[急な依り代、お疲れ様でした]
人の姿形を失い虹色に輝く光の球となった〈神〉様が、羽毛のようにふんわり、ラファルドの肩に着地した。
「…………お、お疲れも何も――話にすら、出て来てませんでしたよね!?」
疲れを押し切って顔を上げるが、疲れの荷重に負けてラファルドは再度突っ伏す。
御言葉通り、願いを祈りに変えた所までは記憶にある。
問題は、その直後、脳裏に金と虹がごっちゃになったやたらと神々しい輝きが見えた途端、記憶が飛んでしまったことだ。
〈神〉様曰く、依り代を務めたらしいのだが。
残っているのは、このまま気絶したいくらいの非常な疲れだけだった。
[あははは……! ”待ち人”の到着が想像以上に早かったからねえ……。申し訳ない。でも、もう用事は済んだから大丈夫! 後は決着を待つだけです]
朗らかな声は疲労が深くなる気がしたが、ラファルドは気力を動員して突っ込みを入れる。
「待ち人……?」
[種族的に相容れない関係なので、『余計なお膳立てしてくれてんじゃねえ!!』とか、拗ねられるかなあ、と。でも、あっという間だったなあ……! 待ち構えていたんじゃないか、ってくらい。――あ。ちなみに、どういう関係なの? あちら様と。なんか、苦情を抱えてる、みたいな勢いが在ったよ?]
「……え? ――――ええっ?!」
追及するはずが切り返されて首を傾げ、ラファルドは『待ち人』の正体に気付いた。
「……怒って、ました?」
[あれは、自棄入ってるって感じだったねえ。最初からやり直し……とか、何とか?]
多少の体力を取り戻したラファルドは、立ち上がって、着衣に着いた埃のようなものを払い始める。
「……まあ、それぐらいなら、泣き言の範疇ですね。あれは――五歳の子供に贈っていい物じゃありませんでしたし。僕が父さんの轍を踏んでいた危険性もありましたね。豊穣を祝う秋の祭り当日でなかったら――。……まったく。文句をつけたいのはこっちの方です!!」
昔を思い出すうちに湧いて来る腹立たしさ。直接顔を合わせたりしたら、神の御前だろうと、口論をしたに違いない。
依り代中の記憶が無くて良かったと思ってしまうラファルドだった。
[へえ(……五歳の時点でこれなら、確かに、可愛くないと言われるかもね)……]
「……ところで。何をなさってるんです?」
何時までも自分の肩で、高価な宝飾のように煌めく〈神〉様に疑問をぶつけてみる。
[……ん? 何って――体力の回復! (決着がついて)元の世界に戻った時に半死半生でした――じゃ、余計な心配を掛けるでしょう?]
何でもないことのような返事に、ラファルドは首を傾げた。
「…………あれ? 戻れ――る?!」
[よ? 依り代はこっちの一方的な都合だからね。対価は最初から無しです。反動も出たりしないように配慮したつもりだし]
「しかし! 神の杜にて捧げられた祈りは――」
[うん、その通り。成就の代償に、生を失う。一方通行の懸け捨ての癖に、我儘だったり、贅沢だったり、厚かましかったりすることが珍しくないからねえ……。応分の代償無し――無賃労働は、とてもじゃないけど出来ない、かな。……何でか、甘やかすばっかりだと〈生命〉って、真っ直ぐに育たないし……]
「では、何故……?」
[一方通行じゃないから]
「はあ……? …………ええっ!!?」
驚いて見つめれば、虹色の煌めきの奥に、悪戯めいた笑みが見えた――気がした。
『待てい!! ちょっと待てい、貴様――っ?!!』
何故か、慌てふためく声――多分、悲鳴、が割り込んで来る。
けれど、〈神〉様はそれを無かったことにして話を続けた。
[”私”にも、願い事があるんだよ? 君に聞いて貰う為のね。だから……ギブアンドテイク! ――は、違うか。……んー……等価交換……でもない、かな。まあ、とにかく! お互い様ってこと!]
「――――」
神様からのお願い事。
前代未聞の事態に絶句するラファルドは、半ば以上機能停止に陥っていた。
『退屈千万な無賃労働にいそいそと勤しんでいれば、俺様の目を盗めるとでも思ったか?! 甘い! 激甘だ!! ちゃっかり、美味しくやらかすのは! それこそ!! 俺様だけの特権である!!! それを掠め取ろうなどという甘ったれた真似は、天が目を逸らし、地が現実逃避に走ろうとも、この、俺様・が!! 許さん!!! ――と、言うかだな』
何やら、光の球の一部がぷるぷる震えているが、〈神〉様は気がつこうともしない。
絶賛機能停止中のラファルドも、当然、反応しない。
[どうか、待っていて欲しい。必ず、君が君として生きている間に、会いに行くから――]
そして、〈神〉様はにっこりと笑った(気がした)。
だから、だろうか。それとも、拍子抜けするくらい平凡な「願い事」だったから、か。
「…………そんなことで、よろしいのなら、ば――」
と、ラファルドは返事をしてしまった。
そして、〈神〉様は満面の笑みになった(光の球だったけど、間違いなく!)。
[ありがとう! それじゃあ、よろしくね!!]
華やかに、鮮やかな色の光を乱舞させながらラファルドの首周りを周回する虹色の光の球。
ラファルドは未だに状況を呑み込めていない風情で、目を瞬かせている。
……だから。
『俺様が! 超絶大迷惑を!! 被るだろうが!!! 曲がりなりにも、貴様が神を自認するならば、まずは配慮を身に着けろ!! 周囲が被る迷惑とか! 自身の立場や面子に付く傷とか!! 無賃労働に勤しむ憐れな俺様への特別報酬特盛とか!!! 要するに! 俺様が迷惑を被るだけの適当な言動は、金輪際禁止の方向でお願いしまっす!!!』
黒い靄の塊のような神前の魔が〈神〉様の懐から転がり出て来た時には――全て終わった後だったのである。
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