第94話◆後始末(2)
文字数 6,724文字
「……げっ!!」
「お父様――?!」
グラディルとセレナスが一遍に青ざめる。
互いに、妙な現場を目撃されたという気まずさがあった。
しかし、国王はグラディルだけを殴ったのである。
師弟という関係からくる気安さと、娘を公衆の面前で叱るという体面の悪さを考慮しての結果だった。
「返事は!?」
「……んなわけねえだろ……!」
「よし!」
親馬鹿のように思えるが、叱り時と叱り所を間違えると、取り返しのつかない損害を産んでしまう危険性が大きい。親子とはいえ、片や国王、片や王女なのである。
そして、国王は何故かグラディルの首根っこを掴もうと手を回した。
「働け! 避難は事前に完了させていたはずだが、こうなってしまっては万が一が怖い。区画再建の為にも、知らねばならんことが山積みだ」
しかし、グラディルはその手を払う。
「……要らねえだろ、俺は。騎士団も魔法師団も温存してやがったくせに! ……あれ? クリスファルトさんじゃねえんだな?」
初めて見る、年上を引き連れている姿にグラディルは首を傾げた。
お付きの人物は白髪と皺で、一目で老年と判る。
自身より若くて体力のある国王に合わせて歩くのは大変なのではないか。
そう考えたのである。
国王は軽くグラディルを殴った。
「クリスは傷病者の介護だ。大半は魔族だがな」
「……魔族を? 何で、そんなことに――」
宰相がさりげなく言葉を滑り込ませた。
「ゼルガティス陛下からの交換条件で御座いますな。今宵の騒動に関わった魔族の首実検にお立合いになられたいそうで」
世間話のように見せかけても、宰相の雰囲気は何処か重い。
これ以上のことは踏み込まれたくなかったようだが、逆にグラディルの突っ込みを産む結果になった。
「へえ……。って、捕虜の管理は? 俺が現場に駆け付けた時点で、10人は超えてただろ?」
人族にとって、魔族は扱いが難しい存在だ。
その理由の一つに、他種族を容易に寄せ付けないほど卓抜した魔法能力がある。
並程度の魔族一人が軍の一個小隊一つに相当すると目されるほどだ。
数が増えれば増えるほど、魔力との親和性が高くない人間には管理のハードルが加速度的に高くなっていく。
おまけに、魔族は魔力そのものを加工して扱う技術を秘匿している。
それを駆使されれば、人間には脱出不可能な牢獄であっても、魔族は朝飯前だとばかりに脱獄出来てしまう。
魔法の詠唱だけを警戒していても、魔族を幽閉することは出来ないのだ。
そして、致命的なのが魔力に高い耐性を発揮する素材は、質が何であれ、確保すること自体が難儀な代物だということだろう。
魔族数人を閉じ込める牢屋を用意するだけでも、国家予算数十年分に相当する金額が飛ぶのは珍しくない。
それでも、確保に成功したのなら奇跡的な幸運であり、大概は眉唾とされる伝承の中から素材が存在するという場所の確認を取るところから始めなければならないのである。
国王のため息は複雑だった。
「問題は無い。一人残らず、昏睡状態だからな」
セルディムが仕掛けた光の帳は魔族をも襲い、一網打尽にしたということらしい。
「――は? ……まあ、問題無いんなら、いいけど――って、こちらの爺様は……?」
目を丸くしつつも、突っ込まれたくない理由が解った気がして、グラディルは手近な話題転換を選んだ。
勿論、TPOに合わせたのだろう軽装でも、貴族だと一目で判るいでたちの老人に見覚えは無い。
だが、宰相は玉座の間での会見を覚えていた。
しかし、何食わぬ顔で、初対面の挨拶に出たのである。
「……おお、失礼致しました! 我が名はシュバルツ=アインズ=グレスケール。当公国にて、公爵位を拝領する爺に御座います。よろしく、ご記憶の程を!」
朗らかな(しかし、煮ても焼いても食えないと嫌われる)挨拶に、グラディルは目を丸くした。
「……ぐれ、すけー……って、あの、グレスケール公爵?!」
「あの、が何を指すのかは存じませぬが、グレスケール公爵家は公国に一つしかなく」
宰相は驚くグラディルを前にしても、素知らぬ振りである。
そして、此処までは予定通りだった。
「……うわあ……! 辣腕で鳴らし、人柄の悪さでも鳴り響く、公国の腹黒大貴族って――こんな爺様だったんだあ……ぱっと見、何処にでもいるご隠居、って感じだよなあ……!!」
「――――」
悪気はなくとも世間知らず丸出しのグラディルの言動は、周囲を(評された当人を含めて)絶対零度のレベルで凍結させる。
セレナスに至っては、今この瞬間からでも他人になるべきかと真剣に葛藤していた。
「…………」
ただ一人、国王だけが炸裂する寸前の大爆笑の衝動を、肩を震わせながら堪えている。
「んで、こんなヨボい爺様引き連れて、何しに来たんだよ、師匠!」
「――――」
大変な粗相をしでかしたと恐れ入るどころか、さらなる暴言の爆撃に、内心では本気で卒倒しかけた公爵だった。
この身はセレル=アストリア公国筆頭の大貴族、グレスケール公爵。
一握りの王族、例外的存在には及ばぬまでも、その気になれば館に居ながら公国中の人間の首を飛ばせると、影に日向に畏怖されてきた存在だ。
何故、珍獣同然の扱いを受けなければならぬのか。
そして、それだけでも噴飯物なのに、さらには現役という一線を退いて久しい縁側の主の如き評価をされる屈辱に曝されるとは。
国王の手前という堤防があったればこそ、無表情、無感動、無反応を貫けたのである。
下手な反応を見せた日には鬼の首を取ったかのような態度でからかい倒しに来る、可愛気に欠ける国王を主君に戴いている事実を忘れたことは一日たりとて無い。
一方、此処で爆笑してしまうと後が面倒臭い国王は、ワンクッション置く為に咳払いを選んだ。
しかし、不肖の弟子の尻馬に乗る好機を逃すこともしなかった。
「……うほん! 働け、と言ったはずだ。このしわしわヨボヨボは、こう見えても公国屈指の大領主でな? 領民の慰撫鎮護はお手の物。その手腕と王都再興の為の知恵を搾り取ろうと挽き回しているだけのこと。お前が気にする必要はない。いいな。後、宰相だぞ」
「……へえ。国王陛下の懐刀、って評判にも嘘が無いってわけだ――」
宰相は国王の傍で政務を取り仕切ることが許される、重鎮の代名詞。
国王が強権を持つ国家においては、国王の信任なしに就くことは許されない立場である。
グラディルが改めて感心すると、国王の咳払いで我に返っていたグレスケール公爵は何事も無かったように居住まいを正していた。
「――む」
懐に潜り込もうとする宰相の気配を感じた国王は、面白くないとばかりに眉を顰めたが。
「こほん」
厄介な上司が余計な事を言い出す前に咳払いで牽制を仕掛け、公爵はグラディルの前に一歩進み出た。
「公国の政を与る宰相として、伺いたき議が御座いましてな。陛下の手綱も兼ねまして、こうして参上した次第。よろしゅう御座いますかな?」
公爵の口調と態度は温雅そのもの。
一見、荒れ果てた現場には似つかわしくないとさえ思える。
けれど、国王は微かに眉を顰めてわずかに顔を背け、グラディルはこれが尋問であることを本能的に理解した。
「伺いましょう」
態度を改めたグラディルに、公爵は宰相として頷いた。
「では。先程、陛下の言にも御座いました、魔族の昏睡。実は、お手上げでしてな。クリスファルト殿の手腕が無くば、落命を余儀なくされる者も出る始末、という現状です。何より、昏睡の原因と思しき、先刻の光の帳にまつわる情報が公国には皆無。なので、是非、お話を伺えればと。聴けば、貴殿は王都を荒らした白竜の知己とか?」
宰相のグラディルを見つめる目には、感情が存在していない。
「……それは――」
どう返答するべきか、グラディルは逡巡する。
しかし。
「正体については、いい!! 無用だ! とっくに判っている!!」
割り込んできた国王に、周囲は絶句する。
グラディルを庇ったことも、白い竜の正体が国王が与る案件――国家機密だったという事実にも。
初っ端からペースを無視された宰相は、渋面で「ええい、仕方がない奴め!!」と語った。
けれど。
「だが、あの白い光の帳については――知りたい。お前なら、何かを知っているのではないか?」
国王の真剣な言葉に、グラディルは心持ち、顔を俯かせた。
そして、誰もが耳を傾ける。
「…………、申し訳ありませんが、存じません。現状の俺に、魔術は行使出来ませんので。知っているとしたら、父の方だったでしょう」
尋問に対する慣れは軍学校が仕込んでくれたが、叔父絡みという事実がグラディルの心情を平静から遠い物にしていた。竜の文字を隠した応答を返すのがやっとだったのである。
「ならば」
宰相はさらに問おうとしたが。
「使えんな。やはり、肉体労働で元を取るべきだ」
と、国王が結論を出してしまった。
「陛下」
何かが抜け落ちた宰相の言動に、居合わせた誰もがぎくり、となる。
国王だけが真っ直ぐに宰相を迎え撃った。
「今は危急の時。後から、何時でも叶うことはどうでもいい。体力自慢の世間知らずだろうと、公国の貴重な人材に違いは無いからな」
「……掃いて捨てる程、在庫の在る人材で御座いましょうに!」
宰相は青筋を浮かべつつも、騎士団で十分間に合うでしょう! と、指摘したつもりである。
しかし、国王は眉一つ動かさなかった。
「逆だ。掃いて捨てる程在るからこそ、一本の無駄もなく使いこなし、使い切らねばならんのだ。無能の在庫など、蓄えた覚えが無い! のでな」
「……陛下!」
そんな逃げ口上では誤魔化されません!! と、宰相は青筋を追加する。
その肩を、グラディルが注意を惹くように叩いた。
「?!」
「喧嘩するだけ、無駄ってもんだ(負けておいた方が美味しい局面だぜ、爺さん)。何せ」
素早く、さりげない耳打ちに、公爵は目を丸くする。
そして。
「師匠こそがその類――公国で一番の代名詞だからな!」
「!!!」
今度は公爵が爆笑の予兆を必死に押し殺す破目になった。
この思いもよらぬ裏切りに国王は仏心を捨て、大人気の無さを覚醒させたのである。
「……ふ、ふふ、……ふはっはっは!! 可愛い奴め! そんなに旅がしたければ、させてやろうではないか!! ――宰相」
指名を受けた途端、軽装とは言え騎士や衛兵よりは遥かに動き辛そうな貴族の装束で、どうしてあんなに早く動けるのか!? とグラディルが呆れたような機敏さを公爵は発揮した。
「はっ! お傍に。何なりとお申し付けくださいますよう」
「うむ。此度の対竜戦で発生した王都の損害、一分たりとも漏らさず金額に換算せよ。我が不肖の弟子2号の借財だからな! 全額、金銭で弁償させる!!」
「――なっ!! なんだとう――?!」
嫌がらせ以外の何物でもない宣言にグラディルは泡を食わされる。
「目下の総額で御座いますが――」
筆記用の紙も、金勘定に使う計算機も無しで、宰相は具体的金額を諳んじて見せた。
その非常識な程の正確さは、場に居合わせた財務を管轄する文官を真っ青にしたという。
ちなみに、そこにはグラディルが壊した物ではない被害金額も当然のように計上されている。
グラディルは気づいていないが、想像以上の大人気の無さだった。
「ちょ、ちょっと待てよ! そんな金、払い切れる訳が無いだろう!! 俺に」
慌てて抗議に走ったが、それは当然のように後の祭りだったのである。
「……なんだ、そんな程度か……。心配せんでも、お前の家族から取り立てる無茶な真似はせん! あくまで、お前個人の借財だからな。管轄は、俺がする!!」
そんなことで胸を張られても、感銘などは一ミリも発生しない。
「ざっけんな!! 師匠のざるさ加減で金銭管理が出来るわけねーだろ!! 後、俺は絶対に払わないからな!! ビタ一文たりとも――」
徹底抗戦のような抗議が、国王の青筋に自棄さ加減を追加した。
「よし。三倍掛けだ。それで丁度いいかも知れんな!! 絶対に、分捕るぞ!! 我が公国の総力を挙げてでも、な!!」
「はあっ!? 借金の取り立てに国家の総力?! どんな世間知らずだよ、そんな阿呆!!」
開いた口が塞がらなくなっても、舌は回る。
気づかずに済んだ方が幸せだったに違いない。
「はっは――ならば」
「陛下」
程度の低さが露見している師弟喧嘩に、何食わぬ顔で割り込んできた者が居た。
「何だ、サマト?」
第三王女に仕える近衛騎士は、恭しく跪いたのである。
「歓談の最中に申し訳ございません。騎士団に、是非とも回して頂きたい人材が一名、おりまして」
この時点ではまだ、サマトの言わんとすることはグラディルにも国王にも不可解だった。
「……、随分、急な話だが?」
「実は、懸念が在るのです。その者、我らの殿下の対する口の利き方が甚だしく不遜であり、性根にも些かならず問題があると見受けられまして。この度に、是が非でも、根性を叩き直して置きたいと思うのです。逐電を企むというなら、包囲網を敷いてでも召し捕らえてみせましょう」
そして、さりげなさを装いながら(その実、大変不自然に)獲物を一瞥する。
「?! ――(何で、俺なんだよ)――!!」
(現在不在の)ラファルドも同罪だろう!! と思うグラディルだった。
サマトの言わんとすることを呑み込んだ国王が不敵な、それでいて楽し気な笑みを浮かべる。
「ほほう。それは一考の余地があるなあ……ふむ」
国王には頼もしい援軍でも、グラディルにはこの上ない悪夢である。
逃げたら、(近衛)騎士団が本気の包囲を仕掛ける。そう、宣言されたのだから。
おまけに、王女への態度の悪さ云々が口実なのか本気なのか計り兼ねる所も厄介極まりない。
「……た、ただでさえ(現状)無給なのに、どうやって! 金策をしろと!?」
グラディルの悲鳴は着実に逃げ道が潰されていく現在への悲観でもあった。
そして、グラディルの悲鳴(兼抗議)に、国王は憤慨するように眉を顰める。
「む。今、格好のアルバイトに就いておろうが! セレンちゃん専属の衛兵など、我が国の騎士ならば泣いて喜ぶ、超絶! 高嶺の花!! なのだぞ!」
「真に以て、至言に御座います! 陛下」
満面の笑顔で断言する国王と、真摯な顔で追従する近衛騎士。
付き合い切れない、とグラディルは本気で思った。
しかし。
「?!」
「――――」
視線を刺しておきながら、グラディルが振り向くと逸らす宰相。
その不自然な所作の意味は――。
(……まさか、「負けておけ」ってか!? 此処で?!)
グラディルは唖然とならざるを得なかった。
一体、騎士の基本(月)給で何百年分に相当する金額を背負わされると思うのか。
ただ、言わんとすることは解らなくもない。
いい歳をした大人なのに、意地っ張りな子供のような部分も持っている国王だ。
このまま意地を張り倒せば――紛れもなく、本気で、やる。
国王の威光の元、騎士団も貴族も、公国の全てが国王発の借金をグラディルにお仕着せ、弁償させる為だけに牙を剥いてくるだろう。
ラファルド曰く、「宮城とは、権勢と暇とを持て余し、搦め手にばっかり長けている捻くれ者の巣窟」という側面が在るのだという。
それは、逃げれば逃げる程(面白がって)本気を出して来る、最悪の趣味人共が手薬煉を引いているということであり。
「はっはっは! この際だ。五倍掛け――いや、十倍掛けでも大丈夫だな!!」
降伏するなら、さっさとすることだと、国王が圧を掛けて来る。
元より理不尽な設定の借財も、逃げれば逃げる程、秒単位で増額されていくはず。
きっと、天文学的単位にまで到達するのも分と掛からない。
「汚え……、汚えぞ……! これが、いい大人のやり口かよ……!!」
ぶるぶる震えながらの抗議は、敗北宣言の裏返しだった。
「よしっ!! 此処は一千倍で――」
「だあああっ!! 畜生っ!!! さっさと人命救助に行くぞ!!」
「はっはっは!! 素直さがだ――ぅつ?!」
公国最強の英雄に、グラディルは全速力の当身を仕掛ける。
「この馬鹿師匠! 阿呆師匠!! ろくでなし師匠っ!!!」
国王とその不肖の弟子は超速度で新たな現場へと突入していった。
緩いカーブも曲がれなさそうな速度で消えていく後ろ姿に、セレナスはため息をつく。
「騒々しいことですこと……。でも、あれで丁度いいのでしょうね」
「よろしかったのですか?」
尋ねて来るサマトの表情は、意外なほど重苦しかった。
セレナスはわざと気づかない振りをする。
「……何がです?」
「地下の現場には、血痕と思しき痕が――」
そして、最後まで言わせなかった。
「構いません! 見かけによらず繊細で、思い詰める性根のようですから。悪戯な不安は、無闇な猪突猛進を煽るだけ。慎むのが上策ですわ! ……ただでさえ、不安でしょうしね……」
騎士は恭しく一礼を捧げて引き下がったのである。
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