第90話◆真相
文字数 2,849文字
『……やってくれた……! よくも、やってくれた――!!』
声なき声で、白い竜が荒れ狂う。
「?(サイズが縮んだくらいで何だ、ってんだ!?)」
グラディル二人分程度の頭身にまで縮んだ竜の言い分は謎だった。
〈神通〉で、貯め込んで来た〈力〉の殆どを掻き消されたからだ、とは、グラディルには知りようが無い。
駆け足で間合いを詰めると、しかし、竜が鋭い爪を振り下ろしてくる。
急激なサイズ変更で間合いの感覚が狂っていたグラディルは躱しそびれてしまった。
硬質な金属音が響き渡る。
「トラス!!?」
国王から小父に戻った顔と声で、ガルナードが悲鳴を上げる。
グラディルの姿は殆ど普段の少年に戻っていた。
竜の爪など、受けられるはずが無いと考えていたのだ。
だが。
「陛下!!」
クリスファルトのきつめの(自分を忘れるな、という)苦言に振り返り。
「御覧あれ!!」
指し示されるまま視線を向けて、術式による拡大映像を見せられた。
グラディルの腕が――十字を描いて頭身を守っている腕が、竜爪を阻んでいる。
腕と爪の間には、少し前までグラディルの全身を覆っていた鱗と同じ、赤茶けた色の光が在った。それは膜のようにも、層のようにも見える。
「……驚かせおって……!!」
本気のため息を聞かせるガルナードに、クリスファルトは意味深な視線を向けた。
「陛下?」
「言われんでも、解かっとる!!」
私情に走り過ぎですと窘めて来る甥っ子に、小父は不機嫌を装って顔を背ける。
「然らば(珍しかったな。こういう時に世話の焼ける小父上というのも……)、今しばしは静観、といきましょう」
国王としては失態のはずだったが、クリスファルトの顔には在るか無いかの笑みが在った。
『生意気な真似を……!!』
「糞、やかましいっ!!」
押し切ろうとする爪を、食い込もうとする力を脇へと逸らすように、腕の十字を崩して押し開き。
「破っ!!!」
気合一閃、爪の一本を吹き飛ばしがてらにへし折った。
『ぐあっ?!』
竜が苦痛に顔を歪めたように見えた。
しかし。
折られた爪が瓦礫の山に突き刺さると同時に、元通りに生え、治ってしまう。
「けっ(まだまだ、余裕が在りやがんな)――!」
『……本当に、生意気な真似をするようになった――トラス』
「?!!」
在り得ない言葉を聞かされたグラディルの表情が一瞬で硬直する。
「――何で、手前にそんな呼ばれ方、され――」
嫌な――最悪の、予感がグラディルの脳裏に閃いた。
元より、そんな呼び方をする誰かは数えるほどしかいないのだ。
父と母と。国王であると身バレした小父はあまり使いたがらない。
ラファルドは一度も使ってくれたことが無い。
そして、あと一人。
「――まさか」
気が付きたくなかった。けれど、もう、気づいてしまった。
気づいてしまえば、イントネーションが酷く似通っている気がしてくる。
『まさかも何も、俺に――』
声は不意に途切れ。
「がはっ!! っぐっ――」
抑え切れないダメージが溢れたような咳き込みと、それを噛み殺そうとして生まれた苦鳴。
隙間を縫うように零れて来た声が、決定打だった。
「……(マグス叔父さん――!!!)どうして……? どうして――――!!」
縮んだとはいえ、今尚巨大な体躯を暴れさせて悶絶する白い竜。
「……っ、ぅ、っ、が、ぁ、あっ、ぐ――ぜい、ぜい、ぜえ……」
苦悶が一段落すると、忌々し気にグラディルを睨みつけた。
『どうしても何もあるか!! トラス!!! 何故、今の隙を逃す!!?』
恨み言だとしても、心底の苦々しさが籠っている。
まるで――まるで、どうして殺してくれないんだ! と責めるようだった。
「だって――、――叔父さん、なんだろ……? どうして――――」
グラディルは呆然と白い竜を見つめている。
しばし、竜はグラディルを見据え、人間らしいを感じさせるため息をついた。
そして。
『ガルナード=アストアルめ! 俺が仇だと教えなかったのか……!!』
「――――え?」
衝撃の事実を口にしたのである。
「セルディム=マグス=ファナム!!! 貴様――――!!!」
八つ当たりの鉄拳で、自身の身体の厚みを上回る厚さの石壁を粉々にする。
「?!!」
国王ガルナード=アストアルの激昂が轟くと、クリスファルトを初めとして、誰もが打ちのめされたようにひれ伏し、跪いた。
「――え? 叔父、さん……今、――――、今、なん、て――――?」
グラディルは葛藤していた。
現実を信じたくない自分は思考を停止させようとし、闘士として在ろうとする自分が思考停止を拒む。
拒むことは勿論、叔父セルディムの言を(ある程度ではあれ)受け入れることだった。
『仇だ。俺が、お前の父親を――公国の勇者を殺した男だと、言った』
「な――――、なん、で――だよ? だっ、て――――きょう、だい……だろ?」
容赦の無い叔父の言動にグラディルは一層混乱し、目の端に涙が滲む。
『だから、なんだ。そんなもの、殺し合わない理由になど、なるか!!』
「!!!」
打ち据えられたように、グラディルの全身が震えた。
「……だ、って、――――と、う、さんは――つ、よい……んだ。強いんだ!!! 父さんは――!!」
グラディルから涙が零れる。
公国の勇者は死んだ。
〈魔人戦争〉が終結して以降、それは公然の事実として扱われた。
けれど、グラディルはそれを認めなかった。受け入れようとはしなかった。
受け入れたくなかった。
理不尽なくらい頑丈で、眩しいぐらいに強く、信じられないほど逞しい父だったのだ。
クレムディル=ファナンは。
時に情けないこともあったが、それでも、グラディルの憧れだった。
だから、信じていたかった。生きていると。
父の死に立ち会ったわけではなく、遺体も見ていない。
だから、信じていられた。生きていると。
だから、願い続けることが出来た。祈り続けることが出来た。
クレムディルが死んだとされた後、家族の周囲で蔓延った聞くに堪えない悪口雑言の嵐。
それを、颯爽と撥ね退けて欲しかった。
父ならそれが出来ると、信じていたのだ。
それが――。
「やれやれ、だ。クレム、ディルも、殺された甲斐が無いな。公国の勇者、その遺児が此処まで惰弱とは――」
今度は紛れもない肉声で、どうしようもないほど聞き覚えが在った。
「……れ」
「ふん。それとも、父親譲りか? 意気地無しさ加減すら!!」
「黙れ。……黙れ、黙れ!! 黙れえええええっ!!!」
「ならば、殺せ。黙らせたいのなら、我が命、摘み取って見せよ」
「……んでだよ。……っかく、折角……! やっと、会えたのに!!! どうして、殺し合いなんて――」
「惰弱が。父親の仇だろうが。殺せなくて、どうする!! 違うというのなら、殺せ。俺を殺して見せろ! 牙を剥け!!」
「――――」
俯いたグラディルは、握り拳に力を籠める。
「…………俺は。俺は――――」
そこへ。
「まさか、乗せられて打ちかかるなんて真似、したらどうなるか――。解ってないなんて、言わないよね? ラディ」
グラディルの全身を畏怖で総毛立たせる、しかし、この世で一番待ち焦がれた声が、グラディルの胸元から響いた。
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