第67話◆正体~駆け引き
文字数 5,814文字
悲鳴を発した少女――セレナスを救助しようとした反射的な行動を阻止するように大広間が揺れる。
「――!?」
人間達の戸惑いを隙だとでも言うように、床から真っ黒な茨が生え、天井めがけて屹立すると、あっという間に巨大な一本の柱と化してしまう。
その根元より数mの部分に、囚われたセレナスの上半身が覗いていた。
「セレナス――!!」
狼狽する国王を嘲うように、傲岸な男の笑い声が響く。
「はーっはっはっ……! お楽しみ頂けているようで何よりだ。無論、これは我が力の一端に過ぎん! さあ、どうしてくれるのかね? 人間共!!」
(……この声は、最初の――?)
正体を攪乱する為の小細工だと考えていた声の再登場に、両者の関係に想像が及ばなくなったラファルドは仮面の魔族を凝視してしまう。
舌打ちが見えた、次の瞬間。
「ぐっ――!! ……っ、ぁ、あ――、ああ! ああああーっ!!!」
渾身の咆哮と共に、魔族の全身から黒い波動のようなものが滲み出した。
「?!(これは…………、――まさか、恩寵!?)」
驚愕するラファルドの前で、光の鎖が粉々になって消滅する。
(と、すると――この男、ひょっとして……直系、ってことに、なる――?)
魔族における「直系」とは、魔王の血を引く者を意味する。
(我こそが、王の座に相応しき者! ってこと――なら、人間にこそ良くある話だけど。人間の尺度で考えていいものかどうか……、!)
鎖こそ千切れてしまったものの、仮面の魔族の身体には光り輝く錐が残ったままだ。
背後の状況も気になるが、改めて質してみるのも一興、と迷いかけた。
単に王に従いたくないのと、継承権が絡んだ争いとでは、公国の関わり方も変わらざるを得なくなる。
そこへ。
「懲りろ! おっさん!! さっきはそれで失敗したろ!?」
「やかましいぞ! 不出来な弟子の分際で!! 俺に説教したくば、餓鬼の一人や二人! こさえてからにするんだな!!」
などという、情けない雑言の応酬が聞こえて、ラファルドはため息をつきたくなる。
とりあえず、グラディルと国王の両方を不可視の拳骨で制裁した。
「何を――」
する!! が国王で、しやがる!! がグラディルだった。
「陛下。御自重を。……ラディ。もうちょっと上手く諫めてよ。俺に任せろ! とかさ」
国王には冷たい視線を浴びせ、グラディルにはため息を送る。
「…………」
俺の事を本当に国王と思っているのか?! という、疑惑の眼差しを返してきたのが国王で。
「……言わなかったと思うのか!?」
と、拗ねたのがグラディルだ。
とりあえず、ラファルドは納得した。
「そっか。だったら、殴って失神させる、とかでも良かったよ?」
「!! 貴様っ!!」
「……あー、そこはまだ怖いんだよな。力加減、判んねえし。……失敗して柘榴か西瓜作っても、責任、取って貰えんの?」
「――――」
恐る恐るラファルドを窺うグラディルに、国王は絶句し。
「…………無理だったか。あと、それは連帯責任で僕の首も飛ぶ奴だからね」
ラファルドは諦めた。
そして、国王の暴発阻止を優先する。
「ラディ、こっちを見て貰っていい?」
「え? でも、あいつは――」
ラファルドの相手だから、こっちは俺が。と、行きたいグラディルだった。
適度に弱らせた他人の獲物を譲られるよりも、HP満タンから攻略していくのが好きな性分である。
しかし、ラファルドはより優先度の高いグラディルの嗜好を知っていた。
「恩寵は予想外だったけど、使いこなせる、ってレベルでもないかな。〈封縛の鎖〉は残ってる。最低限程度の保証だけど」
「……いいのかよ?」
グラディルが戸惑うのは、ラファルドはラファルドで、きっちり自分で白黒つけるのを好む傾向が在ると知っているからだ。
単純に、魔族の魔力と神祇の異能による術勝負の方が目が在るという読みも在ったが。
ラファルドは肯いた。
「こっちの方がラディ向き……だと思うけど。手加減無用で行けるから」
「……!」
グラディルは小馬鹿にされたとでも言うように、ムッとする。
全力を出せる相手だと言ってはいるが、全力を出さないと勝てないよというニュアンスも嗅ぎつけていた。
弱いんだから、仕方ないじゃん、と言われた気がしたのである。
ラファルドは普段通りの澄まし顔で、止めを刺しに行った。
「そっちは、無傷の救出が絶対の前提なんだけど……行ける? だったら、任せるよ?」
条件を提示された途端、グラディルはため息をつく。
「……、しゃあねえ。こっちを任されてやらあ!」
「そ。じゃあ、よろしく」
「おう! 任せとけ!」
すれ違い様、グラディルは拳でラファルドの肩を叩いて行った。
俺に何か言うことは無いのか?! と言いたげな国王を無視して、
「世話の焼ける方、というのは、一人で十分なんですけどね……」
と、愚痴る。
ちらりと国王を一瞥すれば、何も聞こえていなかったように、国王はそっぽを向いていた。
セレナスを捕らえた黒い茨の柱の前に立つと。
「さて。それで? 今度は何処のどちら様でしょう?」
泰然と、会話の口火を切った。
相手は声しか聞かせない上、王女という人質を取られて、公国に甚だ不利な状況である。
「む! 貴様……! 我が手に有る質が見えぬと申すか!?」
「だったら、何です?」
冷たく突っ撥ねたラファルド。
下手に出たところで調子づかせるだけだし、出方を窺えば、足元を見て、つけ上がって来る。
自分のペースで押し切ってしまうことが、ラファルドには肝心だった。
声は数瞬、沈黙する。
そして。
「良かろう。白百合とやらの散り様、とくと」
見事なまでの短気っぷりに、ラファルドは胸中でため息をつきつつも、舌鋒を冴え渡らせた。
「その程度で覇王の名代を自称するとは――寝言ですね。次期魔王を僭称するに至っては、正に身の程知らず! 呆れるしかありません」
「何だと?!」
「捕虜の扱いも知らないと言明する馬鹿に、一枚岩では済まされない国家という組織を束ねられるはずがない。音に聞く魔王ゼルガティスは、数十の国家に領邦を包囲されても戦争を継続できるそうで? 次期魔王ならば、誰よりも現魔王の手腕が如何なるものか弁えているはず。捕虜は無傷であってこそ価値が高い、とね。――さっさと尻をまくりなさい。自称次期魔王風情の茶番劇に付き合わされるほど、人間は暇ではありません」
「貴様……っ!! 王女を人質に取られる程度の無能の分際で――!!」
ラファルドは美しくも冷ややかな微笑を浮かべた。
現状は順調に推移していると言える。
「……無能、ですか。役に立たない人質を後生大事にして居る自称次期魔王に言える言葉だとも思いませんが」
「……。見えていないなら、教えてやろう」
冷厳な声が居丈高に響くと、黒い茨が蠢いた。
「……あ! ……ぅ、う、うう……!!」
セレナスが苦しそうに喘ぐ。
しかし、ラファルドの空気は冷たく研ぎ澄まされていく一方だった。
「……悪戯に弄ばなければ、楽に死ねたものを……!!」
「何!?」
初めから殺すつもりだった、と断言されて、穏やかでなかったのは魔族も人間も同じである。
ラファルドは居ると決めつけた方向に視線を向けたまま、振り返りもしない。
「通じの悪い頭ですね。いいですか? 王族の犠牲とは、須らく、民の為に在るもの。職責を全うせずして、権利を貪ろうなど笑止千万。王族の風上にも置けません。まして、王族の身柄を拐せば一生楽に食える、と錯覚させるなど厚顔無恥にも程が在りますね。人質という不覚を食わされた時点で、死を覚悟して当然。命乞いなど――、論外」
最後の言葉を一番冷徹に断言する。
流石に、環視の衆人にも本気で気色ばむ気配が幾つもあった。
「王族をうまうまと人質に取ったつもりでしょうが、馬鹿の逆上せ上がりでしたね? 国賊として征伐させて頂きます。どうぞ、お覚悟を。自称、次期魔王殿?」
「ふざけるな!!!」
姿無き声は、当然のように激怒した。
「貴様等は、踏みにじるのか……! 我らがあれほど苦言を呈して、ついに血迷ったかと激怒してまで諫めたかった我らが王の文を――、一縷の希望を託した、最初で最後の祈りを――」
(あれ……!?)
余りに真摯な激怒に、ラファルドは困惑を押し殺すのに酷く苦労させられる破目になった。
想定は、親魔王派を装ったとしても、魔王ゼルガティスに反する勢力、だからである。
「我らが王は、玉座と引き換えにしてでも――と、覚悟を示しされた――だからこそ、我らは知らねばならなかった。人の国にどれほどの価値が在るのか――と」
(ちょ、ちょっと――!! ここに来て、世間知らずの、傍迷惑な援護射撃だとでも――?!)
もし、セレナスを人質にしている誰かの正体がそうならば――外れも外れ、超貧乏くじ!! を引いたことになりかねない。
「……。狼藉と試の区別もつかないなんて、どんな世迷言ですか――!」
ラファルドは苦労して叩きつけたい内心を隠し、台詞を差し替える。
「あれは――!」
意外なくらい高く、男には無い愛らしさが匂う声が零れた。
(?! ……あれ? 今の声――、ということは……あの声は、偽装――?)
声は一瞬で元通り、傲慢な男の物に戻る。
「……っ、やかましいっ!!」
(照れ隠しはさておき、意図は食い違っている、と見ていい? ならば、あの名乗りは――)
「元より、我らは貴様ら人間と解りあえるなどと期待してもおらん!! 要らぬ質だというのならば、好きに扱わせてもらおうか!」
ラファルドはすかさず反応した。
「それは凄惨な死に様を確約される血判、だと御承知の上で、どうぞ、御自由に。王女殿下を人質にしたことは、最悪の選択でしたね?」
「ふん。王女の死に様を見て、精々後悔するんだな! 世間知らずではあっても我らが王の真意に気づけず、汲めもしなかった愚かさを歯噛みするがいい!!」
ラファルドは台詞を無視して、宙のある一点――床から10mほどの高さに、素早く視線を移す。
「そこですか!」
槍の穂先を向けると、先端に丸い環のついた光の鎖が飛び出し、何も無いはずの空間に絡まった。
「――んなっ!? 何故?!」
姿を見せない声は驚くが、一連の会話には、最初から声の出所を探る意図も在ったのである。
ラファルドは呆れた。
「何故も何も――、……成程? 仕掛けが解られている、という訳ではないのですか(だったら、何故、あれは――)」
「だったら何だ!? こんな物、こんな物――!!」
宙空で、光の鎖が綱引きのように伸び縮みを繰り返す。
誰もがあそこに誰かが居ると確信できる状況が出来上がっていた。
「……逃げられるなどと思わないで下さいね? 傍迷惑な騒動の対価は高くつくと理解させて差し上げますので。そうですね――ゼルガティス陛下直々の灸、などは如何です?」
「はあっ!? ゼルあ――、(じゃない!!)……ほう、の灸がなんだと」
「さぞかし、お腹立ちのことのでしょうねえ(『ゼルあ……にうえ、かな。ひょっとして)? 見事な器量と自身で褒められた方への、狼藉ですから。熱いだけで済めばよろしいですけれど」
ラファルドは二本、三本と絡まる鎖を増やしていった。
「……んもうっ、この――、!? ……ふん! 世迷言を――!! 小僧っ!! 王女という人質が見えないのか?!」
声は焦りを無理矢理隠して、尊大に迫る。
ラファルドにはもう、説得力も何も無かった。
「生憎と」
「――――」
可愛気のかの字も無い、あまりの素っ気無さに、国王が反射的にラファルドを一瞥していた。
「偽者、」
意味深に言葉を切ると。
「…………」
囚われの王女がぴくり、と反応した。
「えっ!? 偽も――」
「が、出現した……という噂も立った方ですしね」
弄ばれたと気づいた声が激高する。
「……、やかましいわっ!!!」
荒々しい感情の表れのように、稲妻が広間を駆け巡った。
しかし、ラファルドは衛兵の装備に身を包んだまま、泰然と、稲妻の嵐の中に佇んでいる。
未だ正体を見せない誰かを見据えるラファルドは、何処までも落ち着き払っていた。
「感情と〈力〉の結びつきは見事、ですけれど……。未熟ですね、全てにおいて。ドルゴラン=セグムノフ。その名は魔導の技量において鳴り響いたと聞き及びます。この程度では名前負けも甚だしい」
「――――!!」
息を呑む音が聞こえ。
「…………貴様、言うに、言うに事欠いて――!!」
今までにない、本気の激情が湧き上がり始めていた。
「黙れ!!!」
グラディルと睨み合っていた仮面の魔族が、突然の罵声で割り込んで来る。
誰かはびくり、と震えた。
「殺していい質など、さっさと殺してしまえ!!!」
「――ふん。何が偽者だ!! 王に仕える者が、王に非ざる者の為に命を賭すなど――在るはずがないっ!!」
息まく気配にも、ラファルドは冷徹なほど静謐だった。
「馬鹿をおっしゃい。偽者だろうと、祭り上げられたからには正統なる王族。その命に軽重など在りはしない。もし、それが表れ出でるとしたら、それは己を己の手で辱めた時だけ」
「……ふっ、…………ぐっ!」
(……やれやれ。随分と氏素性のいいことで。それとも……これもまた、導き――かな?)
敵対している立場にある人間の窘めを真に受けることに内心で苦笑し、誰かが自身の生まれと育ちを承知していることを感じ取る。
確信めいた予感が胸中に在った。
「王統に連なる自覚が在るのなら、弁えなさい。今、名前負けだと言うのなら、何時か見合う自分になればいいのですから」
「――なっ!?」
絶句したのは、語り掛けられた当人だけではなかった。
ラファルドの言動は、或る確信を受け取るべき人物に伝えていたのである。
「まさか、伯父御の――!?」
国王が呆然とラファルドを見つめてくる。
その驚愕を、ラファルドはため息で肯定した。
「……とんだ里帰りですね」
そして。
「女の子に、男名前もどうかと思いますけれど」
更なる爆弾もおまけする。
「なっ――!? 真か?!」
「――っ、ち、違う! 私は……あたしは、出来損ないなんかじゃ――!!」
悲鳴は逃避であり、しかし、その中に痛みを潜ませていた。
ラファルドは敢えて気づかない振りをして、笑顔を作る。
「感動の御対面の前に。お姿拝見と行きましょうか?」
「っ!!」
舌打ちする仮面の魔族をグラディルが阻み、ラファルドの槍の石突きが床を打つ。
すると、光の鎖が一際眩く輝いて。
「――?! な、何これ――!? や、止めて――!! 力が、力が吸われ、て――!!」
光が治まると、宙空に、鎖に絡め捕られた十代の少女が居た。
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