第119話◆託すもの
文字数 4,248文字
「あれ……? 此処――まだ、現実じゃねえよな?」
歩き続けていく内に恐るべき速さで日が暮れ(昼から夜になるまで、体感時間で数分。沈む太陽は何処にも見えなかった)、星一つ無い夜空が広がったところで岩山と砂地も見えなくなり、煙が立ち込めるだけの黒い世界へと変わり果てたのである。
「まあな。でも、後少しで貴様がお待ちかねの戦闘が待つ『現実』だ。俺様はひたすらに退屈だけど」
竜人から掌サイズの竜にサイズダウンした竜祖はグラディルの頭で腹ばいになり、呑気に尻尾を揺らしていた。
「……何が不満だよ?」
ぺちぺち後頭部を叩くリズムから、グラディルは見当をつける。
「べっつにぃー。しかし、強いて言えば、力を貸すだけなところだな」
別にと言いつつ、しっかり不満を口にする神経の太さ。
グラディルは少なからず呆れた。
「……お前、俺の”竜”としての顔なんだろ?」
口にしてみれば突拍子もない事実だが、ファナン……もとい、ファナムは〈竜〉の力の精髄を受け入れ、継いできた血族である。
こういうこともあり得るのだろう、と察し、納得することは出来た。
「おうよ」
「だったら、俺が俺の力を使って戦うってだけじゃねえか」
すると、諦め混じりのため息が返って来る。
「……格が別れている以上、別人みたいなもん……て言っても、実感ねーよな。まだ」
「……??」
やおら。
「代わってやってもいいぞ? 奴との戦闘は」
「は?」
何を言い出すのかと目を丸くすれば、ぺしり、と尻尾がグラディルの後頭部を叩いた。
「だって、辛いだろ? 心底嫌い合い、憎み合って――って訳でもねえんだし」
グラディルは頭から竜祖を引き剥がして、ため息を吹きかける。
「お・断・り・だ・よ! 要らねえ気遣いすんじゃねーや」
ため息を嫌がるように、竜祖はじたばたと暴れた。
「えー……!? たまには俺様も暴れたいなー。妙な契約に便乗する形で成立しまってる現状だけども、貴様が生きている以上、俺様も同じ時間軸で生きているわけなんだよなー」
グラディルの手を抜け出すと、頭上に舞い戻ってふてる。
「解る? 貴様の奥底からずーっと、”現在”を眺めてるだけの退屈!!」
「ご愁傷さん」
不思議と同情する気にならないグラディルだった。
「じゃあ……、せめて感謝をくれよ」
意味深な空気を纏い、掌サイズの竜祖が覗き込んで来る。
「……誰が誰に、何の?!」
柘榴石の目がギラりと光った。
「貴様が俺様に!」
しかし。
「そこまでにして頂けるかな? 千年の慕情が一秒で醒める、せこい!! 以外の何物でない計略は」
続くはずだった台詞は、低く落ち着いた男の声で堰き止められたのである。
「――ぐむっ!! (想定よりも早く)お出ましになりやがったな……!?」
竜祖は謎の声に不機嫌になったが、グラディルは竜祖への突っ込みを選んだ。
「……計略ってのは何だ?」
もう一度頭から引っぺがして、目の前に持って来た。
「失敗したんだから、もうどうでもいいだろ? 細かいことには拘るな!!」
視線を合わせようとしない竜祖に、グラディルはジト目をぶつける。
答えをくれたのは謎の声だった。
「グラディル=トラス=ファナンが一番畏れる”大魔王”降臨が確定する事態を招くことだ」
「――げっ!!」
一人と一匹の声がハモったのは此処まで。
「何でそうなる!?」
が竜祖で。
「手前、碌でもねえこと企みやがって――!!」
がグラディルだった。
「『格が別れている以上、別人』。その現実を甘く見られては困る。竜の……血、を継ごうとも、グラディル=トラス=ファナンは人間。「人」こそが理性にして深層心理であり、「竜」は本能なれど表層心理でしかない。「人」という手綱無しの「竜」の現出は、本能の暴走。それをこそ、させぬ為に四苦八苦し続けて来た神祇の少年が――喜ぶとお思いかな?」
「…………」
謎の声の解説が正しいと言うように、グラディルの顔から感情が消える。
「――わ!? わわっ!! ちょ、ちょっと待て! 人間の俺!! は、話せば解る――!! 俺だって、暴走は予定外の迷惑なんですよぉ――」
竜祖の慌てふためきは、想定外の事態の直撃を証明していた。
けれど、弁明は通じず、グラディルの無感情は一層悪化したのである。
「……解ってねえとは、言わせねえ!! 手前がマジで竜だろうと、俺だってんなら――暴走がどれだけ辛くてきつい負い目になって来たか――解ってねえたあ!! 言わせねえっ!!!!」
引っぺがした竜祖を地面めがけて全力投球し、制裁として、それを踏み潰すつもりだった。
しかし、それを止めたのも謎の声だった。
「怒るなとは言わない。だが、短慮も止めて貰いたい。この先で待つ決着に、竜の〈力〉無しで挑むつもりかな?」
「――え?」
思いもしない諫め文句に、グラディルは目を丸くする。
「今此処で竜祖を叩きのめすとは、そういうことだ。加えて、竜の短慮は人の短慮でもある。相互理解に欠けるといえど、反省以上の落とし前は好ましくないな」
遠回しな言い方ではあったが、何を求められているのかは察しがついた。
「……許せ、てか?」
「無謬を旨とするのでなくば」
「――――」
グラディルは叩きつけた竜祖を改めて見下ろす。
ごめんなさい!! ポーズで這いつくばっているが、見間違いでなければ震えていた。
恐怖で。
竜祖が何を恐れているのかは解らない。けれど、どうするかは決まった。
失敗を積み重ねて来たことを忘れていないからこそ、悪友を殴りたいのだ。
終わり良ければ、全て良し! とすると、解っているから。
「今回だけは勘弁してやる」
縮こまる竜祖を摘まみ上げ、
「二度と企むな」
懐に放り込む。
小さな心音が落ち着いていくのが伝わって来た。
『……済まんかった。迷惑を掛けない成算はあったんだけどな……』
”俺”だと言う割に気がついてないようなので、グラディルは一番(多分)肝心な部分を指摘しておくことにする。
「あのな。成算が在ろうと無かろうと、(ファルの)灸の火力には影響しねえぞ」
『……、でしたね……。はい、反省! 俺様!! ……で、いいんだな?』
一転して、竜祖が感情の起伏に乏しい声で問い掛けて来る。
「何が」
『お前は決断しなかった――それは、当面、今まで通りの関係が続くってことだ』
「?」
グラディルは懐を覗き込んだ。
掌サイズの竜祖の全身が沸騰する溶岩のように白熱すると、乾いた土に水が滲みるように、グラディルの中へと消える。
「……!!」
途端に、熱を帯びた痛みが全身を駆け巡った。
『俺は、お前の内から湧き上がる〈力〉。それを制しようと目論むのなら――遠くない未来、いずれまた対峙する。もう一度姿形を得て、な。その時までに……用意しておけよ。答えを。国王からも落第を貰う今のお前では――食い千切って終わり、だ』
そして、グラディルの全身が一瞬で鱗に覆われる。
「……熱つつつ……! なんだ、なんだ、何なんだよ……」
グラディルにとっては今更な状態だったが。
「――――」
誰かが息を呑む音がした。
『えへん! 俺様、御帰宅である!! 有難く思えよ! 人間の俺!! 今まで通り、これからも力を貸してやるんだからな!』
「……あのなあ……、ま、いいや。んで、いい加減、姿を見せてくんねえかな?」
グラディルが気配に向けて声を掛けると。
「……では、目通りつかまつろうか」
何処か硬い声が返って来た。
「目通りって――、大仰過ぎんだろ」
グラディルの自己認識は、あくまで貧しい一般家庭の出身、である。
目通りなどという言葉には縁が無いはずだった。
しかし、犯人(?)は別に居たのである。
『ふふふ……! 〈混沌〉が親っつー竜種は滅多に居ねえからな! つまり、俺様のお・か・げ』
「そんなに凄えのか?」
疑問を口にしてはいたが、素直な胸中は『手前のせいか!』という糾弾に近かった。
『おう! 凄過ぎるくらい、凄えぞ! ……身内から化け物判定貰ったりもするけどよ』
(……羨ましい、ってもんでもなさそうだなあ……)
一人納得しているグラディルの目の前で煙が渦を巻き、竜巻へと成長する。
成長した竜巻が霧散すると、新雪のように白い体躯の竜が現れた。
「……ん?」
見上げる程の巨躯に、一瞬、既視感を覚えたが、すぐに片目と片角の違和に気を取られた。
(左側が銀の角で、アイスブルーの眼……なのに、右が茶色で黒い眼……。なんで、汚れている印象が在るんだ……?)
「……なんだ、〈白双〉か。こそこそ、慎重な立ち回りしてっから、もうちょい小物かと思ったんだけど」
(…………おい。何、勝手に喋ってくれたんだよ!?)
『ふふふふふ! 俺様は貴様の竜としての顔であり、貴様は俺様の人としての顔。つまり! 俺様の喋りは貴様の喋りであり、逆もまた可! ということ!! ……また一つ、賢くなったな? 俺!』
(こいつ……! 後で絶対、いわす!! ……んで、どういう知り合いなわけ?)
『んー……そこは、さて? なんだよな。貴様を介してもピンと来ない”遠さ”……数十代以上百代以内の子孫かねえ……。互いに王の座を与った事実が在るから、名前と存在はピンと来るけども』
(……?)
意味不明なのたまいだったが、それを確かめることは出来なかった。
「確かめたき儀が在り申す。故に、恥を忍んで、推して参った」
「……確かめたいこと?」
「どうしても、この先に進まれるか?」
酷く真剣な目と感情がグラディルに向けられていた。
何故か、グラディルはセルディムを思い出してしまう。
「…………」
返事を迷うグラディルの耳に遠く微かな、しかし灼熱の溶岩を想起させる遠吠えが届く。
「……気づいたか……! 待ちかねたと言わんばかりじゃねえの……!」
金色に染まっていくグラディルの目は竜の巨躯で隔てられた向こうを見つめている。
何処からか運ばれてくる生温かくもきな臭い風は、確実に戦いを予感させた。
「お止めしても無駄――か」
竜の巨躯が瞬き一つの間で掻き消えると、武人然とした人間の姿が残されていた。
左側の髪の一房が茶けていて、左目が黒い。
もう少し注意を傾ければもっと色々なことが分かったはずだが、グラディルの意識は既に、すぐ先に待つ決闘の再開に飛んでいた。
武人然とした男がすっと譲った道を悠然と歩いていく。
「武運を祈り申そう。…………どうか」
そこから先は、グラディルの背中に向けられた祈りのような願いだった。
「もう一人の私を…………弟を、よろしく頼む――!!」
それは届いたのか、届かなかったのか――。
ただグラディルは刃物のように反らした手を振りかざし、全てを斬り捨てるかのように振り下ろした。
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