第58話◆幕は上がりて
文字数 3,514文字
「何奴!?」
警備の騎士の一人が声の出所に向けて凄む。
広間はしんと、水を打ったように静まり返った。
「…………」
沈黙に耐え兼ねたように生温かいざわめきがぽつぽつと生まれ、警護役の騎士と衛士が警戒を始める。
「……面妖な空耳ですこと。人の数の多さに腰でも抜かしたのかしら? いずれにしろ、礼儀知らずは口の利き方もなってない――、それだけのことね。早くも性根の卑しさが露になってましてよ? ゼルガティス陛下も気苦労が絶えないことだわ」
セレナスの挑発に、声は応じた。
「――ふん。流石は下種の集いか。わざわざ世話を焼いてやらねば、這いつくばることすら適わぬとはな……!!」
不遜な響きと共に、セレナスの右手の空間に閃光が炸裂する。
「うわっ!?」
潮が引くように人が退いて無人の空間が出来上がると、鋭い目つきに、冷ややかな侮蔑を漂わせた男が、浮かび上がるように現われた。
鋭く尖った耳に、青ざめた色の肌。見間違える者はまずいないほど際立った特徴だった。
「貴様――、魔族かっ!?」
「――退け!!」
行く手を塞ごうとした警備に傲然と言い放つと、不可視の力が人垣を押し退け、国王へと通じる道を作り上げる。
暗い赤と青でまとめ上げた装束を纏う男は傲慢な印象そのままに歩み、あと数mという位置で、無数の槍の穂先に遮られた。
「――――っ!」
男は威嚇するように片眉を跳ね上げる。
それだけで、槍の囲いは壊れるはずだった。
だが、壊れないどころか、穂先は一ミリもぶれない。
「…………!」
そして、気づかされた。
顔が見えない。
たった数mの距離しかないのに、誰の表情も解らない。
”のっぺらぼう”という異界の妖には顔が無いというが、正にそれだ。
この広間に居る誰かが自分の力を退けている、と直感した。
「――――」
威嚇と威圧を兼ねて周囲を睥睨するが、”誰か”の正体は掴めそうになかった。
(……小癪な……!!)
感情のまま暴れ出したい衝動に駆られたが、忘れてはいなかった。
肝心なのは事態を予定通りに進展させることなのだから。
「お初にお目にかかる!!」
「……どなた様かな?」
闖入者を歓迎していないと判る国王の問いかけが合図だというのか、王女の背後に控えていた衛兵二名が動き出す。
「控えろ! 下郎!!」
男が感情を激発させると、宙空に雷が生まれて、衛兵を襲う。
しかし、中途で不自然な孤を描いて軌道が逸れ、庭と部屋を隔てる窓ガラスを砕いて終わった。
(……誰だ?! 何処だ――!?)
居場所も正体も隠したままの妨害者に臍を噛んでいる間に、余計な感想が飛んできた。
「何処の田舎者だよ、こいつ!」
侮蔑をくれた大柄な衛兵は引き裂いてやりたかったが、今は役割を全うすることが優先だ。
「我が名はドルゴラン=セグムノフ! 大陸ガルドラにて覇を唱えし魔王、ゼルガティスの名代にして、次期魔王である!! 先触れに遣わした文の返答や如何に!?」
「……、ドルゴラン……?」
細い印象がある衛兵の片割れが、訝し気に反芻する。
腹いせも兼ねた犠牲の山羊はこいつだと決めた。
「粗忽者が――!!」
霧から作り上げたような水の荒縄が衛兵――ラファルドめがけて襲い掛かる。
しかし。
「――お止めなさいっ!!」
王女の喝に打ち据えられ、絡みつかれる前に霧散してしまった。
(…………噓――!? え、ええっ?! 血を引いてるってだけで、真似出来るものじゃないよね!! 今の――!?)
気合で魔術を破る荒業に、思いもかけず、ラファルドは目を白黒させたくなる。
すかさず体格のいい相方――グラディルに殴られなかったら、自分を止められなかったかもしれなかった。
「…………ほう?」
魔族の視線を遮るように衛兵が割って入ったが、セレナスは邪魔をするなとばかりに二人の頭を扇で叩いた。
「粗忽者はどちらです!? 腹立ちは客分の法を超えていい理由ではありませんわね! お下がりなさい。自称次期魔王なぞから文を寄越された覚えなど、無くてよ」
そして、再度衛兵二名の頭を叩くと、今度は大人しく衛兵を盾にした。
国王は何処となく険悪な空気の王女とその仕えを呆れた目で見ている。
口を利かせる必要もないとばかりの王女の冷たい対応にもかかわらず、男は笑った。
「屑が」
「――何ですって――?!」
「殿下!!」
平手を打つ為に詰め寄りかねなかった主人を仕えが二人がかりで引き止める。
「我が王の慈悲にも気づかぬ低劣など、屑で十分だろうが!」
国王は感情の読めないため息をついた。
「……請うた覚えすらない慈悲の押し売りか。片田舎の猪は遠吠えをするという。連れて来るがいい」
遠吠えは犬や狼の習性であり、猪はしない。論外という評価であり、二度と出て来るなという
命令である。
そして、猪はしばしば農作物を荒らすとして嫌われ、狩の獲物と定められる。
つまり、次に顔を見ることが在ったら、狩る、という最後通告でもあった。
「…………返答は?」
男は退かなかった。
けれど、きつく拳が握り締められているあたり、自身がどう扱われたのか解っているらしい。
「文には文でもって応ずるのが最低限度の――」
視線すら合わせようともしない国王に男は言い募る。
その顔面めがけて、国王は懐から取り出した文を放った。
「貴様――!!」
床に落ちた文を拾い、燃え盛る憤怒を籠めた目で魔族は国王を睨む。
物珍し気な振りをして割り込んだのはセレナスだった。
「あら……。文、文、言うから、何かと思えば――。我らが公国で失笑を買った、手紙もどきのことでしたのね! 流石は片田舎。習俗が違う程度は覚悟しておりましたけれど、常識のじの字すら通じないとは思いませんでしたわ!」
「何だと!?」
「宛名、宛先も存在しない書面は、魔族ですら、手紙とは呼ばないそうですわね? おまけに、中身は世迷言の書き連ねだったとか? そんなものを文――手紙の古風な言い回しですけれど、と呼ぶのは、恥知らず以外には在り得ない、そうでしてよ? 魔族からしても」
「…………人間風情が、魔族、魔族と気安く――」
「(さて、何処まで見事に尻尾を振って下さるかしら? すっきり、手早く片付けば――期待外れということ以外は、上出来ですわね)あら? ゼルガティス陛下は潔く、己の不明を恥じて下さいましたのにね。次期魔王を自称する方は――主に倣わない、ということかしら?」
「…………!!」
屈辱に震えて顔色を失くす魔族の男に、王女は美しい微笑を手向けた。
「手紙の体裁すら理解できていない程度が、王の代理ですって? 寝言は寝てからになさいな。……ま、詫び言の用意が在ると言うのなら、今だけ、特別に、世間知らずの無粋な余興だったと見逃してさしあげないこともありませんわ。もっとも、魔王陛下直々の鞭を授かることは避けられないでしょうけれど」
「――――」
男は震えたまま俯いた。
「どうしました? それとも、詫び言一つ、用意出来ない風情――? でしたら、疾く、退きあそばせ! お門違いも甚だしくてよ!!」
「殿下!!」
セレナスの弾劾が終わるか否かのタイミングで、ラファルドが一歩前に出る。
すかさず、グラディルが壁となるようにセレナスの前に立ちはだかり。
「……下種の、分際が――!!」
直後、無数の氷の槍が王女とその仕えを襲った。
金属同士をぶつけあったような甲高い衝突音が響き渡り。
「殿下――?!」
「御無事か!?」
周囲の人間達が続々と悲鳴を上げた。
「――ふん!」
魔族の男からすれば、忌々しい限りだった。
命中と共に炸裂する轟音も、肌に生まれる押し返される微かな感触も、阻まれて届かなかったことを伝えて来る証拠に過ぎない。結果など、見るまでもない。
不意に、氷槍の豪雨が途切れる。
無数の槍が作り上げた氷塊が残骸もろとも蒸発すれば――王女と仕え人は無事だった。
(無傷――。それなりの技量の術者を、わざわざ変装させたか……!!)
「感情と魔術の連動は、流石――かも知れませんが……」
窘める言葉を聞く前に、魔族の男はキレた。
「貴様っ!! よくも、俺の力を――! その片鱗を、魔術などと――!!」
魔術という分野、魔力という領域において、魔族の足元にも及ばないとされるのが人間。
それがこの世界の常識だった。
加えて、魔族には魔術を初心者向けの子供騙しと蔑む傾向が在る。
論評という行為自体が癇に障るのだ。
おまけに、体格に優れた衛兵――グラディルが、逆撫でされた神経に余計な止めをくれた。
「んだよ、こいつ! 鼻っ柱だけ、ってことじゃん!」
堪忍袋など、初めから持ち合わせていない。
主の制止が無ければ、とっくに襲い掛かっていた。
「許さんっ、許さんぞ! 貴様っ!!」
男の激昂に応答するようにグラディルの足元が赤く輝き。
「――?!」
溶岩が間欠泉の如く噴き出した。
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