水車男登場

文字数 696文字

ああ、あれか……。
あ、あなた、ええと……。
みさ……き……由良さん?
そんなことやってる場合じゃない!
 水車が元通りの方向に回転を始める。水車が引っかけたバッグは、目の前に下りてきたところで難なく回収することができた。
これ……。
ありがとう、ええと、確か……。
浅賀才です、同じクラスの。
 めいっぱい爽やかに答えたつもりだったが、余計な気負いだったかもしれない。最初、岬さんは僕の名前を思い出せなかった。同じクラスでありながら、僕はそのくらい影が薄かったのだ。
やったね。

 どうやらヨウコが思いついたのは、岬さんが手にしたバッグを逆回転した水車に引っかけることだったらしい。

 いずれにせよ、『古文書解読』を拾っただけで岬さんとはお近づきになれたのは、こういうきっかけがあったからだ。

 ただし、ライバルの存在が現実になったのも確かだったが。

向坂さんのバッグ、私の友達が……。
ああ、困ってたんです、すみません。
いえ、どうも……。

 言葉はそのくらいしか出なかった。一見して高そうなジャケットとシャツ、すらっとしたメンズパンツ姿の若者は、いつかこうなりたいと思わせるくらい、知性的で格好良く、そして裕福に見えたのだった。

 だが、僕がレジに立った時に見ていたら、その時の支払いはきっちり割り勘だった。岬さんはレディース仕様の、半玉うどんだった気がする。

あ~あ……カッコよくキメてよ。ライバルの前なんだから。

 帰りにレジを済ませた2人の去っていく後ろ姿を眺めていると、ヨウコがぼやいた。

 もちろん、この不規則発言に対する岬さんと向坂のリアクションはない。

 ヨウコはその姿も見えなければ、声も聞こえはしないのだから。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

浅賀 才(あさが さい)

 立身出世のために田舎から出てきて下宿生活を送る高校2年生。上昇志向は強いが、出身地へのコンプレックスも比例して大きい。親には強気な態度で出るが、自分にも多大な負担を敢えて掛ける真摯な面がある。

由良 岬(ゆら みさき)

 家紋を頼りに自らのルーツを探す才色兼備の高校2年生女子。孤独を内に秘めた立ち居振る舞いには年上の男性を引きつける知的な大人の魅力があるが、本人は自覚していない。

妖狐のヨウコ

 100年を生きて人間に変身できるようになった狐。旺盛な好奇心に任せて出てきた都会で暮らすために、才の部屋で厄介になっている。自由に姿を消したり変身したりできるが、大好物の油揚げを目の前にすると、一切の自制心を失って術が使えなくなる。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色