親の前でも長居は無用

文字数 470文字

いや、そんな関係じゃ……。
 岬さんとはそうなりたいはずなのに、その言葉を口にした瞬間、僕の眼前に浮かんだのは別の顔だった。
(お兄ちゃん……)

 妖狐の、ヨウコ。

 なぜだか分からないけど、胸がずくんと疼いた。

(……何でだろう?)
 考えている間に、先を急ぐのが得策だった。 岬さんはもう、オヤジオフクロの前で惚れ惚れするような美しいお辞儀をしている。
初めまして、私、同級生の由良岬っていいます……え?
 僕は岬さんが両親に挨拶するのもそこそこに、この場を離れた。時間は限られている。いかに実家とはいえ、長居は無用だ。
ごめん、結構、遠い所にあるんだ、神社。

 信夫ヶ森に着くまでは、かなりの間、歩かなくてはならなかった。もう日差しは初夏の光に変わり、見渡す限りの田畑と畦道と、両手を広げれば触れそうな山々が眩しい緑色を照り返していた。

 田植えの準備も始まり、まだ水の入っていない田んぼをトラクターが行ったり来たりしている。ツナギその他の作業着姿で耕運機を押す人たちが、道端のあちこちの畑で、石垣にびっしり植わった芝桜の香りの中、土を柔らかく砕いている。

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登場人物紹介

浅賀 才(あさが さい)

 立身出世のために田舎から出てきて下宿生活を送る高校2年生。上昇志向は強いが、出身地へのコンプレックスも比例して大きい。親には強気な態度で出るが、自分にも多大な負担を敢えて掛ける真摯な面がある。

由良 岬(ゆら みさき)

 家紋を頼りに自らのルーツを探す才色兼備の高校2年生女子。孤独を内に秘めた立ち居振る舞いには年上の男性を引きつける知的な大人の魅力があるが、本人は自覚していない。

妖狐のヨウコ

 100年を生きて人間に変身できるようになった狐。旺盛な好奇心に任せて出てきた都会で暮らすために、才の部屋で厄介になっている。自由に姿を消したり変身したりできるが、大好物の油揚げを目の前にすると、一切の自制心を失って術が使えなくなる。

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