彼女の切なる悩み

文字数 497文字

聞いてるの?
聞いてるったら。

 じっと見つめる彼女の眼差しを正面から受け止められない視界の隅で、自動ドアが開く。出ていった者もなければ、駆け込みの入館者もない。

(あれっ……?)

(そんなはずない、こいつ僕の隣に座って……)


……? お兄ちゃん?
(いるよな、やっぱり。)
浅賀君!

 まっすぐな眼をした由良岬(ゆら みさき)が、責めるように僕の名を呼んだ。

 僕にしても、彼女が告白されたされないというのは他人事ではない。結構、大問題なはずなのだ。

 でも、そのときは、図書館に誰も出入りした者がないことのほうが気になっていた。

ああ、忙し忙し。
何だ……。
 それこそ狐か何かの仕業のようにもみえたのだが、何のことはない。本棚のチェックをして回っている司書のオバサンがすぐそばを通り過ぎただけのことだ。
浅賀……才(さい)君!
あ、ああ、あの大学院生ね。

 岬さんは同級生だが、名前まで呼んでくれることはめったにない。さすがに僕も我に返ったが、正直、考えたくない話題だった。

 彼女が民俗学かなんかを研究している大学院生とつきあっている……というか、休日を共にしていることは、既に何のためらいもなく打ち明けられている。

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登場人物紹介

浅賀 才(あさが さい)

 立身出世のために田舎から出てきて下宿生活を送る高校2年生。上昇志向は強いが、出身地へのコンプレックスも比例して大きい。親には強気な態度で出るが、自分にも多大な負担を敢えて掛ける真摯な面がある。

由良 岬(ゆら みさき)

 家紋を頼りに自らのルーツを探す才色兼備の高校2年生女子。孤独を内に秘めた立ち居振る舞いには年上の男性を引きつける知的な大人の魅力があるが、本人は自覚していない。

妖狐のヨウコ

 100年を生きて人間に変身できるようになった狐。旺盛な好奇心に任せて出てきた都会で暮らすために、才の部屋で厄介になっている。自由に姿を消したり変身したりできるが、大好物の油揚げを目の前にすると、一切の自制心を失って術が使えなくなる。

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