死の間際の昔話

文字数 474文字

 そこで、頭の隅っこに浮かび上がった昔話があった。死ぬ間際の、この切羽詰まった状況で思い出すものじゃないが、人間の心というのは、そういう無駄な働きをするものなんだろう。
借りた金が……返せねえ?
へえ、地主さま……面目ねえ……どうか、少し。
いや……待てねえ。日が沈むまでに耳を揃えて返すか……。
とんでもねえ……とても、そんな……。
なら、10人がかりの田植えを、お前1人でやれ、日が沈むまでに!
やる……やりますわい!
それができたら、借金は帳消しだ。
 女は死に物狂いで田植えをした。
まだ……まだ日は高え!
 だが、あとわずかというところで日が沈みかかった。
もうすぐ、もうすぐ終わる……!

 夕日は、無情にも山の端に消えていく。広い田に、影が落ちる。最後の光が、その彼方に点となって消えていく。

 女は、とうとう夕日に向かって叫んだ。

戻せ……戻せ!
 女の一念が通じたのか、夕日は少しだけ、沈むのをやめた。
今だ……。
 その間に女は田植えを終えたが、その場にばったり倒れると、事切れた。

 やがて日は沈んだが、そのとき、女は一羽の小鳥となって何処かへ飛び去ったという。

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登場人物紹介

浅賀 才(あさが さい)

 立身出世のために田舎から出てきて下宿生活を送る高校2年生。上昇志向は強いが、出身地へのコンプレックスも比例して大きい。親には強気な態度で出るが、自分にも多大な負担を敢えて掛ける真摯な面がある。

由良 岬(ゆら みさき)

 家紋を頼りに自らのルーツを探す才色兼備の高校2年生女子。孤独を内に秘めた立ち居振る舞いには年上の男性を引きつける知的な大人の魅力があるが、本人は自覚していない。

妖狐のヨウコ

 100年を生きて人間に変身できるようになった狐。旺盛な好奇心に任せて出てきた都会で暮らすために、才の部屋で厄介になっている。自由に姿を消したり変身したりできるが、大好物の油揚げを目の前にすると、一切の自制心を失って術が使えなくなる。

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