二十一(八)(最終話)

文字数 2,394文字

 夜、(せき)傳若(でんじゃく)が慰労と歓迎の宴を開いてくれた。皆、ゲルを出て久しぶりの羊肉や葡萄酒を楽しんだ。
「アユンは、キョルクを連れて帰ったあとも、安禄山軍の将軍として戦い続けるのか」
「河北では、(がん)真卿(しんけい)らが頑強に抵抗しているし、(がん)杲卿(こうけい)に惨殺された仲間のためにも戦うしかない」
「タンが死んだ。小さな男の子が、妹の復讐に人を殺しそうになったのを止めて、その子を救うために、自分が斬られた。タンは、人を殺すのをやめて、ただ目の前の子供を救うために命をかけた」
「タンは『復讐のための殺し合いは無限に連鎖する』って言ってたな」
「ああ、親の仇を討った俺も『そんなことはもうやめろ』と、タンに叱られている気分だ」
「そうは言っても、一度始まった戦争は、誰も止められない」
「俺が見た所、安禄山は重い病気だ。安禄山が死ねば、安禄山軍は瓦解するぞ」
「安禄山が死んでも、息子の(あん)慶緒(けいしょ)もいれば、阿史那(あしな)承慶(しょうけい)()思明(しめい)らの強力な軍も残っている。安禄山軍がすぐに瓦解するというのは言いすぎだろう」
「唐の権力者は、軍を暴力と規律で統制し、兵士を個性のない同じ顔の兵士ばかりだと考えている」
「安禄山は、そんなことはない。上官も兵士も、一人一人に個性があり、事情があると分かっている。誰に忠誠心を持っているのか、何が欲しくて何に不満を持っているのか、そして何のために戦うのか……、安禄山はそういうことを上手く読み取り、人の心をつかんで一つにしていくのがうまい」
「だからだよ、アユン。それができる大将の安禄山がいなくなったとき、軍は瓦解するだろう」
 じっと二人の会話を聞いていたキョルクが言った。
「瓦解するのは唐も同じだ。仮に安禄山が死んで唐朝が復活しても、いったん安禄山に味方した地方の豪族や武将を処刑する力は、朝廷にはもうないだろう。それどころか、朝廷に立ち向かうことを知った土地の豪族や武将は、密かに安禄山を英雄として称え、ますます力をつけていくだろうし、民もそれを支持し、それは唐の屋台骨をぐらつかせ、滅亡へ導くだろう」
 アユンが辛い顔で言った。
「俺は洛陽で、むごい虐殺の跡を見た。そのとき、あの安禄山と初めて会った満月の夜に、安禄山を殺しておいた方が良かったのかと思った。そうすれば、バズも常山で死なずに済んだ。俺は、安禄山の意のままに動くつもりはない。俺は可汗(かがん)(王)ではないが、鍛鉄(たんてつ)奴隷を先祖にもつ突厥(とっくつ)の後継者だと思っている。キョルクやテペと一緒に、サイッシュやクゼールたちの製鉄技術を守り、突厥の仲間を守ることが俺の一番の使命だ。何かあれば、安禄山軍とも別れて、どこにでも行くさ。俺たちは遊牧騎馬民族なんだから」
「アユンは“火”だな。石を鉄に変える火だ。火は熱く激しくすべてを燃やし尽くす。燃やし尽くした後には、新しい種が落ち、花が咲き、実が実るという。いつかその実を見てみたい」
「リョウは“風”だったな。風はどこに吹いていくんだ?」
「俺も、唐の皇帝や安禄山が支配する、息苦しい世界で生きようとは思わない。(てい)愛淑(アスク)、それにシメンと春蘭、一緒に行きたいという石工やソグド商人を連れて、親父やおふくろが目指した西域の広い世界、いや西域のさらにもっと西へも行ってみたい。そうだ、大食(タジク)(アラビア)の商人に聞いたが、海というものを船で渡って商売するのもいいじゃないか。もともとこの国が目指したのは、国境を越えて人や文化が自由に往来し、平和に生きられる、そういう世界だったはずだ。俺はまだ諦めたくない」
「俺たちの目指すことは同じようだな、平和で安心して暮らすことだ。そう思って生きていれば、立場が違っても、生きている場所が違っても、いつかまた会って、話ができる日が来るだろう」
 アユンの言葉に、キョルクがしみじみと言った。
「お前たちの夢には志がある。だからきっといつか実現できる。私は信じていますよ」

 翌朝、アユン、キョルク、テペらは、長安に戻り、リョウたちは隊商(キャラバン)を組んで西に出発することになった。別れ際に、シメンがアユンに春蘭を抱かせた。アユンは、春蘭が首に掛けている、半円形の銀の台に真珠がついた首飾りに気付いて、目を見開いた。何も言うなという風に、眼で制したシメンが言った。
「戦争になって最初に、そして最も苦しむのは子供でしょ。春蘭は、イルダと私の子、そしてみんなの子、子供は全部みんなの子だと思えば、戦争なんてなくなるのに」
 アユンの手から春蘭を受け取ったシメンに、愛淑を抱いた婷が近づいた。
「そうよね、この子たちのために、今見える未来とは、違う未来を作ってあげたい。今までの経験をただ繰り返すのではなく、その経験を次に活かせば、きっと未来は変えられる」
 リョウは、シメンだけにこっそりと耳打ちした。
「シメンは、突厥の生活が嫌いじゃなかったろう。甘州なんかに行かずに、春蘭を連れて、アユンと一緒に行ったらどうだ」
「幸せにはいろんな形があるでしょ、兄さんの幸せの形を、無理に私に押し付けないで。それより、甘州止まりじゃなくて、駱駝(らくだ)に乗って、みんなと一緒に西へ行くのもいいな、私も連れて行ってちょうだい」
 進が言った。
「俺はもう、将軍になんかならなくていい。将軍というのは、大勢人を殺してなるものだとわかった。アラブ馬を乗りこなしてみたくなったから、俺も一緒に西域に連れて行ってくれ」

        ・・・・・・

 リョウは思った。俺の名前はリョズガッシュ、ソグド語の風だ。風は空の神の使い、大空を自由に行き来して、自然と人間をつないでくれる、何かを運ぶこともできる。優しく人を包むこともあれば、激して大きな力を振るうこともある。そして誰も風を捕まえることはできない。俺は、何ものにも縛られない、風になりたい。

(「鳳翔の決戦」おわり)
(「石刻師リョウ Ⅲ 燎原の火」 完)
ご愛読、誠にありがとうございました
              雲井耕
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