十一(一)

文字数 1,224文字

 タンとは、その後もときどき会って話をした。二人とも、長安の都に住んでいながら、そこは何となく自分の居場所ではないような気がしていて、二人で突厥(とっくつ)の昔話をしたり、タンの話す仏教の逸話について議論したりしていると、気が和むのだった。
 リョウが依頼された観音菩薩の仕事は順調に進み、いよいよ最後の、お顔を仕上げる段になっていた。それまで、石の導くままに彫り進めていたリョウだったが、少し迷いが出た。最近は、大秦(だいしん)(東ローマ)方面の彫刻の影響が唐まで及び、仏像のお顔も、男とも見えるし女とも見える中性的な顔が流行(はや)りになっている。観音菩薩は、男でもないし女でもない、とタンが教えてくれたので、それも良いような気がした。一方で、かつてリョウの師匠である炳霊(へいれい)寺の石工、哲が言っていたように、そういう時代だからこそ唐風の仏像を作ろうという者もいる。景教(けいきょう)(ネストリウス派キリスト教)寺院に飾るイエス像を、丸顔の漢人顔で描いた絵師と景教の僧が喧嘩したなどという話が、巷間の噂になっていた。
 リョウは、あらためて観音菩薩について考えた。人々の苦しみを聞き、救ってくれるというその菩薩は、どういうお顔をしているのだろう。しばらく瞑目(めいもく)していたリョウの頭に、(てい)の顔がおぼろげに浮かんできた。忘れてしまいそうな婷の顔を、一生懸命に心の中に念じた。悲しみをこらえる婷、ひかえめに喜びを表す婷、そして病人や老人を包み込むその優しい眼差し……、観音様はこれだ、そう思ったリョウは、一気にそのお顔を彫り上げた。彫り終わってしばらく、リョウは放心したようになった。

「リョウの彫った観音様は、見る者の想いをどこまでも受け止めてくれる。声高に主張するものは何もなく、ただ底抜けに深く受け止めてくれる」
 出来上がった観音菩薩像を見た(とう)龍恒(りゅうこう)が、そうつぶやいた。納めた貴族も満足して言った。
流麗(りゅうれい)な肩や衣裳の(ひだ)の曲線が何とも言えない。それにやはりお顔が素晴らしい」
鄧龍(とうりゅう)」の若旦那、龍溱(りゅうしん)は、そんなリョウの石刻師としての腕を、さっそく商売に活かしていた。
「『鄧龍』の新しい石工の頭、(せき)(りょう)の彫る石仏、(いし)灯籠(どうろう)を見てくれ、そう言って客を連れてくるんだ」
 店の者にそう指示して、街での評判を高めながら、リョウが考案した新しい意匠(いしょう)の石灯籠や欄干(らんかん)を、石工たちにたくさん作らせた。
 リョウも観音菩薩の出来には満足したが、それは石の質が良かったからだと思って龍恒に聞いた。
「この石はどこの石ですか。とても彫りやすかった」
「これは鳳翔(ほうしょう)の青御影(みかげ)(いし)だ。うちには(そん)逸輝(いつき)という石の目利きがいる。(すずり)も彫る男だ。国中の山や川を歩いて、良い石を見つけてくる。大きな声では言えないが、地方の情報収集も仕事だ。今も出かけていて一、二か月は帰ってこないと思うが、帰ってきたら紹介してやろう」
 リョウは、情報収集という言葉に、「鄧龍」がただの石屋でないことをあらためて感じたが、それよりも硯を彫るという孫逸輝と、石刻の話をしてみたいと思った。
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