一(五)
文字数 1,520文字
李林甫の専横 ぶりは、自分に立ち向かう者ばかりか、才能や声望に優れて競争者 になりそうな者まで、その一族郎党ごと芽のうちに摘 んでしまうという、容赦のないものだということを、リョウは知っていた。しかし、それでも分からないことがあった。
「李林甫の卑劣さは、皇甫将軍からも聞いていた。だから皇甫将軍は、危険を承知で皇帝にそのことを直訴した。だけど、なぜ李林甫は、皇太子を目の敵にするのだ?」
それには、再び朱ツェドゥンが答えた。
「今から十年ほど前のことだが、前の皇太子李 瑛 が、謀反を計った罪で死を賜りました。それも、李林甫が、皇帝の寵愛を一身に受けていた武 恵妃 にすり寄り、その子の寿王 李 瑁 を皇太子にするための陰謀だったことは、ほぼ間違いないでしょう」
「寿王 瑁 というのは、楊貴妃 の元の夫だ」
哲が物知り顔で口を挟んだが、朱ツェドゥンはそのまま続けた。
「ところが、寿王瑁を皇太子にする前に、肝心の武恵妃が病気で亡くなり、寿王瑁は母の喪に服すと言って皇太子の冊立どころではなくなってしまったのです。皇太子を空席にしておくことは国の大事になるという宦官 の高 力士 の勧めで、寿王瑁を皇嗣 (皇位継承第1順位)にすることを諦め、年長の李 亨 を皇太子に立てざるを得なくなりました。だから李 亨 は、本当は李林甫が自分を皇太子にしたくなかったことを知っています。李林甫は、いずれ李 亨 が皇位を継ぐと、自分が粛清されるだろうと、戦々恐々なのです」
朱ツェドゥンが話し終わると、呂浩 は居住まいを正してその場の者を見回した。
「実はここからが今日の本題なのです。炳霊寺 では大仏の建立が中断されていますが、最近、何人かの貴族が再開を願い出たのです。それに対して李林甫が、『お顔も未完の摩崖 仏 など、ただの崖ではないか、そんなものは直ちに破壊しろ』と命じたのです」
呂浩の話に、朱ツェドゥンが憤った声を出した。
「自分たちが中断させておいて、工事再開の許可も出さずに、ただの崖とは!」
「いったい、何が狙いなんだ、大仏の破壊命令も皇太子派の追い落としになるのか」
哲が訊ねると、呂浩は吐き出すように言った。
「炳霊 寺の支援者には、皇甫将軍を密かに敬愛する貴族が多い。大仏が完成したら、寺の力、そして仏教派ひいては皇太子派の結束が強まるだけだ。自分に盾突けばどうなるか、李林甫は牙をむいてみせたのだ」
寺男が置いていった茶を一口すすり、呂浩は冷静さを取り戻して話し始めた。
「仏教の信心が篤 い我が主、裴寛 は、そのことに心を痛め、何とか摩崖仏の破壊命令だけは取り消せないものかと、命の危険も顧みずに李林甫と談判しました。その結果、造立再開の許可は出すが、今年の末までに完成させられれば良し、もし完成できなければ仏像は破壊する、ということになったのです」
哲が叫んだ。
「なんと、あと半年しかないじゃないか!あの大仏を完成させるには、一年以上はかかるぞ」
「それは良く分かっています、これは初めから嫌がらせなのです。皇帝の許しを得て復職した裴寛 を無視するわけにもいかず、面子だけは立ててやる、だが実際は無理難題を吹っかけて、仏教派ひいては皇太子派に打撃を与えたいのでしょう」
朱ツェドゥンが、しみじみした口調で呟いた。
「皇帝は、開元 の時代(713年~741年)には、平和で繫栄する唐を築き上げました。私の国、吐蕃 (チベット)とも友好関係を結びました。支える臣下たちには、たとえ身分が低くても科挙を通った優秀な官僚が大勢いました。その皇帝も早や64歳、お疲れになったのでしょう、今は楊貴妃 と温泉で過ごすのが何よりの楽しみで、李林甫やその取り巻きの言いなりのように見えます」
もう誰も、声を出す者はなかった。
「李林甫の卑劣さは、皇甫将軍からも聞いていた。だから皇甫将軍は、危険を承知で皇帝にそのことを直訴した。だけど、なぜ李林甫は、皇太子を目の敵にするのだ?」
それには、再び朱ツェドゥンが答えた。
「今から十年ほど前のことだが、前の皇太子
「
哲が物知り顔で口を挟んだが、朱ツェドゥンはそのまま続けた。
「ところが、寿王瑁を皇太子にする前に、肝心の武恵妃が病気で亡くなり、寿王瑁は母の喪に服すと言って皇太子の冊立どころではなくなってしまったのです。皇太子を空席にしておくことは国の大事になるという
朱ツェドゥンが話し終わると、
「実はここからが今日の本題なのです。
呂浩の話に、朱ツェドゥンが憤った声を出した。
「自分たちが中断させておいて、工事再開の許可も出さずに、ただの崖とは!」
「いったい、何が狙いなんだ、大仏の破壊命令も皇太子派の追い落としになるのか」
哲が訊ねると、呂浩は吐き出すように言った。
「
寺男が置いていった茶を一口すすり、呂浩は冷静さを取り戻して話し始めた。
「仏教の信心が
哲が叫んだ。
「なんと、あと半年しかないじゃないか!あの大仏を完成させるには、一年以上はかかるぞ」
「それは良く分かっています、これは初めから嫌がらせなのです。皇帝の許しを得て復職した
朱ツェドゥンが、しみじみした口調で呟いた。
「皇帝は、
もう誰も、声を出す者はなかった。