一(二)

文字数 1,680文字

 リョウが初めて炳霊(へいれい)寺に来た時、石窟を案内してくれたのは、寺の石工で、リョウの師匠、(てつ)だった。哲は、頭こそ禿()げ上がっているが、大きな身体で岩壁を敏捷(びんしょう)に上り、肩や腕の筋肉も盛り上がっている。四角い顔にまっすぐ横に描いたような太い眉、大きな鼻で、その顔に似せて彫れば大仏様のお顔になるような男だった。
 最初に、二人は一番東の石窟に入った。そこは高さも奥行きも二丈(約6m)近くあり、その広さに驚いたリョウは、壁や天井に描かれた飛天図や釈迦(しゃか)説法(せっぽう)図の、紅や青緑、黄色の鮮やかさに、二度驚かされた。
「ここが一番古い石窟だ。北魏(ほくぎ)の時代、三百年ほど前のものだ」
「きれいな色だ。石工だけでなく、画工も参加したのか」
「そりゃそうだ、ここには極楽浄土を作るんだから、みんなの協同作業だ。僧侶が自ら石仏を彫ることもあるし、画工が仏教に帰依(きえ)して僧侶になった者もいた」
 哲はそう言いながら、揺れる足場の上をどんどん西に向かって歩いて行った。
「ここから順に北周の時代、(ずい)の時代を経て唐につながる。その間には、百を超える石窟がある」
「東から西に向かうにしたがって、仏様の顔も姿も、少しずつ変わってきている」
「おう、気付いたか。ここの仏像は、それぞれの時代の、西域の様式を真似(まね)て作られたのだ」
「書でも彫刻でも、まずは真似から入るのが常道だと聞いた」
「まあ、真似しろと言われても、簡単に真似できるものでもない、相当の修練が必要だ。俺だって敦煌(とんこう)で、西域の仏像を真似るのに何年もかけた。小さな洞窟の中に四人で寝泊まりして、(あり)のようにそこから()い出しては、もぐらの様に毎日毎日、石窟に(こも)って仏像を彫り続けた。おかげで、長安に戻ってからは、一人前の石刻師と言われるようになったが」
敦煌(とんこう)というのは、隊商(キャラバン)の道にある都市だと聞いたことがある」
「ああ、玉門関(ぎょくもんかん)陽関(ようかん)という、二つの古い関所がある大きな町だ。十を超える寺があり、千人の僧や尼が仏に仕えている」
「俺は、砂漠の果てにある寂しい場所かと思っていた」
「そんなものじゃない、漢人も、いろんな異民族も、一緒になって仲良く暮らす町だ。何しろみんな仏教への信仰心が(あつ)いからな。青い眼のソグド商人も、唐の商人も、それぞれの利害や宗旨はさておいて、この町の平和さに、ほっと一息付けるんだ」
 そう言って哲は、昔を懐かしむような顔をした。
敦煌(とんこう)で学んだにしては、師匠の彫る石仏は西域風には見えない」
「俺は、農民でも貧乏人でも、誰でも心を寄せられる、田舎の小さな寺や路傍(ろぼう)の石仏にこそ価値があると思っている。だから、その仏様があまり西域風じゃ困るんだ、それで漢人が親しめるように工夫している」
「俺はてっきり、哲は貴族のために石を彫っているのかと思っていた」
「ああ、確かに俺を雇ってくれたのは、炳霊(へいれい)寺の後ろ盾となっている裴寛(はいかん)という貴族だがな。その前の雇い主は、朝廷に背いたかどで御家取りつぶしになってしまった」
「長安では、御家取りつぶしなんて日常茶飯事だと聞いた。特に()林甫(りんぽ)が宰相になってからは」
 哲が苦笑しながら、毛のない頭をかいた。
「めったな名前は出すもんじゃないぞ、寺なんてのは、政治家や権力者の影響を一番受ける所だ、誰が聞いているかわからん」
 なるほど、とリョウは思った。誰だって心に不安を抱えている。貧乏人だって貴族だって、病気になれば神仏に祈りたくなるし、そこに救いを与えてくれるのが宗教なのだろう。それだけならまだいいが、その宗教の庇護(ひご)者として、民の信心を政治に利用すれば、それは権力者の権威を高めることになる。
「そんなことより、ほら、あれ」
 そう言った哲は、崖に彫られた未完の大仏を指差した。
「中断したまま、何十年も風雨にさらされている大仏様も、その政治のせいだ。仏教を振興した武則天(ぶそくてん)の時代に作り始められたが、今の皇帝(玄宗)になって中断されてしまった。何をするにも、先立つのは金だからな」
 リョウは、旅先でタンと剛順(ごうじゅん)が、古い寺の修復にも許可が必要で、剛順の寺も荒れ放題だと聞いたことを思い出し、それが、こんな大仏の造立にも影響しているのかと、改めて驚いた。

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