四(五)

文字数 1,360文字

 リョウが炳霊寺(へいれいじ)石窟(せっくつ)のいわれを聞いた二日後、空はそれまでの嵐が嘘のように晴れ上がった。しかし、紅葉していた崖の木々はすっかり葉を落とし、冷たい風が肌を刺した。鳥は対岸の森や竹林の中に寒さを避け、もうすぐ本格的な冬が来る気配がした。
 大仏のお顔は、目鼻の細部まで丁寧に彫り込まれ、上半身の衣の(ひだ)もきれいに浮き上がっている。大仏の完成が近づいているのは、誰の目にも明らかだった。妨害工作と思われる事故も、犯人が不明のまま、最近はなくなっていたが、呂浩(ろこう)は、それはむしろ悪い知らせで、「敵は小細工を止め、正面から堂々と大仏の破壊に来る」と言っていた。
 造立作業は、大仏の下半身を塑像(そぞう)で作る段階になっていたので、リョウたち石工のやることは、あまり無くなっていた。下半身の塑像ができて、足場を外せば、すべての作業は終了だった。開眼(かいげん)供養(くよう)に向けて、長安の朝廷や町の主だった人たちにも案内が出され、炳霊寺を支援する貴族や商人たちからは、早くも祝いの絹や金子(きんす)あるいは砂金が送られて来ているのだと聞いた。なにせ、何十年ぶりの新しい大仏の開眼供養なので、仏教派の人々は、ここぞとばかりに寄進しているのだという。
 しかし、呂浩(ろこう)は警戒を緩めなかった。昼過ぎ、呂浩の指示で、呂浩の石工が十名、もとから石窟にいた石工が六名、船着き場に集められた。長安で集めてきた職人は入っていない。リョウも一緒に来るようにと哲から言われた。総勢二十名近い石工たちは、二(そう)の舟に分乗して対岸に向かった。
 舟の上で、哲が、教えてくれた。
「寺には僧兵もいるが、今日集めた石工たちも、日ごろから石工軍団の兵士として鍛えているんだ」
 舟を降りて、しばらく歩くと、そこは森の中の空き地だった。ここで、武術の訓練をするのだという。
 石工たちが(かつ)いできた道具箱を開けると、中から剣や弓が出てきたのに、リョウはびっくりした。好きなものを取って良いと言われて、リョウは剣を腰に着け、小振りの弓と矢を手にした。
「さすがに突厥(とっくつ)の百人隊長は、武器が様になる。俺なんか、こんなちっちゃい身体だしな」
 健がそうぼやきながら、リョウに剣を向けた。
「いきなり、真剣か。怪我をするぞ」
 リョウがそう言う間もなく、健が飛び込んできた。背は低いが、素早く剣を振り下ろし、下から払い上げ、俊敏に横に跳んで切りつけてくる。何の遠慮も無い太刀(たち)(さば)きに、怪我をするのは自分の方だと、リョウは刃をかわしながら、いったん距離を取って健に正対した。静寂の中で二人は(にら)みあった。
「ああ、止めた、止めた。本気でやったら、本当に怪我しちまう。汗かいて、損した」
 健は、またぼやきながら、戦うのを止めた。今の二、三太刀で、リョウの腕を見抜いたのだろう。
「おい、皆も見ていないで、打ち合いをしろ。久しぶりだから、(なま)った感覚を取り戻すんだ」
 哲の号令で、健とリョウを除く全員が、相対して稽古を始めた。その間にリョウは、雑木を的にして矢を射始めた。何本か射ると、弓と矢の癖がわかってくる。リョウは弓の握りと両端の(つる)を巻きなおし、(つる)の張りを調整した。その上で、再度、弓に矢を(つが)え、的に向かって射始めた。懐かしい感覚に、しばらく夢中で射ていると、いつの間にか、後ろに石工たちが立っていて感嘆の声を上げた。
「凄い腕だ。全部、的に当たっている!」
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