一(四)

文字数 1,423文字

「今日は大事な話があるので、皆様にお集まりいただきました」
 そう言って呂浩(ろこう)が切り出した。
「仏教を振興した武則天(ぶそくてん)の世が終わり、今は道教が優先され、各地の大寺院や大仏の造立も中断されたことは、皆様もご存じのとおりです」
「この国では、みんなで一斉に熱くなるが、上の一言ですぐ冷える」
 声を発した住職を横目で見て、呂浩(ろこう)は説明を続けた
「ここにきて陛下(玄宗)は、ますます道教に熱を入れ、朝臣らは『開元天宝聖文神武応道皇帝』という、とてつもなく長い尊号を(たてまつ)ることになりました。陛下もそれを喜び、大赦(たいしゃ)を行って、来年の()(田地面積に応じた租税)、(よう)(労役による税)を免除されるお心づもりです」
「道教にばかり肩入れするのは困ったものだが、税の免除は助かるのではないか」
「その財源として、仏教寺院の建物や収入を朝廷の支配下に組み入れ、寺や僧侶への課税を増やせば良い、そう陛下に吹き込んでいる(やから)がいるのです」
「なぜ、長安のお偉方はそんなに仏教をいじめたいのだ」
 驚き顔の住職の横で、哲の発した疑問に、朱ツェドゥンが答えた。
「いやいや、これは、陛下の道教への信心を良いことに、皇太子派を追い詰めるための、宰相(さいしょう)()林甫(りんぽ)や、その配下の(ちょう)萬英(まんえい)らの画策なのです」
 趙萬英という名に、リョウはドキリとした。それは、朔方(さくほう)節度使(せつどし)だった(おう)忠嗣(ちゅうし)将軍の部下で、突厥(とっくつ)対策を引き受けていた一万騎の将軍だったのではないか。
 その場に居た者はみな(うなず)いているが、リョウは何のことか、さっぱりわからず(たず)ねた。
「仏教をいじめることが、どうして皇太子派を追い詰めることになるのだ?」
「皇太子派には、仏教を信奉する貴族や商人が多いからです。皇太子は、仏教を大切に思っています。おのずと皇太子の周りには仏教の信奉者が集まります。彼らを困らせ、皇太子を支える者を弱らせたいのです。リョウも知っているように、皇甫(こうほ)将軍は、李林甫に(おとしい)れられて死罪になりました。皇太子妃の兄である韋堅(いけん)と会っただけで、『韋堅と組んで謀反を企てている』、そう訴えられたのです。しかし、本当の狙いは、謀反の張本人として皇太子()(きょう)を排除することだったのです。なにしろ皇甫将軍は皇太子の王友でしたから。皇太子は、韋堅の妹である自らの妃を離縁することで、かろうじて毒牙から逃れました」
 朱ツェドゥンの話を聞いていた()(こう)が、その細い眼を皆に向けた。
「実は主の裴寛(はいかん)も、昨年、()林甫(りんぽ)に殺されそうになりました」
 みなが驚いて顔を見合わせた。
范陽(はんよう)節度使(せつどし)戸部(こぶ)尚書(しょうしょ)(財務長官)まで歴任し、いずれは宰相と誰もが思っていたところに、()林甫(りんぽ)讒言(ざんげん)があって左遷(させん)されたことは、皆さまご存じと思います。しかし、李林甫はそれだけでは満足せず、韋堅(いけん)皇甫(こうほ)将軍の事件が起きた時に、彼らと親しかった裴寛(はいかん)にも疑いの目を向け、自殺を促す使者を送ったのです。年老いた主が使者に叩頭(こうとう)(頭を地につけて拝礼)して僧になることを願って、ようやく命は助けられました」
 瞑目(めうもく)して話を聞いていた住職が口を開いた。
裴寛(はいかん)様は、清廉(せいれん)な方で、部下の収賄(しゅうわい)を許さなかった。地方に出れば異民族にも変わらずに接し、漢人、異民族の双方から慕われた。裴寛様が来ると旱魃(かんばつ)の地にも雨が降るとまで言われた徳の高いお方だ。何よりも、仏教への信心が(あつ)く、われわれ沙門(しゃもん)の者(仏僧)と話をされるのがお好きで、ここにも何度かおいでなさったものだ」
 そういう人までが、李林甫に殺されそうになったという話に、「やはりな」とリョウは思った。
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