四(四)

文字数 1,334文字

 十二月に入り、猛吹雪が吹き荒れた日、作業が進んでいることもあって、全員に休暇を与えた。
 住職の部屋には、久しぶりに主な面々が顔をそろえた。住職が火鉢(ひばち)火掻(ひかき)(ばし)で炭を足しながら、大仏に似ていると言われる哲の顔を見た。
「今度の大仏様のお顔はなかなか良いですね」
「どうして俺の顔を見るんだ」
 口をとがらせる哲に、皆が笑った。住職も笑いながら続けた。
「今、造っているのは弥勒(みろく)菩薩(ぼさつ)です。“弥勒”は梵語(ぼんご)(サンスクリット語)の“慈しみ”、“菩薩(ぼさつ)”は修行者のことですが、この弥勒菩薩は、遥か遠い未来に、釈迦の次の仏として現れると言われます」
 (あたた)めた酒も持ち込まれ、皆の顔にも少し余裕が出てきたようだった。朱ツェドゥンが応じた。
「しかし、弥勒(みろく)菩薩(ぼさつ)が仏様になるのは、そんなに遠い未来ではないと考える者たちもいます。現世に不満を持つ者が、目の前の救いを求めて、そんな考え方を持つのです」
 呂浩が、朱ツェドゥンの話にうなずいた。
「そこが、我が主、裴寛(はいかん)の心配するところです。弥勒菩薩は、現世に不満を持つ反体制派の象徴ではないか、だから炳霊(へいれい)寺に寄進するのは現政権に不満を持つ貴族たちだ、そう思われて()林甫(りんぽ)から目の敵にされているのです」
「俺には難しいことは分からんが、そりゃ言いがかりみたいなものだろう」
「まったく、つまらない争いに、俺たち職人を巻き込まないで欲しいよな」
 哲が言い、健がぼやく。この二人は、本当に相性がいいのだろうとリョウは思った。柘榴(ざくろ)(しゅ)は身体が温まると思いながら、干し肉をかじっていたリョウに、朱ツェドゥンが言った。
「ところでリョウ、折り入って話しておかなければいけないことがあります」
 全員がリョウの方を見たので、リョウはギョッとした。自分だけが知らない何かがあるのか。
「実は、現政権の懸念も、当たらずとも遠からずなのです。私たちは、決して反体制派というわけではないのですが、この炳霊(へいれい)()にはそういう歴史があるのです」
 何ごとかと、リョウは酒を置き、居住まいを正した。
「リョウも知ってのとおり、私は吐蕃(とばん)(チベット)と唐との橋渡しをしてきました。皇甫(こうほ)惟明(いめい)将軍も、そして名前を言うのも(はばか)られる高貴な方々も、国内の争いごとをなくし、周辺の民族とも、共存して行きたいと思っていました。そう考える貴族や豪商、あるいは地方の豪族は、国や皇帝が代わっても、何百年も前から炳霊(へいれい)寺に寄進し、石窟に小寺院や石仏を(まつ)り、壁面に摩崖仏(まがいぶつ)を造立してきました」
 哲が、自分に言い聞かせるように強い口調で言った。
「その石刻を(にな)ってきたのが、炳霊寺(へいれいじ)の石刻師たちだ。権力だとか、体制だとか、ましてや皇帝派だの皇太子派だのという、小難しいことはどうでもいい。ただ、争いごとを嫌い、平安を祈って何代も前からここで石を彫って来た者が多いし、俺の親父もそうだった」
「炳霊寺は、武則天の元で保護された時期もありましたが、残念ながらその後は、炳霊寺を反体制派の象徴だと密告する者もいて、何回か潰されかけてきた歴史があります。炳霊寺に寄進する貴族の中にも、李林甫に難癖を付けられて(ごく)に入れられた者、処刑された者もいるのです」
(がけ)の大仏様が完成するまで、気は抜けないな」
 呂浩の言葉に、リョウも、不測の事態に備えなくてはと考えた。
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