一(一)

文字数 1,221文字

 目もくらむほど下に見える黄河は、西から大地を這う大蛇のように(がけ)下に至り、その先でやや北に流れを変えながら、見えなくなるまで続いている。左右に目をやれば、黄河の北岸にある崖の両側には、人を寄せ付けない鋭く切り立った奇岩や岩山がどこまでも連なっている。気が遠くなるような長い年月をかけて、雨に侵食されてできたのだろう、それはまるで石の林のようで「黄河石林」と呼ばれている。
 リョウが座っているのは、崖に彫られた、巨大な未完の摩崖(まがい)仏(崖に彫った仏像)の肩の上だ。初めの頃は足がすくんだが、今ではこの景色が好きで、毎日、この肩の上に登っている。隴右(ろうゆう)節度使(せつどし)の軍舎がある鄯州(ぜんしゅう)から東に百八十里(約90㎞)、この地にもようやく春が来たが、大仏の肩の上には、肌を刺す冷たい風が足元から吹き上げて来る。西には黄河の源流のある青蔵(せいぞう)高原(現在のチベット高原)があり、東はどこまでも緩やかに起伏する大地が広がっている。この空の下のどこかで、きっとシメンは生きている。風になってこの空を渡っていきたい、そしたらきっとシメンを見つけられる、そう思ったリョウの前を二羽の(つばめ)がヒュンと飛んで行った。

 リョウが住んでいる寺の名は、炳霊寺(へいれいじ)という。「炳霊(へいれい)」は吐蕃(とばん)(チベット)の言葉で「十万の仏」を意味しており、炳霊寺の背後の石窟には、いくつもの石仏が(まつ)られている。
 石堡(せきほ)城の戦いの後、馬商人の(せき)傳若(でんじゃく)のもとで働いていたリョウに、炳霊寺を紹介してくれたのは、朱ツェドゥンだった。漢人の母と吐蕃の貴族の間に生まれた朱ツェドゥンは、吐蕃の貴族として育ちながらも、唐と吐蕃の友好のために皇甫(こうほ)惟明(いめい)将軍と共に命をかけてきた男だ。その皇甫将軍の突然の死に打ちのめされ、ずっとふさぎこんでいたリョウに、朱ツェドゥンが一つの提案をしてくれた。
「見たところ我流で石を彫っているようですが、しばらく、本格的に石刻の修行でもしてみませんか」
「本格的って、何をするんだ」
「この鄯州(ぜんしゅう)からさほど遠くない所で、私の縁者が寺の住職をしています。その寺は黄河の渓谷沿いにあり、そこの石窟(せっくつ)では、もう三百年以上も、大勢の石工たちが石仏を彫り続けているのです」
 リョウは、(せき)傳若(でんじゃく)への恩義を感じながらも、自分がやりたいのは、このまま馬商人として働くことではないと考え、その誘いに乗った。リョウが担っていた、軍馬の育成や調教は、青海(せいかい)牧場の馬丁だった(しん)を後釜に推して、何とか石傳若の了解を得たのだった。
 青海牧場は、流民となった漢人も、吐蕃(とばん)や異民族の孤児も、みんなが安心して暮らせる平和と自由の象徴として皇甫将軍が作った牧場だ。皇甫将軍の失脚と共に取りつぶされ、関係者の何人かは処分され、進も鄯州(ぜんしゅう)の軍馬牧場に配転となっていた。しかしそれでも、進は皇甫将軍が作った青海牧場の旗を秘かに持ち続けていることを、リョウは知っていた。この男なら大丈夫と思ったリョウは、進を説得して、自分の代わりに石傳若の元で働いてもらうことにしたのだった。
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