四(二)

文字数 1,230文字

 秋も深まり、木枯らしが吹き始めていた。年内が完成の期限と言っても、ギリギリになれば、()林甫(りんぽ)(ちょう)萬英(まんえい)らの意向を受けた役人が、何を言い出すか分からない。ここが頑張りどころだなと、リョウは思った。
 曇り空の下を、リョウは今朝も大仏の肩に向かって上っていた。最近は、雨の日も多くなり、下に見える黄河の水は、その名の通り黄色い濁流となっている。石窟の隙間にジグザグに架けた木の梯子(はしご)や木道も滑りやすくなっていて、リョウは注意して進んだ。
 上りながらリョウは、逃亡農民だったという奴隷が、リョウに言った言葉を思い返していた。「俺は奴隷になってから、考えることをやめた。失敗したら殴られるし、言われたことだけをビクビクしながらやっていた。それが、ここでは、奴隷も自分で考えていいんだって思えて来た」、その言葉がリョウは嬉しかった。突厥(とっくつ)では、厳しい自然を克服し、なんとか生き延びるために、平民も奴隷も助け合うのはあたりまえだった。主人の所有物でしかない唐の奴隷では、待遇も主人との接し方も、まるで異なっていたのだろう。「奴隷と平民との違いは移動の自由があるかどうかだ」と言った、(おう)(じい)さんの言葉が、懐かしく思い出された。

 崖の上から大仏の首の付け根の辺りに移るため、竹で組んだ足場を(つか)みながら数歩進んだ時だった。踏んだはずの足場の竹から足がスッと(くう)を切った。「アッ!」と叫んだリョウは思わず態勢を崩し、下に落ちながら夢中で目の前の足場に両手でしがみついた。しかし、その(つか)んだ竹も、一時(いっとき)リョウの体重を支えただけで、すぐに縄の結び目から外れてガラガラと崩れ落ちた。リョウは九尺(約3m)ほど下の大仏の肩の上に(したた)かに腰を打ちつけ、そのまま肩の傾斜をゴロゴロと下に転がった。肩の先端より先は、直立した三丈(約10m)の崖になっている。リョウは、転げ落ちないよう、咄嗟(とっさ)に腹ばいになって岩にへばりつき、近くにあった命綱にしがみついた。その命綱に腰の鉄鉤(てつかぎ)(から)めて、漸く一息ついたが、リョウは腰の痛みでそのまま動くことができなかった。大仏の肩の先端から落ちていたら間違いなく死んでいただろうと、恐怖がじわりと()いてきた。
 上での異状に気付いて、人が何人も上ってきて、なんとか起き上がったリョウを助けながら下まで降ろしてくれた。騒ぎを聞いて駆けつけた哲に、リョウは謝った。
「すまない、俺の不注意で、こんなことになってしまって」
「いや、崩れるような足場を放っておいたのが悪いのだ。足場職人をとっちめて、全部の足場を再点検させる。それまで、作業は中止だ」
 その後、寺の部屋に寝かされたリョウは、寺男を使って奴隷のヤズーを部屋に呼んでもらった。
「お前に頼みがある。俺には()に落ちないことがある。俺が踏み外した足場の辺りに異常がないか、内密に調べてくれないか」
「どうして俺なんだ」
「これは、事故ではない。現場に出入りする職人には頼めない。それに、俺にはわかる、お前は俺と同じ戦士だ、俺と一緒に戦ってくれ」
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