五(五)

文字数 1,462文字

 幸いに、大仏に大きな破損はなかったが、金蔵を守っていた僧兵が一人、死んだ。後ろから羽交い絞めにされ抵抗したところを、(そう)果映(かえい)が刺したのだと聞いた。敵方でも、攻防の際に足場の高みから落ちた数人が死んでいた。僧侶たちは、敵も味方も無く怪我人の手当てをしている。石工職人や奴隷にも、多くの怪我人が出たが、死者はいなかったことに、リョウは胸をなでおろした。
 年の瀬も近づいた夜、久しぶりに本堂にみなが集まった。しんしんと寒さが(つの)る中、毛皮をひざ掛けにして、火鉢の周りに集まった皆に、祝いの酒が振る舞われた。呂浩(ろこう)が、わけを話した。
「大仏開眼(かいげん)供養会(くようえ)が来年の三月に決まった。陛下からも(みことのり)と祝いの品が寄せられる。みんな本当に、ご苦労だった。裴寛(はいかん)からも、別途、皆に礼が贈られるので受け取ってくれ」
「どうせ決めたのは、宰相の()林甫(りんぽ)だろう。裏で襲わせておいて、何食わぬ顔で祝いを贈らせるとは、何とも表と裏の顔を使い分けるのがうまい奴だ」
 哲が、半ば呆れ、半ば腹立たしそうに、吐き出した。朱ツェドゥンが皆を見た。
「それでも、これは歓迎すべきことです。裴寛(はいかん)はじめ長安の心ある貴族が、李林甫に立ち向かったということですから。それも皆の働きのおかげです、本当に感謝します」 
 食卓には、熱々の鶏肉と野菜の(あつもの)(スープ)、肉饅頭が運ばれ、座は盛り上がった。
「ところで、リョウも石鑿(いしのみ)を飛刀にしていたが、どこで覚えたんだ」
 哲が、思い出したように訊ねた。襲撃前後のドサクサで、今まで詳しい話をする時間がなかったのだ。
「石屋の祖父が俺に教えてくれた。実戦で使ってしまって、今持っているのは突厥(とっくつ)の鍛冶屋が作ってくれたものだ。ただ、祖父の形見の、この石鑿だけは、大事に持っている」
 そう言って、リョウは破岩剣を取り出した。その石鑿の特殊な形状を見て、哲が驚いた顔をした。
「こ、これは、石刻師団の頭領が持つものによく似ている。お前の祖父は、いったいどこの石屋だ」
「頭領の印だって?祖父は、長安の石屋『鄧龍(とうりゅう)』の主だった。今は、伯父が継いでいるはずだ」
「何、鄧龍だと。それでは、亡くなった(とう)龍嘉(りゅうか)が、お前の祖父だというのか」
「ああ、訳あって、ここだけの話にしてもらいたいのだが、そういうことだ。哲は知っているのか」
「知っているも何も、同じ志を持つ石刻師たちの長安での頭領の一人だった。炳霊(へいれい)寺で石を彫っていたこともある。お前は、(せき)(りょう)という名のソグド人だと聞いていたから、思いもよらなかった」
「それは馬商人の(せき)傳若(でんじゃく)が、俺を奴隷から解放するために買ってくれた名だ。本名はソグド語でリョズガッシュ、漢名は(こう)(りょう)だ。親父はソグド人で、漢名は(こう)憶嶺(おくれい)というが、十年以上前に、唐の軍人に襲われて殺された」
 最近まで長安の裴寛(はいかん)の元に居た健が、石鑿(いしのみ)(てのひら)をポンポン叩きながら、小さな声でぼやいた。
「まったく、鄧龍(とうりゅう)の若旦那にも困ったもんだ。俺たちにも、ちっとは守んなきゃなんねえ筋ってもんがあるが、あいつは石も彫らずに商売のことしか考えていねえ。石刻師の軍団なんて、そんな危ねえものからは手を引くってんで、古い石工が何人も厄介払いだ。下手すりゃ、役所に密告されかねねえ」
 しばらく空中を睨んでいた哲が、(うな)った。
「めったなことは言えねえが、リョウの親父さんも、前の皇太子を排除する策略に巻き込まれた可能性があるな。それと、お前の祖父(じい)さんは、本当はお前を石刻師団の跡継ぎにしたかったのかもしれない」
 リョウは、胸が大きく騒ぐのを感じた。長いこと躊躇(ちゅうちょ)していた長安への帰還を、考え始めていた。
(「襲撃」おわり)
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