六(二)

文字数 1,309文字

 各地からの祝いの使者も途絶えた頃、朱ツェドゥンが母方の親戚を頼って長安に行くと言い出した。前年の暮れに、隴右(ろうゆう)節度使の哥舒(かじょ)(かん)が青海湖の畔で吐蕃(とばん)を破り、城を作って吐蕃を遠ざけた。夏には石堡(せきほ)城を総攻めにするという噂もあり、もう唐と吐蕃の和平は望むべくもなかった。吐蕃にも戻れず、朱ツェドゥンは居場所を失っていたのだ。
 ツェドゥンの父は吐蕃(とばん)(チベット)の貴族だが、母は長安の貴族の(しゅ)家の娘で、唐からティデツクツェン王に()した金城(きんじょう)公主(こうしゅ)の従者として吐蕃に渡った。実家の朱家は、今でも宮廷に要職を得、また金城公主の兄である広武王()承宏(しょうこう)とも親しい関係を持っているのだという。
「両国の和平に貢献できなかった私は、皇甫(こうほ)将軍も亡くなった今、長安にも居場所はないのです。それでもなんとか、母の実家の片隅に、小さな屋敷を用意してもらえることになりました」
 寂しそうに微笑む朱ツェドゥンだったが、リョウはその長安という言葉に反応した。
(せき)傳若(でんじゃく)から、馬の商売に戻ってこいと言われている。傳若はますます商売を広げていて、長安にも店を出したいのだ。今まで迷っていたが、俺も新しいことをやりたくなった。一緒に連れて行ってくれ」
 朱ツェドゥンの賛同を得たリョウは、涼州の石傳若の店に戻り、長安への出店準備をした。ひと月ほどで目途をつけ、青海湖の牧場から連れて来た進を伴って、炳霊寺に朱ツェドゥンを迎えに行った。
「待たせたが、漸く長安に出発できることになった。進も一緒だ」
「あなたは、皇甫将軍の青海牧場にいた馬丁ですね」
「ああ、石傳若の軍馬牧場でリョウの代わりに働いていた。でも、リョウが突厥(とっくつ)人たちを連れてきたので、馬の扱いは任せられる。俺は、リョウと一緒に行くことにした」
「それは心強い。よろしく、お願いします」
 哲とヤズーが見送りに来た。
「ヤズー、お前はこれからどうするんだ」
「俺は、一緒に戦った川の民の所に残る。どうも、あいつらに好かれてしまったようだ。そのうち、俺が川の民の王になるのも面白いと思ってな」
「ヤズーらしい。やはりお前には、俺と同じソグド人の血が流れているんだろう」
「ソグド人なんか、大嫌いだ」
「川の民の王に飽きたら長安に来い。石傳若の店にいる」
 そう言って笑いながら、二人はがっちりと手を握り合った。

 炳霊寺から長安までは、いったん黄河沿いに蘭州まで北上し、そこから東に行くので、馬でも十日ほどかかる。今回は、二台の荷馬車をひいていくので、もっとかかるだろう。長安での開店に必要な、馬具や西域の珍しいガラス器などの商品も運んでいくからだ。もともとソグド商人の石傳若は、機会は少ないが(もう)けの大きい馬の売買と、いつでも安定的に稼げる西域の珍品の売買を組み合わるという店作りをしている。商売がうまいと、リョウは感心していた。さらに、リョウと朱ツェドゥンが乗る馬は、上等な青海駿(せいかいしゅん)である。これは、そのまま長安で高級な売り物になり、貴族や高級軍人との取引に役立つはずだった。
「これは、ちょっとした隊商(キャラバン)だな。リョウが隊長で、俺が副将だ」
 進が嬉しそうにリョウに笑いかけた。将軍になりたいと言っていた進は、今度の長安行きに、喜んでついてきたのだった。
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