六(五)

文字数 1,407文字

 朱家の主は、朱ツェドゥンの母の腹違いの兄の子、つまりツェドゥンの従弟である。祖父は、金城(きんじょう)公主(こうしゅ)の付人として吐蕃(とばん)に行かせた娘を心配し、その子である朱ツェドゥンが吐蕃の貴族として外交交渉で長安に来ると、とてもかわいがってくれたそうだ。しかしその祖父も亡くなり、今の主は、唐との争いが絶えない吐蕃の貴族のことなど、迷惑としか考えていないようだった。
 それでも、一行に離れの部屋を用意してくれたのは、ツェドゥンが今でも、唐と吐蕃の非公式の交渉役だとの暗黙の了解が両国にあるからだと、出発前に哲が教えてくれた。吐蕃の宮廷や寺院からの莫大な資金の差配もツェドゥンに任されていると言っていたが、リョウにはどこまでが本当の話か、よく分からなかった。
 リョウは、朱ツェドゥンの住む離れに居候しながら、できるだけ早く馬商人の店を開店しなければと、連日、進を連れて出歩いた。十四年ぶりの長安は、進だけでなくリョウにとっても異国と同じであり、早く慣れる必要があった。それに父が言っていた「西胡(さいこ)屋」も探さなくてはと思っていた。
 長安の街は、南北十一本、東西十四本の街路で「坊」という区画に分かれている。店を出せるのは西市か東市で、大食(タジク)(アラビア)やソグドなど、西域の商人の店は西市に多く、商人の住居もその近くに集中している。付近には祆教(けんきょう)(ゾロアスター教)の寺院も四つあり、多くのソグド人が住んでいた。(せき)傳若(でんじゃく)がソグド商人仲間に事前に手紙で依頼していたので、その紹介で店舗の候補もいくつか見て回った。

 それから一月、まだ暑さは続いていたが、身体もようやく慣れて来たなと、リョウは思った。西市に住居兼用の店舗を確保し、朱ツェドゥンの離れを辞した。店には「青海邸」の看板を掲げ、馬具や西域の珍品を並べ、店番は進ともう一人の馬丁に任せられるようになった。しかし、長安の貴族や武人に何の伝手(つて)も無い店に、客がすぐ来るものでもない。開店休業状態が続く中で、リョウは、一計を案じた。
「進、これを引いて、大通りをゆっくり行き来してくれ」
 そう言って示したのは、涼州の牧場から連れて来た二頭の青海(せいかい)駿(しゅん)だ。ただし、鞍の下には、西域風の派手な馬衣(うまぎぬ)がこれ見よがしに敷いてある。一頭は紺色、もう一頭は萌黄(もえぎ)色で、それぞれに金糸銀糸で連珠(れんじゅ)(もん)と唐草の刺繍を施してある。近所のソグド商人の店で布を買い、馬衣(うまぎぬ)として仕立てさせたものだ。
「何だ、これは。この青海駿は軍馬として調教したのに、これじゃあ女子供の乗り物じゃないか」
「そこが狙いなのさ。今どきの長安のご婦人は、胡服を着て、馬に乗って走るのがお好きだ。特に、裕福な貴族ほどな。この立派な馬を引いていて、興味を示す人がいたら、男でも女でもいいから乗せてやれ。そして青海邸の馬だと教えるのだ。何なら、お前も胡服を着て胡帽をかぶるか」
「いや、わかったから、それだけは勘弁してくれ」
 青海駿は、背丈が並の馬より高くて、身体も大きい。進の毎日の手入れで毛艶も良く、少し青みを帯びた黒色が美しい。その馬が、派手な馬衣(うまぎぬ)を背に道を歩くのだから、さすがに人目を引く。リョウの狙いは当たって、すぐに乗ってみたいという人が何人も現れた。その評判が評判を呼び、店には、初め馬衣や馬具を求める客が現れ、次いで馬そのものを買いたいという客も現れるようになった。
(「真夏の長安」おわり)
(長安の街の平面図を小説本文の始まる前に掲載しましたのでご参照ください)
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