七(三)

文字数 1,433文字

 リョウは、ソグド商人の(せき)(りょう)として、伯父の店「鄧龍(とうりゅう)」に出入りするようになった。父が巻き込まれた事件から大分時間が経っているとはいえ、素性が明らかになれば、(こう)憶嶺(おくれい)との縁を切るという約束を破ったと、役所から難癖をつけられるかもしれない。父を襲った者たちから襲撃される恐れもあるし、密告されることも考えられた。そのため、表向きは、馬具を初め、さまざまな西域の商品の商いをするという口実で訪問し、奥の部屋に上がり込んでは、伯父や(でん)為行(いこう)に今までのいきさつを話し、また往時の父母の様子を聞かせてもらった。
「実は、『西胡(さいこ)屋』という邸店(ていてん)を探しています。父が信頼していたソグド人の店で、そこに父の財産を預けたと聞きました、いずれ再起するときのためです。でも、長安に着いてからずっと探しているのですが、見当たりません」
「『西胡屋』は、もう無い。ソグド商人は、長安で店を持つことも漢人の妻妾(さいしょう)を持つことも許されているが、子がない時は一代で店を閉める決まりだ。『西胡屋』の主人には子がなかった。それが急に病で倒れ、番頭の(かく)壮傑(そうけつ)が、その店を引き継いで、今では『八郭邸(はっかくてい)』と名を変えている」
 伯父が口にした「八郭邸」という名に覚えがあった。「そうだ、炳霊寺(へいれいじ)にやくざ者の石工を派遣してきた店だ、結局あいつらは盗賊を装った唐の軍勢と共に寺を襲って、人まで殺して逃げたのだ」、そう思い出したところで、(でん)為行(いこう)が苦々し気に言った。
「『西胡屋』の主人は、(かく)壮傑(そうけつ)に殺されたんじゃないかという噂がある。だいたい、主人が死んだら取り潰すことになっている店を再興できたのは、当時、新興貴族として力を付けつつあった(ちょう)萬英(まんえい)に取り入り、多額の賄賂で役所を抱き込んだのだという情報がある。今では、大将軍となった趙萬英お抱えの政商として、手広く商売しているが、やくざ者の集団まで抱え込んでいると、悪い噂が絶えない奴だ」
 また趙萬英か、とリョウは思った。朔方(さくほう)節度使の(おう)忠嗣(ちゅうし)将軍の部下として頭角を表し、万人隊長をしていたことは、ソグド商人の(こう)佇維(ちょい)から突厥(とっくつ)で聞いた。今は隴右(ろうゆう)節度使の哥舒(かじょ)(かん)の下にいるが、独自に動いて炳霊(へいれい)寺の襲撃を画策したのだろうと、朱ツェドゥンが言っていた。そして趙萬英は、父の仇である(りゅう)涓匡(けんきょう)が仕える将軍でもある。
 宰相()林甫(りんぽ)と結びついた将軍の(ちょう)萬英(まんえい)、その政商でやくざ者さえ使う「八郭邸(はっかくてい)」の(かく)壮傑(そうけつ)、その指示で金のためなら何でもやる唐軍の隊長、(りゅう)涓匡(けんきょう)。何か巨大な腹黒い集団が姿を現してきたようにリョウは感じた。
「趙萬英という男は、王忠嗣の汚れ役を一手に引き受けて、将軍に引き上げられたと聞いたことがある。しかも、北の草原で俺たちの集落を襲ってきた唐軍の隊長、劉涓匡も趙萬英の部下だ。俺たちは、その趙萬英に襲われたということか?」
「いや、それは違うだろう。お前たちの家族が草原で襲われたのは開元25年(737年)、つまり今から十二年前だ。それは、ちょうど『西胡屋』の主が病死し、郭壮傑が乗っ取って『八郭邸』を起こした年だ。劉涓匡はもともと郭壮傑が裏仕事のために金で抱えていた男で、『西胡屋』乗っ取りに邪魔なアクリイらを、その軍勢を使って排除したのだろう。その後、郭壮傑は、自分の手足として動かせる劉涓匡を、趙萬英の下で引き立てるよう売り込んだというのが筋だろうな」
「確かに、劉涓匡という男は、唐軍の隊長でありながら、金でなんでもする残忍な奴だと聞いていた」
 リョウの言葉に、鄧龍恒が「そう単純な話でもなさそうだ」と呟いた。
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