七(四)

文字数 1,273文字

(ちょう)萬英(まんえい)も、アクリイらとまんざら関係がないわけではない。趙萬英が短期間でのし上がることができたのは、同じ貴族派の()林甫(りんぽ)に取り入り、その押しがあったからだ。李林甫としても趙萬英を将軍にして意のままになる武力が欲しかったのだろう。そしてその趙萬英が前の皇太子李瑛(りえい)の排除に一役買った」
「どういうことだ。皇太子李瑛が廃位されて死を賜ったのは開元25年(737年)だ。アクリイが家族と一緒に長安を追われたのは、その二年も前だ」
 (でん)為行(いこう)の疑問に、(とう)龍恒(りゅうこう)が、何かを思い出すようにゆっくりと答えた。
「親父、つまりリョウから見ればお祖父さんだが、その(とう)龍嘉(りゅうか)から聞いたことがある。李林甫による皇太子李瑛の廃太子計画は、二回あったのだ。科挙合格者の派閥を代表する宰相(ちょう)九齢(きゅうれい)との対立が激化していた李林甫は、皇帝が寵愛する武恵妃(ぶけいひ)に取り入ろうと、その子である寿王(じゅおう)(ぼう)を皇太子にしたかった。そこで、皇太子の周辺で謀反を企んでいるという偽の情報を仕立てさせたのだ。それを実際にやったのは、趙萬英の子飼いの官僚、吉温(きつおん)という男だ。今では、李林甫の腹心として戸部(こぶ)郎中(財務大臣)兼侍御史(官僚の監察官)にまで昇進している」
 あの男だ、とリョウはすぐに気がついた。李林甫のためなら、拷問で噓の証言も引き出すと言われる男、あのとき京兆府(けいちょうふ)(長安を含む広域の行政府)の法曹(ほうそう)(法務官吏)として皇甫将軍の取り調べに当たった男だ。
「陰謀話は、実は根も葉もない話ではない。当時はまだ明確な李林甫派とは見られていなかった吉温(きつおん)は、張九齢派の貴族や商人らが李林甫の横暴に対する怨嗟(えんさ)の声をあげていることを利用しようと、素知らぬ顔で反李林甫の会合を企画したのだ。それを自分の部下に見張らせて、集まった者らを捕えて詮議させた」
「なんて汚い奴だ」
 田為行がうめいた。
「ちょうどその年、大飢饉が起こって皇帝は食糧の豊富な洛陽に移った。それを良いことに、李林甫は皇太子李瑛の側近官僚を次々と左遷し、吉温からの情報で、張九齢に近い貴族や商人も捕らえて死罪や追放処分とした。皇太子も加担しているという証拠まで捏造(ねつぞう)しようとしたが、さすがにそれは張九齢に阻まれ、皇太子の訴追までには至らなかった。それが最初の李瑛廃太子の陰謀だ」
「父はその陰謀に巻き込まれたのですね」
「そうだ、その時に死罪となった貴族の家に出入りしていたので、仲間とみなされた。しかし、実際のところは、李林甫や趙萬英の取り巻き商人から、邪魔だと思われて犠牲になったのだろう。『西胡屋』の番頭だった郭壮傑は、その頃すでに趙萬英とつながりを持っていて、いずれ乗っ取りの邪魔になるアクリイを陥れたのかもしれない。一方で、趙萬英の口利きで助かった商人たちもいた。趙萬英は、吉温と示し合わせて、自分の金づるになりそうな商人は罪に問わず、恩を売ったのだ」
「それにしても、お祖父さんはどうして、そんな裏話まで知っていたのですか」
「なに、長安の都では、誰でも噂していることだよ」
「もしかしたら、五竜(ごりゅう)(ほう)という石屋の諜報網で得た情報ではないのですか」
 鄧龍恒はギョッとした顔をした。
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