二十(三)

文字数 1,473文字

 もう(ちょう)萬英(まんえい)の話はいい、とでも言うように(とう)龍恒(りゅうこう)が話を変えた。
「安禄山軍が入京すれば、街はさらに破壊されるだろう。誰が皇帝になろうが、荒廃した長安の再建には、石屋の知識と技術がいずれ必要になる。そこは、わし達が守っていく。五竜朋はなくなっても、『飛龍』と『鄧龍(とうりゅう)』で連携していけば良いではないか」
「しかし、そうなるにはもう少し時間がかかりそうだ。俺も、それまでの間、しばらくリョウや哲と一緒に西域というやつを見てみたくなった、敦煌(とんこう)石窟(せっくつ)で石を彫るのもいいし」
 (でん)為行(いこう)がそう言うと、健はぼやく暇もなく慌てて言った。
「なんだ、お前ら。それなら俺も一緒に連れていけ。安禄山軍が来る前に、俺も一緒に敦煌に行く」
 何ごとにも慎重な思案顔の(そん)逸輝(いつき)に、リョウは声をかけた。
「逸輝はここに残るつもりのようだな。安禄山軍が入京したら、キョルクを迎えにアユンが『鄧龍(とうりゅう)』を訪ねて来るはずだ。そしたら、(せき)傳若(でんじゃく)の牧場まで連れて行ってくれないか」

 こうしてリョウは、田為行、哲、健、進と共に、西域へ行くことにした。昨晩から寝ずに動いていた一行は、一晩休息をとり、旅装を整えて翌朝(六月十四日)に出発することにした。
 朝になると、「鄧龍」と「飛龍」の石工で、リョウたちと武術の訓練をしてきた十数人の若者が、一緒に行きたいと言ってきた。石工にとって、西域の石窟(せっくつ)群を見、そこで石刻をすることは、憧れの修行でもある。しかも、この若者たちは、武術の訓練やその後の酒も交えた交流を通して、以前からリョウの考え方に共感していた者たちだった。長安にいても、当分はまともな仕事もなく、へたすれば命も危ない状況で、(とう)龍恒(りゅうこう)も「飛龍」の頭も「行ってこい」と快く送り出してくれ、旅の資金まで用意してくれた。

 少しでも早く出発したいリョウだったが、新たに加わった若者の馬の手配などで、出発は辰の刻の正刻(午前8時)になってしまった。それでも、皇帝や楊貴妃が乗っているのは大きな車輪の付いた馬車で、徒歩の女官もいるだろう。せいぜい一日に三十里(約15km)しか進めないので、すぐに追いつくだろうとリョウは思った。
 しかし、昼までに五十里(約25km)を走っても、皇帝一行はだいぶ前に通り過ぎたという。前日の深夜から通常の二日分の行程を進み、仮眠して今日の早朝からさらに急いでいると思われた。安禄山軍に追いつかれるという恐怖が疲労を上回り、一行を急がせているのだろう。一行が通り過ぎた村々で話を聞くと、皆、ひどく疲れた様子で、食べ物もなく、胡餅(こへい)や玄米飯、麦飯さえ買いあさっていたという。酒壺(さけつぼ)などには、目が飛び出るような高価な代金が支払われていた。
「まずは追いつかないと、急ごう」
 通常の速さで行ったのでは、今日中に追いつかないかもしれない。そう思ったリョウは、馬の疲労を気にしながらも、今日一日で百里(約50km)を走らなくてはと思った。
 途中から、村々の状況が次第に変わってきた。まず村の役人がいなくなっていた。「皇帝が逃げるようでは唐の世も終わる。安禄山軍が来る前に逃げるが勝ち」と考えたのだろう。村人も皆、家にこもり、外に出てこない。何とか話が聞けた老人は、兵士たちが手あたり次第に、食糧を奪っていったので、安禄山軍が襲来したのかと思ったと言った。地方役人が逃げたということは、皇帝一行のために村の食料を調達する者がいなくなったということで、いよいよ疲労した兵士の統率が取れなくなり、飢えた兵士らの暴走が始まっているのだろう。脱走した兵士もいたという。「急がなくてはシメンも危ない」、リョウはそう思った。
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