十一(二)

文字数 1,302文字

 年が明け、天宝十載(751年)の正月を迎えた。昨年、タンと一緒に歩いた親仁坊の辺りでは、壊された古い建屋の跡地に、立派な門、透かし彫りの欄干や池沼を備えた、大きな屋敷が新築されていた。皇帝が安禄山に賜った屋敷だというが、当の安禄山はほとんど長安に居ることはなく、たまに上洛した時に泊まるだけだという。それだけのために、家を壊され、追い出された母子のことが思い出された。
 楊氏の五宅の仕事の多くは「黒龍」やほかの土建屋に持っていかれた「鄧龍(とうりゅう)」だが、龍溱(りゅうしん)も商売に関しては非凡な腕を持っていた。露骨な賄賂を贈ることはなくとも、客先やその周辺の役人の便宜を上手に図り、楊家五宅についても、街路の石畳舗装や石塀の建築など、地味だがその実、利幅が大きい仕事を着実に取ってきていた。また、楊家以外の幅広い客層に喰いこみ、親仁坊に新築された安禄山の屋敷の庭造りの仕事も請け負っていた。そこに出入りしていた龍溱が話してくれた。
「屋敷には、安禄山の腹心の(りゅう)駱谷(らくこく)という男が常駐している。劉は、さっそく皇帝の側近を次々と新築披露の宴に招待している。おそらく、たっぷりと土産を持たせて、朝廷の動静を探っては、安禄山のもとに報告しているのだろう」
 リョウには、その話もさることながら、こうして仕事をしながら貴族の屋敷奥まで入り込み、情報を収集している五竜朋の情報網のすごさに感じ入った。
「こういう情報は、五竜朋では、みんな共有するのか?」
「まあ、必要に応じてだ。何も商売敵に得させることもないし、情報は力の元だからな」

 正月十五日の夜には、街中をあげて「元宵(げんしょう)観燈(かんとう)」に熱狂すると、伯父の鄧龍恒が教えてくれた。様々な形や飾りを施した燈籠(とうろう)を無数に懸け連ねる祭りだという。
「漢の時代に反乱を平定した皇帝が提灯(ちょうちん)を飾り、邪気を払って吉祥を呼ぶよう神に祈ったのが起源だ。だがその日は道教の上元節の日で、道教の祭祀も行われるし、仏教寺ではろうそくを灯して法会(ほうえ)が開かれる」
「神も仏も道教も一緒になって、夜通しお祭り騒ぎをするのは、今の皇帝の好みなのだろうな」
 そう言ったリョウに、一緒にいた従兄弟の(とう)龍溱(りゅうしん)が、にやけた顔で言った。
「その夜通しというところが肝心で、普段は坊門が閉じられる夜間も、その日は開いている。だから、着飾った男女が夜を徹して街中で歌ったり踊ったりする。日頃かなえられない逢瀬(おうせ)を楽しむんだ」
 リョウは「鄧龍」の店先に出す細長い提灯を見せてもらった。丸に「鄧」の字と龍の絵が描かれていた。その龍の絵の提灯を見て、もう十数年前になるだろう、まだ十歳だった頃のリョウの遠い記憶が浮かんできた。そこには、両親とまだ幼いシメンもいた。
 リョウは、「青海邸」の店先に出す提灯を、店の者たちに(あつら)えさせたのだが、進が「青海邸」なら青海駿しかないだろうと、大きな馬の形の提灯が出来上がっていた。一年前には仕事で朔方(さくほう)地方の馬牧場に行っていたので、リョウにとっても「青海邸」にとっても、初めての「元宵(げんしょう)観燈(かんとう)」だった。青海邸のある西市のソグド人商店街では、共同で大きなラクダをかたどった山車(だし)を出すというので、「青海邸」からもご祝儀と手伝いの人を出していた。
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