十八(六)

文字数 1,583文字

 部屋の奥、上席の方にアユンの姿が見えた。「やはり」と思ったリョウは、(がん)杲卿(こうけい)の兵らを後ろから追い越して走った。中庭から部屋に飛び上がり、そこら中で斬り合いしている兵士らを跳ね除け、リョウはアユンに近づいた。一人の兵士がアユンに斬りかかったが、アユンは隠し持っていたのだろうか、短剣で敵の剣を防いでいる。リョウは、その敵兵の足を剣で払った。
「アユン、大丈夫か!」
「おう、リョウか、来てくれたのか!」
 バズの大きな身体が、敵兵を蹴散らしながらこっちに突進してきた。護衛の兵に用意された隣の部屋に居たのだろう。ほかにも突厥(とっくつ)の将兵が数人、アユンの周りに集まった。リョウが叫んだ。
「アユン、あの正面の門を突破するしか逃げ道はない」
「よし、行くぞ」
 アユンの一声で、突厥の将兵は敵の槍や剣、弓矢を奪い、走り出した。リョウの知らない十数年の間、アユンたちは契丹(きったん)(けい)とのし烈な戦いを生き抜いてきたのだろう。リョウが戸惑うほど、その動きは素早く、互いに連携し、敵を斬り倒していく。その中でも、リョウの跡を継いで、アユンの奴隷ネケルとなったバズが抜群の働きをしていた。その丸太のような腕で、次々と敵を倒していく。しかし、門の外からは新手が中に入ってきてなかなか前に進めない。アユンの仲間も一人、また一人と討ち取られていった。
 リョウは、戦いながらも、自分の剣が鈍っているのを感じていた。腕が錆びついたのではない、人を殺すことに躊躇(ちゅうちょ)している自分を感じた。家族を持ったからだろうか。しかし、戦わなければ自分が殺される、そう思ってリョウは自分を励ました。
 門までたどり着き、外を見たリョウたちは、そこに横一列に並んで弓を構える敵兵を見た。一瞬の後、ザアッと飛んできた無数の矢を、かろうじて門の陰でかわした。後ろからは、血で顔や(よろい)を濡らした(がん)杲卿(こうけい)の兵士たちが迫ってくる。
 バズが、その怪力でバリバリと門扉(もんぴ)をはぎ取った。その戸を両手で前面に掲げると「行くぞ、アユン!」と叫び、答える間もなく突進した。アユンとリョウ、それに残っていた三人の突厥兵が、その後ろを走った。無数の矢が飛んできて、盾にした戸だけでなく、バズの手や足にも刺さるのが見えたが、バズは「ウオー」と叫んで、弓兵の中に突進した。左右に割れた弓兵の中を抜け、リョウたちは(うまや)に続く小径(こみち)を走った。
 しんがりに回ったバズは、追いすがる何人もの敵を、その戸ごと(はじ)き飛ばすと、「バズ、逃げろ!」と叫ぶアユンの声も聞こえないのか、剣を振り回して敵に斬り向かっていった。敵の放った矢がバズの身体に何本も突き刺さった。それでもバズは、その身体で敵を倒し、槍を奪うとそれを支えに、小路に立ちはだかった。
「アユン、逃げろ!さらばだ!」
 バズの最後の大音声(おんじょう)が聞こえた。なおも片手で剣を振って敵の追走を防ごうとするバズに、敵の槍兵が群がって串刺しにするのが遠くに見えた。
「バズ!」
 声にならない声を飲み込んだリョウの前を、鬼の形相のアユンが無言で走っていく。小径を抜けた所に、進が四頭の空馬を連れて駆け込んできた。

 未だ異変を知らされていない途中の村で馬を乗り継ぎ、夜通し駆けて土門関に逃げ戻った一行を、知らせを聞いたテペが迎えに出てきた。「バズが…」と言ったきり、アユンはテペと抱き合った。
「あの宴会は、(わな)だった。安禄山将軍の肝いりで、土門関の守備兵を慰労するという呼び出しがあったのだ。大将の()欽湊(きんそう)と副将の俺、それに千人隊長が五人、百人隊長が数名とその護衛たちだ。漢語ができないテペは、黙って飲む酒は不味(まず)いと言って、来なかった。それが幸いした」
「おしゃべり好きのテペらしいな」
 リョウの言葉にテペがこわばった笑みを見せ、長年のネケルを失ったアユンが目を赤くして言った。
「まずはバズたちの弔いだ。身体は置いて来てしまったが、魂をちゃんと送ってやらなくては」
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