二十(四)

文字数 1,329文字

 リョウたちは、夕方近くになって、ようやく皇帝一行に追いついた。長安の西百十里(約55km)にある馬嵬(ばかい)という小さな駅村だった。街道に三十里(約15km)ごとに置かれた駅には、宿泊施設がある。立派な駅楼(えきろう)では皇帝が休んでいるのだろう。リョウは、周辺の建物に韓国夫人を探しに行くことにした。
 朱ツェドゥンは、近くにいるはずの吐蕃(とばん)(チベット)の使節団を探しに行くという。その間に、(でん)為行(いこう)らには、同行してきた若者たちを連れて、林間に野宿する場所を用意し、暗くなる前に周囲を偵察しておくように頼んだ。
 小さな駅村なので韓国夫人はすぐに見つかった。宿舎は、貴賤(きせん)(ひと)しくごろ寝するような状況だったが、シメンは居なかった。
「妹の虢国(かくこく)夫人が、元気な者を連れて先に陳倉(ちんそう)に向かいました。私はもう一歩も動けないので、イルダとシメンに、先に行って、食料を探してくるように言ったのです」
 そう言ったきり、韓国夫人は疲れた顔をうなだれ、黙ってしまった。

 宿舎から出て、駅村の広場に向かうと、興奮した声が聞こえてきた。その方向に、朱ツェドゥンが、吐蕃(とばん)服の二十人余りと一緒に、馬に乗った男を囲んでいた。馬上には、立派な官服を着た、額が広くて整った容貌の男がいた。「何があった」と訊くリョウに、近くの兵士が教えてくれた。
「馬上に居るのは(よう)国忠(こくちゅう)だ。吐蕃(とばん)(チベット)の使節団が、何か文句を言っているらしい。皆が大変な時なのに、食い物がないとか、宿舎が無いとか、まったくわきまえない奴らだ」
 楊国忠が使節団に笑顔を向けた。話がついたのか、朱ツェドゥンも笑っている。その時だった。
「楊国忠は、吐蕃と通じて謀反を(はか)っているぞ!」
 誰かの大きな声が広場に響き、周囲の兵士たちが一斉に、吐蕃の使節団と、笑っている楊国忠を見た。「楊国忠は、吐蕃と通じている」、「楊国忠こそ逆賊だ」という声が、疲労困憊(こんぱい)していた兵士らから湧きおこり、剣を抜いた兵士らは鬼気迫る形相で楊国忠と吐蕃の使節団に迫った。
 どこからか、矢が飛んできて、楊国忠の馬の(くら)に突き刺さった。驚いて逃げようとした楊国忠を、兵士らは馬から引きずりおろして切り刻んだ。一瞬の出来事だった。楊国忠の首は槍の穂先に掲げられ、兵士の刃は、吐蕃の使節団にも向かった。
「危ない、逃げろ!」
 そう叫んで朱ツェドゥンを助けに行こうとしたリョウは、後ろからがっしりと羽交い絞めにされた。
「今動けば、俺たちも皆殺しだ」
 田為行だった。哲と健が、なおも進もうとするリョウを隠すようにその前に立った。二人の肩越しに、リョウは兵士たちに斬られた朱ツェドゥンが地面に倒れ、その上からさらに剣を突き刺されるのを見た。田為行は、哲と健と一緒に、リョウを引きずるようにしてその場を離れた。

 逆上した兵士らが、駅の宿舎を襲い、喚声を上げているのが聞こえてくる。そこには、楊国忠の三人の息子や韓国夫人、楊国忠派の高官らが居たが、皆、殺されただろう。リョウは、石堡(せきほ)城の戦いを前に、皇甫(こうほ)将軍と朱ツェドゥン、それに副将の褚誗(ちょてん)や親衛隊長の(ばん)長林(ちょうりん)と共に過ごした日々が思い出され、涙が止まらなかった。ひときわ大きい喚声が起こり、様子を見に行った進が言った。
「金の(かんざし)が掲げられた。たった今、楊貴妃が殺された」
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