十二(五)

文字数 1,451文字

 (がん)真卿(しんけい)家の石工、秀の石刻の技量は確かで、刻字は味わい深いものだった。さすがに書の名手が認める石刻師だとリョウは感心し、ときどき顔家を訪ねては、秀と話をし、またその石刻を学んだ。
 半年ほどして、秀から「安定坊にある千福寺の石碑が完成したから見に来い」と誘いがあった。石碑は、数年前に完成した多宝塔の横に勅命で建てられたもので、勅使や高僧が参列する正式な披露会の前に、内輪だけの鑑賞会があるということだった。
 仏舎利を納めた多宝塔は、下層が方形、上層が円形、高さは一丈五尺(約5m)の立派な建物だ。今回建てた石碑も、台座を入れると六尺(約2m)余りの高さで、幅も三尺(約1m)の堂々たるものだ。その石碑の表面いっぱいに、一寸(約3㎝)四方の大きさの漢字が、整然かつ緻密に彫り込まれている。全部で二千文字は超えるだろう。詩人の岑参(しんじん)の兄弟の岑勖(しんきょく)による文は、多宝塔を誓願した高僧楚金(そきん)禅師の徳行を称え、完成に至った経緯、その荘厳な様をうたっていた。
 少し早く着き、(がん)真卿(しんけい)書丹(しょたん)(石に直接書くこと)し、石工の秀が彫ったという石碑を、食い入るように眺めていたリョウに、後から来た秀が声をかけてきた。
「おう、リョウ、よく来てくれた。どうだ、俺の彫りは」
「すばらしい、字も、石刻も。ただ『胡笳(こか)』の書を見た時よりは、少し堅苦しい気もする」
「それは枡目のように字を配置しているからだ。顔公の字は、王羲之の書法に根差した(おう)陽詢(ようじゅん)とも、()世南(せいなん)とも違う独自の書風だと、どんどん評判が高くなっている」
「石碑には、『顔真卿書』と明瞭に彫られているのに、秀の名前はどこにも無いんだよな」
「当たり前だ。石に彫られた顔公の名は、千年経っても歴史に残るが、石工の名前などどこにも残らない。書は芸術でも、それをなぞるだけの石刻は芸術だとは思われていない。石工なんてそんなものだ」
 それでも秀は、ニヤリと笑い「ここを見てみろ」と言って、石碑の側面、地面に近い一番下の方を示した。そこには、一見ひっかき傷のように見えるが、よく見ると明らかに人為的な模様が彫られていた。
「これが俺の署名だ。俺だけしか知らない署名だが、これも千年残る。誰もこの石刻をほめてくれるわけではないが、俺はそれでいい、誰にもほめられなくても、おれは自分のやった仕事に誇りを持っている」
 後ろの方から、数人の男たちが近づいてきた。その一人は、顔真卿だった。
「おお、秀の石工も来たのか」
 “秀の石工”ではないが、いちいち石工の名前など覚えてもらえそうにない顔真卿に訂正しても角が立つ。リョウは黙って頭を下げた。代わりに秀が、一緒に来た男たちに、『鄧龍(とうりゅう)』の石工の頭、(せき)(りょう)だと紹介してくれた。その中で、もう還暦を超えたくらいの最年長の男が言った。
「やあ、長安は久しぶりだが、こうして顔家の者が、陛下の覚えもめでたく、立派な石碑の書丹を担うなど、名誉なことではないか」
 秀が、あれは顔真卿の従兄の(がん)杲卿(こうけい)で、范陽(はんよう)(あん)禄山(ろくざん)の下にいて、一緒にいるのがその子の泉明(せんめい)季明(きめい)の兄弟だと教えてくれた。帰途、秀が言った。
「顔公は安禄山に良い感じを持っていない。だから(がん)杲卿(こうけい)らを長安に戻したいのだが、願公本人が地方へ出されたり戻ったりで、しかも安禄山が顔杲卿を引き立てているから、なかなかそうはいかない」
 そうは言われたが、リョウは、顔杲卿が冗談とも本気とも取れずに顔真卿に向かって言った言葉、「お前も范陽に来てみないか、おもしろいぞ」という言葉の方が、ずっと頭に引っかかっていた。
(「願家の人々」おわり)
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