二十一(三)

文字数 1,372文字

 リョウは、(せき)傳若(でんじゃく)の馬牧場に向かうシメンたちを見送った。シメンはリョウに、春蘭が無邪気に手に握っている首飾りを見せた。それは、シメンに頼まれてアユンに渡したものと同じ、半円形の銀の台に真珠をあしらった首飾りだった。
「兄さんには内緒だったけど、春蘭は、私とアユンの子。この首飾りは、リョウからアユンに届けてもらったものの片割れ。アユンと春蘭の二人に持っていてもらいたかったの。私には、兄さんが彫ってくれた木彫りの親子の熊。あれはアユンと春蘭、だってソグド語で、熊はアユンでしょ」
 シメンの告白に驚きながらも、リョウには何となく、そうかもしれないという予感があった。
「春蘭は女の子なのに、どうして熊なのかと思っていた。アユンは知っているのか」
「アユンは知らない。でもいいの」

 「必ず無事に戻ってきて」と言って去ったシメンが、いつまでも手を振るのを見送ったあと、リョウは石工たちを集めて、二組に分けた。一組は(でん)為行(いこう)が頭領で馬嵬(ばかい)、もう一組は哲が頭領で扶風(ふふう)に石碑を建てることにした。
 健は、父老らに渡す告示文書に押す篆刻(てんこく)(いん)を彫りに、()輔国(ほこく)と共に行くことになった。火急の折、誰も公印など持ち出していなかったが、長安の尚書(しょうしょ)省(国政の中枢で契約文書も取り扱う省)に出入りしていた健には、ぞうさもないことだった。

 早朝に発った皇帝を追うように、皇太子一行も発っていった。馬嵬に残ったリョウは、田為行たちと一緒に石碑にふさわしい石がないか探した。しかし、そんなに都合よく石が見つかるはずもない。進が言った。
「これに彫ることはできないのか?」
 それは、駅舎の前にある、高さが六尺もある石碑だった。「吐蕃に嫁ぐ金城(きんじょう)公主が父親の中宗と別れを惜しんだ地」と書かれている。石工職人は、他人が彫った石碑を壊すという発想を持てない。石工ではない進だからこそ、気づいたことだろう。それは、街道を行く誰の目にも止まるところに立っていた。
「よし、これを割る。皇甫(こうほ)惟明(いめい)将軍や皇太子のためだから、金城公主も許してくれるだろう」
 そう言ったリョウは、石碑の周りを掘らせ、台座ごと馬で石碑を引き倒した。台座から外れた石を吟味したリョウは。石の(へそ)がある場所、数か所の検討をつけ、破岩剣をそこに当て、金鎚で叩いた。最初は、小さく叩き、次には確信をもって強く叩いた。最後に、大鎚(おおづち)を一振りすると、石はきれいに割れて、字を彫った表面が剥がれ落ちた。
 後は、石工たちの出番だった。割れた表面を磨き、リョウが書いた「恭喜太子李亨即位」の字を哲ら石工が分担して彫っていった。見張りに出ていた進が馬を走らせて戻って来た。
「急げ、羽立(うりゅう)軍が東の丘の向こうまで来ている」
 時間との闘いの中で、それでも田為行たちは、みごとな字を彫り終えた。深い穴の端に石柱を置き、丸太で梃子(てこ)を作り、馬で引っ張って立ち上げた。急いで土を埋め戻して突き固め、台座の石を集めて盛ると、堂々たる石碑が出来上がった。
 父老たちを使って、村人に楊国忠や楊貴妃惨殺の凄惨な現場を洗い清めさせ、駅舎や宿泊用の建物には、提灯をぶら下げて祝賀の雰囲気を醸し出した。
「よし、この立派な石碑があれば、皇太子の皇帝即位は誰もが信じるだろう、行くぞ」
 田為行の合図で、次の扶風(ふふう)に向かって走り出したリョウたちの後方遠くには、雲霞(うんか)のような唐軍の軍旗が見えてきていた。
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