二十一(六)

文字数 1,532文字

 リョウは、進の率いる百騎と共に、敵が向かってくる先を避け、いったん右の高台の木立に兵馬を潜ませた。(でん)為行(いこう)と哲は本営に残ったが、健は「全く俺を年寄り扱いしやがって、こんな面白(おもしれ)えこと、やらねえ手はねえ」とぼやきながら、ついて来た。リョウを慕う石工軍団の若者もいた。
 リョウの指示したとおりに、親衛隊から遠矢が敵に射かけられ、やがて目の前を(りゅう)涓匡(けんきょう)の部隊の先鋒が走り抜け、親衛隊の騎馬隊とぶつかりあった。続いて敵の中衛の騎馬隊が走り抜け、先鋒が切り崩した隙間から、さらに先に猛然と突っ込んでいくのが見えた。それでも、リョウは動かずに目を凝らしていた。
「大将旗が来た、(りゅう)涓匡(けんきょう)だ!」
 リョウが指差した先を皆が見た。赤い(かぶと)の劉涓匡が、後衛の騎馬二百騎ほどに守られて、悠々と走ってくる。千騎の歴戦の猛者(もさ)からなるこの部隊が、親衛隊の守りを突破して皇太子を捕えることに、全く疑いを持っていないようだった。
「よし、今だ、行け」
 リョウの合図で、進が猛然と木立の中から抜け出し、後に続く百騎の兵と共に、劉涓匡のいる後衛の隊列に横から突っ込んでいった。リョウは進に、「剣や槍で戦わなくていいから、馬の速さでかく乱してくれ、ガゼルだ」と指示していた。ガゼル戦法は、鹿に似た高原のガゼルが、複雑に動き回り、予測のつかない動きで狼さえ翻弄(ほんろう)することからつけられた、騎馬民族の戦法だ。
 その指示通りに、進は巧みに馬を操り、奇襲に驚いた敵の集団を分散させ、寄ってくるかと思えば逃げ、逃げるかと思えば引き返し、敵を混乱させた。進に従う龍武軍の騎馬兵は、騎射の得意な兵ばかりを選んでおり、進の後を追いながらも、盛んに敵に矢を放ち続けた。
 それでも敵の兵力は倍、奇襲の効果は長持ちしないだろう。馬の動きを目で追っていたリョウは、「今だ、行くぞ!」と馬を走らせた。健と石工の若者、十騎が続いた。
 リョウは、まっしぐらに劉涓匡に向かって走った。まだ伏兵が出てきたことに気付いていない劉涓匡がぐんぐん近づいてくる。その顔が、ゆっくりとこちらを向いた。何度も夢に見てうなされた、あの(くぼ)んだ残忍な目がリョウを見据えた。北の草原で「皆殺しだ!」と叫んでいた、その声がよみがえった。
 (りゅう)涓匡(けんきょう)が剣を抜いた。リョウは、劉涓匡の前をふさいだ護衛の一人を弾き飛ばしたが、さらに数騎の護衛に囲まれ、リョウの馬は勢いを失った。そこに健が後ろから駆け寄り、二人の護衛をあっという間に斬り伏せて道を開けた。リョウも、凄まじいまでの健の真剣の技を、間近で見るのは初めてだった。
 リョウは、「エイ!」と気合を入れて劉涓匡に向かって走り出した。劉涓匡も向かってくる。すれ違いざまに振り下ろした両者の剣は「ガシン」と音を立てたが、想像以上に強い剣に弾かれて体勢を崩したのは、リョウの方だった。
「油断するな、手ごわいぞ!」
 健の声が聞こえた。素早く向きを変えた劉涓匡が繰り出す剣を、かろうじてかわしたリョウは、再び馬上で劉涓匡と向き合った。
「どこの者だ!」
 信じられないものを見るように、劉涓匡が()いた。リョウが着けていたのは、唐軍の(よろい)(かぶと)ではなかった。濃い灰色の石屋装束の上に、黒の鎧兜を着け、腰には革帯と飛刀の石鑿(いしのみ)、石工軍団の姿だった。
「俺は石刻師リョウ。ソグド商人の父アクリイと、母、朝虹の子」
 リョウは馬上で身体をまっすぐに立て、手綱(たづな)を離すと、剣を両手で握って体の右側に立て、八双の構えを取った。静かに息を吸い、その息をゆっくり吐くと、「ハッ」と馬の腹を蹴った。劉涓匡も、剣を高く掲げて向かってきた。すれ違い様に、リョウは八双の構えから左前に強く剣を振り払った。積年の想いがこもったその一撃は、劉涓匡の剣を弾き飛ばし、そのまま首を飛ばした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み