十六(六)

文字数 1,502文字

 その夜、先に寝るという(そん)逸輝(いつき)と別れて、リョウは(がん)季明(きめい)と遅くまで話した。
「リョウの言うとおり、自由の風が唐をこれほど繁栄させてきたのだろう。しかし今は、陛下が年老いて、楊貴妃にうつつを抜かし、李林甫にとってかわった楊国忠と役人どもが唐を腐らせている。だからと言って、漢人の中の漢人みたいな顔家の一族が、陛下の命無くして安禄山に味方することはない」
「結局、そうなるのか、漢人も胡人も関係ないだろうに」
「常山太守の俺の父も、平原太守の叔父も、今は范陽(はんよう)節度使の安禄山の配下だが、同時に陛下の家臣でもある。今は陛下が楊国忠を抑えて安禄山を支持しているが、そうでなくなれば父と叔父は連帯して、安禄山に立ち向かうだろう。そうならないよう、俺はむしろ(ちょう)萬英(まんえい)が宰相になってくれればと思う」
「趙萬英も危ない男だ、安禄山とうまくいくとは思えない。季明は、趙萬英が漢人だからそう思うのか。実は、俺の父親はソグド人で母は漢人だ」
「本当か、それで安禄山に肩入れしているのか」
「いや、安禄山は、胡人(ソグド人)だろうが、蕃人(ばんじん)(異民族)だろうが、ましてや漢人だろうが、気にしないところが良いと言っているのだ」
「父親がソグド人で母親が漢人のリョウは、この国の在り様を体現しているわけだ」
「戦争が起きれば、結局は力の無い者が虫けらのように殺される。だから俺は、そんな民族同士の争いのない、出自に関係なく活躍できる、平和な世にするために働きたいと思うのだ、皇甫(こうほ)惟明(いめい)将軍のように」
「リョウには夢があるな、うらやましい。俺は、ひたすら顔家の家学である儒教の『周礼』や『左伝』それに『漢書』の勉強ばかりで、弓矢はおろか剣術さえよくしない」
「そう言えば、この平原城の守りは、ずいぶんと緩いように見える。明日、そのことを話しておこう」

 そう言ったリョウは、翌朝、(がん)真卿(しんけい)に城の備えを訊いた。
「いくら陛下に仕えると言っても、ここには武器もなければ兵士もいないようだ、どうやって戦うのだ」
「何を言っているか。武器もあれば、兵士もいるに決まっている」 
「それでは、私と手合わせ願いたい」 
 真っ赤になって怒った顔真卿が、警護の隊長を呼びつけ、腕自慢の者を五人呼ばせた。リョウは、その中で一番強いと言われた兵と向き合った。慌てて駆けつけてきたのだろう、(よろい)をつけているが、紐の結び目が緩くなっている。いざ剣を抜こうとしても剣の紐を解くのに手間取っていた。ようやく剣を手にした男に、リョウがジリッと近づくと、後ずさりした。さらに一歩近づくと、塀の隅に追いこまれた男は「キエーイ」と声を放ちリョウに斬りかかった。その剣をはじき返してサラリと身をかわしたリョウは、振り向きざま男の喉元に剣を突き付けた。それまでだった。
「あとは同時で良い」
 そう言って木刀に持ち替えたリョウを、残りの四人が囲み、次々に斬りかかったが、リョウは難無くその四人を木刀で打ち据えた。そして茫然と立ち合いを見ていた顔真卿に伝えた。
「ここの兵たちは実戦を知らない。鎧の付け方も知らなければ、剣も()びている。この平原城は、もし天下に争いが起こり敵に囲まれたら、一日も持たないだろう。河の水を利用して城の周りへ(ほり)を掘り、兵士を増やして、武器を整備し、倉庫は兵糧で満たして、争乱に備えておくべきかと思う」

 顔真卿の屋敷を離れた後、孫逸輝が不思議そうに「どうしてあんなことをしたんだ」と()いてきた。
「真面目一徹で不器用な顔真卿をほっておけなかった。あの人には、政治家として死ぬのでなく、書家として生き抜いてほしい。それに兵士や農民たちにも、主の都合で無駄死をさせたくなかった」
(「雄武城と平原城」おわり)
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