十四(一)

文字数 1,357文字

 天宝十一載(753年)の正月を迎えた長安の街は、例年より厳しい寒さに襲われていた。正月十五日の夜には、「元宵(げんしょう)観燈(かんとう)」の祝いがあったが、いつもより賑わいが少なく感じるのは、寒さのせいばかりとは言えなかった。病気がちだと伝わっていた宰相の()林甫(りんぽ)が病の床に伏し、ついに前年の十一月に死去していた。替わって宰相になったのは、(よう)国忠(こくちゅう)である。
 二月になって、遅い新年のあいさつに出向いたリョウに、朱ツェドゥンが驚くべき情報を教えてくれた。
「李林甫が阿布思(アフシ)と共に謀反を謀っていたと訴えられました。証人もいるようですが、李林甫はすでに死に、阿布思は逃亡しています。それを良いことに、楊国忠が事件をでっちあげ、誰かを脅して偽証させたのでしょう」
「死人に口なしか。かつて李林甫がやっていた手口を、今度は楊国忠がやったということだな」
「李林甫の子や近親者、それに仲間の官僚まで、五十人余りが官職はく奪、財産没収、地方配流(はいる)になりました。李林甫は棺桶(かんおけ)まで小さくされて、庶民として埋葬されたのです」
「李林甫は自分の地位を守るために、嘘の告発と拷問による自白で、有能な人間を何百人も排斥してきた。恨みを持つ者も多かったのだろう」
「李林甫が弾圧した『皇太子派』などというものは、初めから無かった。あれは皇太子の将来の仕返しを恐れた李林甫が作り出した幻影です」
皇甫(こうほ)将軍も、俺の親父も、みんなそういう悪意に巻き込まれて死んでしまったのだな」
「楊国忠が李林甫の死後にした仕打ちを見ると、なぜ李林甫があそこまでやったのか、良くわかります」
「ん、どういうことだ?」
「長く権力を持った者ほど、より多く恨まれ、一度権力を失うと酷いしっぺ返しにあう。だから、途中で辞められない。もう引き返せないと覚悟し、さらに嘘を繰り返し、死ぬまで権力にしがみつこうとする」
「それが権力に固執する本当の理由か。それにしても、権力っていうのは、人を平気で殺せるようになるほど、魅力的なものなのか?」
「平気なんてものじゃありません。一度得た権力を握り続けるためには、どんどん人を殺したくなるような魔物です」
「とすれば、今度の新しい権力者も同じではないか」
「そうです。こんなことを繰り返していると、いっそ世の中をひっくり返そうと大乱が起きるのは、歴史の常です。まあ、それで泣かされるのは農民出の兵士や街の女子供ですが」
「大乱だと」
「そう言えば、世間には秘されていますが、昨年、王銲(おうかん)という乱暴者が、親しい龍武軍の兵を誘って、李林甫、楊国忠を殺そうとした事件がありました。結局、高力士が飛龍禁軍の兵を率いて制したのですが。禁軍(王宮守護の軍)の中にも、朝廷内の権力者を好ましいと思わない者も多く、(ちょう)萬英(まんえい)は密かにそういう将軍たちを自分の仲間に取り込んでいるようです」
 リョウは、腕を組んでしばらく宙をにらんでいた。
「李林甫が死んで、勢力図がずいぶんはっきりして来たな。李林甫の後ろ盾が無くなった安禄山が河東・范陽(はんよう)平盧(へいろ)の十八万の軍を掌握して楊国忠に対抗し始めた。その楊国忠には哥舒(かじょ)(かん)の河西・隴右(ろうゆう)の十五万の軍がついている。どっちの蕃将(ばんしょう)も気に食わない羽立(うりゅう)大将軍の趙萬英や龍武大将軍の(ちん)玄礼(げんれい)が十万の禁軍を率いて皇帝の直接統治を望み、安禄山も楊国忠も排除したいと思っている、そんなところだろうか」
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