「燎原の火」の主な登場人物
文字数 2,350文字
【リョウの家族】
リョウ (ソグド名:リョズガッシュ(風)、漢字名:諒 )
ソグド商人の父親と漢人の母の間に生まれた。十二歳のときに草原で正体不明の軍に襲われ、その後、突厥 の奴隷武人として成長した。
シメン (ソグド名:シメン(草)、漢字名:詩明 )
リョウの2歳年下の妹。草原からの逃走時に受けた矢傷が顔に残っている。突厥 で奴隷として暮らし、ソグド商人安 椎雀 の芸能奴隷として売られた。
【突厥 の人たち】
アユン (突厥語で熊)
突厥 の部族長ゲイック・イルキンの息子。リョウより2歳年下。リョウはアユンのネケル(親衛隊員)として仕えた。ウイグルとの大会戦の後、部族を率いて安 禄山 のもとへ。
タン (漢字名:湍 )
突厥 の部族長クルト・イルキンの奴隷武人となっていた漢人。リョウより2歳年上。父親は唐で宮大工だった。
キョルク (処羅 許琉玖 )
突厥の名門貴族処羅 氏の次男、アユンの姉ソニバの夫。盲目だが博識で世の中は良く見えている。
【石工たち】
鄧 龍恒
リョウの母の兄。長安の石屋「鄧龍 」の主。石工の陰の組織「五竜朋 」の頭の一人。
鄧 龍溱
鄧 龍恒 の息子。石工よりも、商売に熱心。
田 為行
「鄧龍 」の番頭格の石工。リョウの子供の頃を知る。
孫 逸輝
「鄧龍 」の石工。硯師 として国中の石を求めて歩く傍ら、「鄧龍」の情報収集を担う。
哲
炳霊寺 の石工、リョウの師匠。敦煌 で修業したことがあり、長安でも名の知れた石工だった。
健
裴 寛 の下にいる石工、哲の弟分。ぼやいてばかりだが、石刻も武術も凄腕 。
【馬商人たち】
石 傳若
涼州の野心家のソグド人商人。軍馬を扱う有力な馬商人となって、長安北西に馬牧場を持つ。
進
皇甫 惟明 将軍の作った青海 牧場で馬丁 をしていた少年。長安の青海邸 でリョウの下で働く。将軍になりたいと言っている。
【趙萬英とその周辺の人たち】
趙 萬英
新興貴族出身で朔方 節度使の王 忠嗣 配下の一万騎の将軍だったが、やがて李 林甫 に引き立てられ朝廷内で力をつけてきた。蕃将 (異民族の将軍)を嫌い、朝廷の軍を支配下に置こうと画策。手段を問わない性格。
吉温
朝廷の官僚。諜報 、拷問 など裏工作を得意とし、李林甫、楊国忠、安禄山と、次々と力を持つ者に近づく。
劉 涓匡
唐の軍人。商人の郭 壮傑 と組んで、金で汚れ仕事を引き受け、趙 萬英 の配下に組み入れられる。霊州 を根城に、突厥 との戦や軍の汚れ仕事に従事。民間人に偽装した別働隊を配下に持つ。
郭 壮傑
長安の商人、もとはソグド商人の店「西胡屋 」の番頭、今は邸店 「八郭邸 」の主。趙 萬英 につながる政商として力をつけている。
曽 果映
「八郭邸 」から職人として炳霊 寺に送り込まれた無頼漢 。
曽 刺映
曽 果映 の弟。「八郭邸」に飼われている無頼漢。
【国境地帯の唐の将軍(節度使)たち】
皇甫 惟明
唐の貴族で将軍、隴右 節度使。かつて皇太子の王友を務めた。河西節度使も兼任。流民となった漢人や異民族の孤児でも、安心して暮らせる青海 牧場を作った。
安 禄山
ソグド人の父と突厥 人の母をもち、六か国語を話す。商人から軍人となり出世、初め平盧 節度使、ついで裴 寛 の後を継いで范陽 節度使を兼任、王 忠嗣 失脚後の河東 節度使も兼任した。
哥舒 翰
皇甫 惟明 失脚後の隴右 節度使。突騎施(テュルギシュ)人で、母親は宇寘 (コータン)王国の人。乱勃発時には、河西 節度使も兼任。安禄山嫌いで、潼関 で朝廷軍の総帥として安禄山軍と対峙する。
郭 子儀
乱勃発後の朔方 節度使。皇太子へ援軍を送る。
李 光弼
乱勃発後の河東 節度使。皇太子へ援軍を送る。
【顔家の人たち】
顔 真卿
唐の名門貴族。王 羲之 と並ぶ中国史上最高の書家。科挙の進士科に合格し、いずれは宰相と言われながら、皇帝にさえ厳しいことを直言する頑固 な性格で、地方への左遷 と中央政界への返り咲きを繰り返している。乱勃発時には平原 郡の太守。
顔 杲卿
顔 真卿 の従兄。安禄山に引き立てられて、乱勃発時には常山 郡の太守。
顔 季明
顔 杲卿 の次男。安禄山の目指す自由な世界にあこがれる。常山と平原の連絡役を担う。
【長安の宮廷の人たち】
皇帝
唐の第六代皇帝、李 隆基 。歴史上は廟号 (死後に祀られる尊号)の「玄宗」として有名。太宗の曾孫 、高宗と則天武后の孫。「開元 の治」と言われる安定と繁栄の時代を築いた。
前の皇太子
皇帝(玄宗)の第二皇子、李 瑛 。皇太子だったがその後、李林甫らの策略で廃太子、死を賜る。
皇太子
皇帝(玄宗)の第三皇子、忠王 李 璵 、皇太子冊立時の名は李 亨 、唐の第七代皇帝。廟号 は「粛宗」。
寿王 李 瑁
皇帝(玄宗)が熱愛した武 恵妃 の息子、第十八皇子、最初の妃はのちに楊貴妃 となる楊 玉環 。
楊 貴妃 (楊 玉環 )
十七歳で寿王 李 瑁 の妃となる。二十二歳で皇帝(玄宗)に見初められ、いったん道士(道教の尼)楊 太真 の身分を経て、二十六歳で正式に皇帝の貴妃となる。絶世の美女と伝わる。
【長安の朝廷の人たち】
李 林甫
権勢をふるう唐の宰相 。「口に蜜 あり、腹に剣あり」と恐れられる。
楊 釗 (のちに楊 国忠 の名を賜る)
楊貴妃 の又従兄 。はじめ李 林甫 の下で出世し、後に宰相となって李林甫に代わって権勢をふるう。
韓国 夫人
楊貴妃 の三姉の一人、秦国 夫人、虢国 夫人の姉。芸能奴隷のイルダの主。
裴寛
徳があると人々から慕われた清廉な貴族。范陽 節度使 、御史 大夫 (司法機関長官)などを歴任。仏教に熱心で、炳霊寺 の後ろ盾となっている。
【そのほかの人たち】
朱・ユト・ツェドゥン
吐蕃 (チベット)の貴族。吐蕃の貴族の父と唐から降嫁した金城 公主 の付き人の漢人の母との間に生まれた。皇甫 惟明 と共に唐と吐蕃の和平策を建策。炳霊寺 にも影響力を持つ。
呂 浩
裴寛 の使用人。炳霊寺 の摩崖仏 造立の指揮を執る。
イルダ
シメンと共にソグド商人安 椎雀 の芸能奴隷だった胡旋舞 の名手。長安で韓国夫人に買われる。
リョウ (ソグド名:リョズガッシュ(風)、漢字名:
ソグド商人の父親と漢人の母の間に生まれた。十二歳のときに草原で正体不明の軍に襲われ、その後、
シメン (ソグド名:シメン(草)、漢字名:
リョウの2歳年下の妹。草原からの逃走時に受けた矢傷が顔に残っている。
【
アユン (突厥語で熊)
タン (漢字名:
キョルク (
突厥の名門貴族
【石工たち】
リョウの母の兄。長安の石屋「
「
「
哲
健
【馬商人たち】
涼州の野心家のソグド人商人。軍馬を扱う有力な馬商人となって、長安北西に馬牧場を持つ。
進
【趙萬英とその周辺の人たち】
新興貴族出身で
朝廷の官僚。
唐の軍人。商人の
長安の商人、もとはソグド商人の店「
「
【国境地帯の唐の将軍(節度使)たち】
唐の貴族で将軍、
ソグド人の父と
乱勃発後の
乱勃発後の
【顔家の人たち】
唐の名門貴族。
【長安の宮廷の人たち】
皇帝
唐の第六代皇帝、
前の皇太子
皇帝(玄宗)の第二皇子、
皇太子
皇帝(玄宗)の第三皇子、
皇帝(玄宗)が熱愛した
十七歳で
【長安の朝廷の人たち】
権勢をふるう唐の
徳があると人々から慕われた清廉な貴族。
【そのほかの人たち】
朱・ユト・ツェドゥン
イルダ
シメンと共にソグド商人