十五(一)

文字数 1,306文字

 夏にはひどい暑さになる長安でも、冬には氷が張るほどの寒さになる。もっとも、(てい)を迎えたリョウや「青海邸」の人々にとって、その冬はなにか暖かさを感じる冬だった。はじめの内こそ、横になっている時間が多かった婷だが、シメンの処方してくれた薬のおかげか、少しずつ元気を取り戻していた。生来の働き者なのだろう、やがて皆が止めるのも聞かず、店回りの片づけや食事の世話にと、せっせと動き回り始めた。リョウには、何より、婷の笑顔が戻ってきたことが嬉しかった。「泣いても笑っても同じ一日だったら、せいぜい笑って過ごしましょう」というのが婷の口癖だ。
 正月になり、安禄山が入京した。今回もアユンが護衛の兵として一緒に来ていたので、リョウはときどき、アユンや昔の仲間たちを誘い出し、外でシメンと一緒に会った。一度、リョウは安禄山の屋敷に来るように誘われた。アユンの姉ソニバの夫のキョルクを紹介したいというのだった。
「ソニバにも一緒に長安に行こうと言ったのだが、子供の世話でそれどころではないらしい」
「そうか、子供ができたのか。アユンも叔父さんだな。アユンは結婚していないのか」
「言う機会がなかったが、実は、安禄山が紹介してくれた突厥(とっくつ)の女を妻にして、子供もいる」
「なんだ、隠していたのか」
「いや、そういうわけではないんだが……」
 リョウは、気まずそうな顔のアユンを見て、きっとシメンに遠慮しているんだろうなと思った。
「今度、リョウも結婚したというから、一緒に祝おう」
 そんなやり取りがあって、数日後、リョウは安禄山の屋敷を訪ねた。通された広い部屋の奥に、椅子に座って目を閉じている男がいた。アユンから盲目だと聞いていたので、違和感はなかった。それは一年半ほど前、リョウが初めて安禄山の行列を見たときに馬上に居た男で、武人の中で、一人だけ立派な文官の服を着ていたのを覚えている。
「こちらがキョルク、ソニバの夫で突厥(とっくつ)の貴族だ。この長安の屋敷にいる安禄山の長男、(あん)慶宗(けいそう)の相談役として、一昨年に上京して以来、この屋敷に逗留しているんだ」
「リョウです。ソニバには、アユンのネケル(親衛隊員)として仕えた時から、家族同様にしてもらいました」
「ああ、聞いているぞ。アユンと一緒に、ソニバの作ったものを朝夕、食べていたそうだな。それでは、俺も兄弟のようなものだ」
 そう言って、笑顔を見せたキョルクに、リョウはすぐに親しみを感じた。
「キョルクは、東西の政治情勢に詳しいので、安禄山も頼りにしているんだ」
「そう言えば、昔、吐蕃(とばん)の宮廷で世話になった朱ツェドゥンが長安に居ると聞いて、久しぶりに会いました。炳霊(へいれい)寺で活躍した石刻師のリョウと、アユンのネケルのリョウが、実は同じ人物のようだと気づいて、二人とも不思議な縁に、本当にびっくりしたものです」
 さりげなく話しているが、盲目のこの貴族のどこからそんな情報が出て来るのかと、リョウは驚いた。安禄山の屋敷は長安の諜報活動の拠点で(りゅう)駱谷(らくこく)が逐一、朝廷の動きを安禄山に報告しているという。過去に、外交交渉をする父に付いて各国を行き来したというキョルクも、きっとその元締めに近いところにいるのだろうとリョウは想像した。
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