十六(三)

文字数 1,294文字

 安禄山は座っているのさえ辛そうに見えたので、そろそろと思った時、アユンが()いた。
「キョルクからは何か言ってきましたか」
「ああ、俺は長安を出る間際に、陛下から五百人の部下に将軍職を賜ったが、それに対抗して哥舒(かじょ)(かん)も大勢の部下を出世させたそうだ。それと、俺が長安を去ったのを良いことに、(よう)国忠(こくちゅう)吉温(きつおん)収賄(しゅうわい)の罪で左遷すると書いてあった」
 その名に、リョウは「また吉温か」と耳をそばだてた。
「収賄の罪など、罪の内に入らん。俺も、金をばらまいて出世したと、人にはさんざん悪口を言われるが、それは唐の役人が金で簡単に動くからだ。この国で何かしようと思ったら、賄賂を贈らなければ何もできない。俺は一度その理由を、上役だった漢人の隊長に聞いたことがある。そしたら、国は信用できないが、個人は信用できるとぬかしやがった。誰もが縁故を大事にするのも同じ理由だ」
「しかし、贈収賄は、今でも法で禁じられている」
 安禄山の書記をしているという高尚が厳格な顔でそう言うと、安禄山はしかめっ面で言った。
「贈収賄は禁じられているが、必要悪だ。だから、仲間内で見て見ぬふりをしている。しかし、頭のいい奴はその情報を握っていて、突然、それを武器に変える。『汚職を一掃する』などと言って、実は、政敵を排除するために使うのは、この国では千年も昔からやっていることだ、俺はそういうのにも疲れた」
「吉温と言えば閑厩(かんきゅう)副使でしたね、隴右(ろうゆう)の軍馬も扱える役職だ」
 リョウの言葉に、意外そうな顔した安禄山だったが、納得の顔をした。
「そうか、お前は、馬商人だったな。まあ、吉温が楊国忠に恨まれるのは当然だ。閑厩副使の役職を取りあげられても、心配ない。既に別の者に、良馬を数千頭、范陽(はんよう)に移送するよう言ってある」
「その馬は、こちらで預かりましょう」
 アユンが答え、安禄山が痛そうに腰をさすったのを機に、この会談は終わった。

 城を出て、幽州に戻る道すがら、アユンが言った。
「俺には、難しいことは分からない。ただ親父は、ウイグルに追われ、行く当てもなかった俺たちを受け入れてくれた。奴隷としてではなく、鍛鉄(たんてつ)奴隷を先祖に持つ誇り高き突厥(とっくつ)の部族としてだ」
「それで、何の見返りも求められないのか」
「見返りは、親父への忠誠と正直であることだ。親父は常々言っている、部下の信こそが領導(リーダー)の条件だと。だから親父も嘘をつかない代わりに、部下が嘘つけば、それは死を意味する」
「それにしても、製鉄場と軍馬牧場を持ち、万騎の隊長とは、アユンも出世したものだ」
「俺は、夢中で目の前のことを必死にやり、一つずつ結果を出して、少しずつ信頼されてきた。そうしろと教えてくれたのはリョウだ。ただ、親父には口が裂けても言えないが、俺は親父への忠誠が絶対だとは思っていない。俺が守らなければならないのは、突厥から連れて来た部族のみんなや、ここに来てから俺の配下になった者たちの命だ、それが一番だ」
「だったら情報を大事にしろ。幸い、アユンにはキョルクがいる。長安で何かあったら、俺も知らせる」
 そう言いながらリョウの胸には、もう取り返しのつかない何かが動き始めている、という不安がよぎった。
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