九(五)

文字数 1,402文字

 リョウは、かつて朱ツェドゥンが教えてくれた(あん)禄山(ろくざん)のことを思い出した。
「安禄山と言えば、父親がソグド人、母親が突厥(とっくつ)人で、李林甫に引き立てられた男でしたね。軍勢を引き連れて入京するときは、大通りが人であふれるほどの人気だとか」
「それは、人気というよりは、物珍しいものを見たい群衆のお祭り騒ぎと言った方が良いでしょう。あろうことか、(よう)貴妃(きひ)の養子になることまで許された男ですから」
「でも、軍人が城に武器をため込むのは、当然に必要なことではないのか」
「北の備えということで、安禄山が幽州(ゆうしゅう)(現北京)の北に新しく作ったのが雄武城です。その城に(おう)忠嗣(ちゅうし)将軍を招待したのが良くなかった。王将軍は、安禄山が雑胡(ざっこ)(ソグドや突厥(とっくつ)など異民族の混血)の身でありながら、貴族の自分を仲間扱いにしていると、不快を感じたのでしょう。『あんな城は三日で落とせる』と豪語して帰ってしまったのです」
「そんなことがあったのですか」
「それより、もっとリョウに関係のある話もあります。リョウと言うよりも、私かもしれませんが……。昨年の夏、隴右(ろうゆう)節度使の哥舒(かじょ)(かん)が河西と隴右の全軍、それに突厥から(くだ)った阿布思(あふし)の援軍を得て、石堡(せきほ)城を総攻めにして落としたのです。ただ、石堡城攻めに反対した皇甫(こうほ)将軍や王将軍が予言した通りに、唐軍も数万人の死者を出したそうです」
「それほどの話なのに、長安ではほとんど話題に上ってこない。どうせ異民族同士の辺境の戦ぐらいにしか考えていないのだろう。それよりも、楊貴妃の三人の姉が国夫人(こくふじん)(ほう)じられて年千貫の化粧代をもらっているとか、楊貴妃が嫉妬の発作を起こして王宮を出たとか、そんなことばかりに大騒ぎしている」
「それは、朝廷の高級官僚も長安の街人(まちびと)も同じです。この国に、何か大きなうねりが起きていることに気付いていない、あるいは敢えて耳をふさいでいると言った方が良いかもしれません。皇帝が楊貴妃にうつつを抜かし、その一族に好き放題をさせているのも、それを良いことに朝廷を自分の意のままに操ろうという李林甫が裏にいるからです」
「そう言えば、五竜朋で聞いた話だが、李林甫の罪状を上訴した貴族が、吉温(きつおん)の手の者に捕まって杖殺(じょうさつ)(つえ)で打ち殺す刑)にされたということだ」
「そんな例は、数えきれないほどあります。宮中でも、李林甫のことを『口に(みつ)あり、腹に剣あり』と言って恐れ、もう誰もたてつく人はいなくなってしまいました」
 そこでリョウは、朱ツェドゥンの眼をいたずらっぽく見た。
「五竜朋には、ツェドゥンでも知らないような情報が入るぞ」
 ツェドゥンが、珍しく機嫌の悪い顔をしたのでリョウは慌てた。ツェドゥンは、長安ではただの居候(いそうろう)で、朝廷に行くこともなく、得られる情報も少ないはずだ。それを揶揄(やゆ)されたと思ったのだろう。
「すまない、そんなつもりではないのだ。楊貴妃の“又従弟(またいとこ)”の(よう)(しょう)が、皇帝に、新しい名前を願い出ているというのだ」
「そんなことは聞いています、楊釗の“釗”は金に“リ(刀)”で“けずる”という意味ですから、朝堂にはふさわしくないと言ったのです。皇帝に立派な名前を賜り、李林甫に対抗させようとの高力士の入れ知恵でしょう。李林甫の手先として、さんざん裏工作をやってきた男なのに、いよいよ李林甫を凌ぐ勢いですね」
 リョウは、朝廷が辺境の蕃人(ばんじん)(異民族)将軍たちも巻き込んで、大きなうねりを起こし始めていることを感じていた。
(「(かめ)に託された想い」おわり)
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