十三(五)

文字数 1,428文字

 次に、イルダとシメンの踊りが披露されることになり、邸内の内塀の外で待機していた護衛の突厥(とっくつ)兵十人ほどが中庭に入れられ、そこに用意された椅子に座った。それより前に、楊貴妃は、御簾(みす)の後ろに下がっている。室内からは暗い庭はよく見えない。中庭からも室内は見えづらいだろうが、灯りに照らされ、戸が開け放たれた縁側は、舞台のように見えるはずだ。
 曲が、琴と(つづみ)の静かな曲に変わった。たくさんの宝石を飾った薄桃色の舞服姿のイルダが、軟舞(なんぶ)(緩やかな踊り)を踊り始めた。豊かな髪を高く(まげ)に結い、宝冠を巻いている。イルダの踊りが好きだという楊貴妃も、御簾を少し上げて見入っていた。
 元宵(げんしょう)観燈(かんとう)の夜と同じように、次は、シメンが男装の胡服を着て、剣舞で踊るのかと思っていたリョウの前に、予想に反して、長い裾の青い舞服を着たシメンが出て来た。イルダと同じように、髪は(まげ)に結い、宝石のきらめく冠をかぶっている。しかし、その美しい舞姿に似つかわない頬の傷をはっきりと見せていた。リョウは、化粧筆で、あえて濃くしたのだろうと思った。それが、シメンであることを示すために自分でやったことか、探している若い男に嫉妬したイルダがさせたことなのか、リョウにはわからなかった。ただ、美しいシメンの顔にはっきりと見える傷跡は、むしろ(あや)しささえ放っていた。
 二人とも長い袖をなびかせ、手に持った色とりどりの絲帯(リボン)を鞭のようにしならせ、右に左に交差しながら踊る。やがて、曲調が速くなると、二人は並べた舞筵(まいむしろ)の上に立ち、高速でクルクルと、眼にも留まらぬ速さで回転した。すべての楽器が一斉に最大級の音を奏でたところで、舞も音楽もぴたりと止まり、静寂が訪れた。
 いつの間にか御簾(みす)の中の楊貴妃の傍に行っていた安禄山が、その大きな手を叩き、弾かれたように庭の突厥(とっくつ)兵たちも立ち上がって喚声を上げた。しかし、それはすぐに韓国夫人の屋敷を警護する兵士たちに制され、突厥兵たちは椅子に座りなおした。ただ、一人の兵士だけが立ち上がったままだった。その兵士は、茫然と踊り終わったシメンを見つめていた。シメンもその視線に気づいて、じっと見返していた。座敷に座っていたリョウは、その兵士が誰であるか、今度こそはっきりと分かった。
「アユン!」
 リョウは、裸足のまま庭に転げ出た。警護の兵士が制止するのも振り切って、アユンの元に走った。アユンの眼がますます見開かれた。
「リョウか……、本当にリョウか……、リョウ!」
 リョウとアユンは、がっしりと抱き合った。シメンを呼ぼうとしたリョウの眼に、シメンがイルダの胸に顔を(うず)めて泣いているのが見えた。その背をイルダの手が優しくなでている。「リョウ!」と叫んで、後ろから大きな手でドスンと両肩を叩く者がいた。さらにもう一人が、アユンとリョウに抱きついてきた。
「おお、バズか、テペもいたのか!」
 突厥(とっくつ)の草原でウイグルとの大会戦を共に戦い、そこで別れて以来十年ぶりの邂逅(かいこう)だった。縁側に仁王立ちした安禄山が大きな声で叫んだ。
「アユン、めでたいぞ!今夜は帰って来なくていい、ゆっくりしろ。さあ、俺たちは飲みなおしだ」
 安禄山の一声で、上機嫌の楊貴妃を交えて、広間では酒宴が始まった。韓国夫人は、今日のお楽しみを、楊貴妃にも安禄山にもきっと伝えていたのだろう。しかし、まさか本当に数年ぶりの再会が実現するとは考えてもいなかったのだろう。思わぬ一幕に、誰よりも泣いていたのは韓国夫人だった。
(「安禄山入京」おわり)
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