九(二)
文字数 1,270文字
鄧龍恒は、話がひと段落したところで、料理を運ばせた。部屋の中に居ても寒い季節になり、食卓に乗せられた豚肉とニラの鍋はありがたかった。突厥では食べなかった豚肉だが、長安に来てからはリョウのお気に入りだ。
「ところで、話は変わるが、シメンの黄酒があったそうだな。実は、妹の朝虹をリョウの父親にめあわせたのは、お前のお祖父さんだった。石窟の仕事で炳霊寺に居た時、東西を行き来していたソグド商人のアクリイと会い、意気投合したのだそうだ。父は、若くて才気のあるソグド商人を気に入って、長安の店にも出入りさせた」
「そんなことがあったのか……」
「リョウとシメンが生まれてからも、とてもかわいがっていた。その黄酒、シメンが見つかるまで、うちの酒蔵で預からせてもらえないかな」
「それは、ありがたい話だ。俺はなんとしてでも、シメンを見つける。そのとき、これを見たらきっとシメンも喜ぶだろう」
「今その黄酒を開けるわけにはいかないが、せっかくだから家にある黄酒を出させよう」
龍恒が声を掛けると、湯気のたつ白餅(蒸しまんじゅう)と一緒に、黄酒が運ばれてきた。リョウは、黄酒よりも、魚醤と唐辛子を付けて食べる白餅の方が好きだ。早速かじり付いたリョウをからかいながら、龍恒が訊ねた。
「ところで、これからリョウはどうするのだ」
それはリョウも考えていたことだった。リョウは、居住まいを正して、伯父と向き合った。
「終わりがないと思った突厥の奴隷の日々が、これでようやく終わった気がする。生き延びるために全財産を投げうって、あの草原で家族と暮らすことを選んだ父の気持ちが、今ならわかる」
「お前は、父親と同じソグド商人として、もう立派に店を持っている。石刻はどうするのだ」
「俺は祖父さんの膝の上で話を聞きながら、大勢の石工の頭領だった祖父さんを、子供心に尊敬していた。そして父さんから冒険譚を聞くたびに、隊商の隊長はかっこいいと思った。夢とか、仕事とか、そんなものとは少し違う気がする。憧れと言えば良いのかな。長じてわかったのは、俺は石工や商人になりたいのではなく、大勢の仲間から慕われ、信頼されている祖父、黄河を超えた沙漠の向こうまで自由に行き来する父、そういうものに憧れていたのだろうということだ」
「確かに、リョウはそういう気質を受け継いでいるようだ。しかし、商人と石工の両立は難しいぞ」
「俺は、石を彫ることはやめないつもりだ。それは、俺の心の問題だ」
そう言ってリョウは、幼い奴隷だった頃の気持ちを話した。
「突厥の奴隷生活では、石刻が俺の救いだった。子供の頃、父さんや母さんが殺された日のことを考えると、怖くて寂しくて、どうしようもなかった。シメンにもそんなことは言えない。そういうとき石に向かうと、頭の中で祖父さんが語りかけて来たんだ。お前は一人じゃない、見捨てられてなんかいないって。石を彫り、磨くことで、俺は奴隷として生き延びた。ただ一心に石に向きあうあの時間が無かったら、俺は、飢餓でもなく、槍や弓でもなく、奴隷という身分に心が押しつぶされていたかもしれない」
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