十八(二)

文字数 1,419文字

 リョウは、それからしばらくは平原に居ることを長安の「青海邸」に伝え、連れて来た男たちや(そん)逸輝(いつき)が四方に散って拾ってくる情報を吟味し、情勢を読んでいた。キョルク救出のために長安に送った男が戻ってきて、驚くべき情報がもたらされた。
 例年同様、長安郊外にある温泉地の離宮「華清宮(かせいきゅう)」で楊貴妃と(くつろ)いでいた皇帝は、安禄山の挙兵の報に接して長安に戻り、直ちに安禄山の長男、(あん)慶宗(けいそう)を斬り、その妻である栄義公主にも死を賜ったという。安禄山は「楊国忠も人質を簡単に殺すほど馬鹿ではない」と言っていたが、その心算(しんさん)は、最初に打ち砕かれていた。それが、楊国忠の思惑を超えた皇帝の怒りの故か、あるいは有無を言わさず安禄山の挙兵を大罪として一気にけりを付けようとする楊国忠、あるいは趙萬英の差し金かは、わからなかった。幸いにも間一髪で、キョルクを脱出させることができたと聞き、リョウはホッとした。
 安慶宗処刑の知らせがリョウを暗澹(あんたん)たる気持ちにさせたのは、これで停戦や和睦の望みが少なくなったからだった。南に放っていた男からは、さらに辛い情報がもたらされた。
 安禄山軍は、幽州から黄河まで千二百里(約600km)を、戦闘しながらも、わずか二十日余りで一気に進軍した。十二月二日には、黄河に倒木や小舟で舟橋を掛け、凍った所を一気に霊昌(れいしょう)に渡り、五日には通済渠(つうさいきょ)(運河)の要衝「陳留(ちんりゅう)」に無血入城したという。そこまでは良かった。しかし、そこで安禄山軍は、城内に立てられた高札に目を疑った。そこには、「逆賊安禄山の子、安慶宗を処刑した」と書かれていた。激高した安禄山は、安慶宗の霊を鎮めるために、陳留の太守以下、一万近い城兵を殺したのだという。
 その先は、リョウには聞かなくとも分かる。安禄山は決定的な間違いをしてしまったのだ。人々は、安禄山軍に抵抗せずに降伏しても、虐殺されると知ってしまった。各地の街や城の守備兵、あるいは朝廷の軍勢は、もはや激しく抵抗し、徹底して戦うしかなくなる。そうなれば、勝った方は敵を皆殺しにし、街では血を見て荒ぶった兵たちが略奪(りゃくだつ)、暴行、強姦(ごうかん)、放火を繰り広げるだろう。
「これで、安禄山は完全な逆賊となった」
 リョウはそう言ったが、安禄山を最初から逆賊だと思っている(がん)真卿(しんけい)の見立ては、少し違っていた。
「人質の安慶宗が殺されるように挙兵を急がせたのは、安禄山の後釜を狙っている次男の(あん)慶緒(けいしょ)だろう。それに漢人憎しの安禄山軍が、攻略した街で略奪、虐殺することは初めから分かっていたことだ。しょせん牧羊(ぼくよう)羯奴(けつど)(羊飼いの野蛮人)どもだ。杲卿兄も早くそれに気づいて、反旗を上げてくれなくては」
 安禄山と同じソグド人の父を持つリョウは、さすがにこの一言にはむきになって反論した。
「この戦を、漢人と雑胡(ざっこ)蕃将(ばんしょう)との争いにしてはいけない。この国は、一つの民族だけで発展することは出来ない、だから漢人も異民族も一緒に生きるには、どうするのが正しいのか、そこの争いだ」
「皇帝を頂くこの国の秩序を守る、それこそが正しいことだ。お前は、朝廷の味方ではないのか」
「俺はどちらの味方でもない。戦で踏みにじられる人を無くしたい、だから、この城の防御を進言したのだ」
「どちらの味方でもないだと。お前の本性はやはりソグド商人だな。損得勘定だけで勝てる方につき、判断を間違えた時のために敵側にも恩を売っておく、そういうことではないのか」
「いや、俺はソグド商人でも、唐の商人でもない。石刻師リョウだ」
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