二十(六)

文字数 1,353文字

 リョウは「後ですぐ行くから」と、進に数人の石工と共に見張りに戻るように頼んだ。シメンを助けたい気は(はや)るが、リョウには、その前にどうしてもやらなければならないことがあった。
 リョウは、哲と一緒に、少し離れた林間にある皇太子の天幕に向かった。武装したリョウと哲が突然現れたので、警護の兵らは驚き、怒声を上げ、剣を抜き、二人を囲んだ。しかし、兵の主力は馬嵬(ばかい)駅の方におり、ここの警護は手薄い。
「俺は、長安の石屋『鄧龍(とうりゅう)』の石工頭、(せき)(りょう)、こっちは『飛龍』の石工頭、哲だ。訳あってこの近くを通った。警護の隊長に、急ぎ知らせたいことがある。取り次いでくれ」
「ならばその武器を捨てろ」
「今、この天幕は敵の軍に見張られている。いつ襲ってくるかもわからないので武装は解けない」
「なんだと、ますます怪しい奴、これ以上、一歩も近づけるわけにはいかない」
 兵士の怒声に気付いた若い宦官(かんがん)が、天幕から出て来た。
()輔国(ほこく)である。話は聞いていた。いったい、どういう知らせだ」
「百人ほどの兵士が、この天幕を囲んで監視している。合図があればいつでも急襲できる体制だ。俺の見た所、(ちょう)萬英(まんえい)傘下の(りゅう)涓匡(けんきょう)の部隊だ」
「なぜ石屋がそのようなことまで分かるのだ」
「俺は、長年、劉涓匡と関わってきた。殺されそうになったこともある」
 後ろにいた哲が、前に出て来た。
「私は裴寛(はいかん)様の下に、長年仕えていた者です。それに、この石諒は、皇甫(こうほ)惟明(いめい)将軍と共に吐蕃(とばん)と戦ったこともあり、今では石工の軍団を取りまとめる頭領です。裴寛様と皇甫惟明将軍が、共に皇太子殿下と親密にしていたことはご承知のはず。何とか、我々の話を信じて頂きたい」
 天幕の入口の覆いが開き、ハッとした警護の兵と李輔国が(ひざまず)いた。リョウたちも急いで跪く。
「皇甫惟明将軍と裴寛の好きな酒は何か」
「皇甫将軍は、西涼州の葡萄酒が好物でした」
「裴寛様は、酒を飲みません」
「お主らの話は本当のようだ、天幕の中で話を聞かせてくれ」

 天幕の中に入ったリョウたちは、警護隊長らと李輔国に挟まれるように、皇太子の前に座った。リョウが言った。
「時間がありません、この林は囲まれています。皇太子を拉致するためか、あるいは恐れながらお命を狙っているのか、いずれにしても護衛の兵を増やすか、この場を去った方が良いかと」
「なぜ私が狙われなければならない」
(ちょう)萬英(まんえい)将軍は、(ちん)玄礼(げんれい)将軍から指揮権を取り上げ、禁軍全軍、さらには唐軍全部を支配下にするつもりです。しかし、陳将軍は皇帝の股肱(ここう)の臣、皇帝が許すはずがありません。そこで、皇帝に譲位を迫るために、皇太子の賛同が必要なのだと拝察します。陳将軍が楊国忠を討った今は、趙萬英将軍にとって、陳将軍を逆賊として討つ絶好の機会です」
「私は、李林甫に、二度も殺されそうになった。今度は趙萬英か。私はいつも権力争いの道具なのだな」
 皇太子は少し寂しそうな顔をしたが、その後にきっぱりと言った。
「趙萬英は、最近、陛下に懇願して、第八皇子、鳳翔王(ほうしょうおう)(ゆう)の後見人となった。楊貴妃が現れる前に皇帝が寵愛していた蘭妃(らんひ)の子だ。であれば、私は殺されるな」
「まだ襲って来ないということは、何かを待っているのでしょう。趙萬英率いる羽立(うりゅう)軍の本隊が長安から追い付くか、あるいは鳳翔王の到着か、いずれにしても、備えを急ぐ必要があります」
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